志賀直哉『正義派』解説|真実を告げる勇気と、揺れ動く感情。

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女児が轢き殺されるという悲惨な電車事故が起きる。口裏を合わせる監督と運転手、それに対して近くで目撃していた線路工夫たちが興奮と勇気をもって一声を上げる。監督の篭絡に屈せず真実を証言した三人だったが、やがてその高揚感は去り、静けさと侘しさが訪れ、ついに明日の生活を憂い涙する。正義を支えることの難しさを描く。

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登場人物

年かさの丸顔の線路工夫(三人の工夫のひとり)
事故を至近距離で目撃しており、証人として率先して先頭に立ち警察署に行く。

眉間に瘤のある線路工夫(三人の工夫のひとり)
若い工夫で同じく事故を目撃して、監督が作り上げた話を嘘だと大声を上げる。

瘤の無いほうの線路工夫(三人の工夫のひとり)
若い工夫で二人に同意し行動を共にするが、年寄りの母との暮らしを案じる。

運転手
狼狽しブレーキを引くのが遅れ、事故となりその後監督の話の組み立てに従う。

電車の監督
示談が有利に進むよう話を組み立て、運転手を従わせ姑息にも説得を働きかける。

動画もあります、こちらからどうぞ!

あらすじ

正義心から勇気ある発言をした三人の鉄道工夫たち。

題である『正義派』とは、電車が女児を轢き殺してしまう事故が起こり、たまたま10mほど近くで敷石の補修工事をしていた鉄道工夫たちが一部始終を目撃し、電車の監督によって曲げられようとする嘘話に対して真実の証言をする。この正義に連なる三人の工夫たちの時間の経過で変化する感情の起伏と、心象風景を描いています。

事故を概略すると、或る夕方、日本橋の方から永代橋を渡ったすぐの処で、二十一二の母親に連れられた五つくらいの女児が電車に轢き殺された。橋詰の交番から巡査が走って来た。電車の監督も人だかりを押し分け入って来た。監督は運転手に事故の状況をく。その後、警部、巡査、警察医が車で来て、現場を形式だけ取り調べした。そして証人として運転手、車掌、乗客のひとり、さらに証人を申し出た三人の工夫が警察に行き聴取されます。

論点の違いは、

事故の現場にいずに、駆けつけてきた電車の監督は、運転手の話をきながら「電気ブレーキを踏んだが間に合わず、救助網が落ちなかった」という話の組み立てをします。

事故の現場近くにいて、一部始終を目撃した三人の工夫は「運転手が狼狽して電気ブレーキを忘れていた。距離は充分あったので、直ぐにブレーキを掛ければ助かった」と話します。

物語の構成上、前提として工夫たちの云うことが真実です。

真実を告げた後の工夫たちの感情の起伏が細やかに描かれる。

時間と共に変化していく感情の起伏と、その心象の風景を追ってみます。

警察での事情聴取の場では、運転手は「女の児が車の直ぐ前に飛び込んできたので、電気ブレーキでも間に合わなかった」と申し立てた。工夫はそれを上述の通り「運転手が動転してブレーキを掛けるのが遅れた」と否定した。

監督が色々とりなそうとしたが、三人は一切耳を貸さなかった。

ここでは、運転手はすでに監督が作り上げた話(=捏造ではないが正確な事実ではない)通りに申し立てます。自身が狼狽しブレーキをかけるタイミングが遅れたことは隠されます。

これに対して三人の工夫は運転手に向かって「全体手前がドジなんだ」とけわしい・・・・眼つきをします。運転手は監督の言う通りに従い保身の態度です。一方、鉄道工夫という雇われの身ながら、安全を守るため線路の補修工事をしている立場からも許せなかったのです。

三人の工夫は事故の現場を間近で目撃していますから、運転手の判断の鈍さ遅さ。さらには電車の監督との辻褄合わせの嘘話も聞こえていますので、正義感がさらに強く出ています。

警察での審問は長くかかり夜九時に終わります。三人は明るい夜の町へ出て、一種の愉快な興奮が互いの心に通いあっていることを感じます。

「べら棒め、いつまでいったって、悪い方は悪いんだ」と年かさの丸い顔をした男が大声で云います。

この言葉には、警察へ行く道々で監督が年かさの工夫に『ナア君、出来た事は仕方がない。君等も会社で飯を食ってる人間だ』と云われたことに腹を立てています。工夫にすれば通らない筋を曲げさせようとする、狡知で卑劣な嚇しのように聞こえたのです。

余程、警部の前で監督のその言葉をすっぱ抜いてやろうと思ったと云うと、瘤のある工夫が口惜くやしそうに同意します。

然し夜の町は常と変わらず、それが彼らには物足りない。そして彼らは次第に愉快な興奮からめていく不快を感じる。その替りに報われるべきものが、報われない不満を感じ始める。

ここは、監督からの言葉を聞いて正義を興奮と勇気で貫いたことの虚しさと、その先に訪れる不安を予感させます。ある意味では、こういった感情は一般の人々が国や会社など、権力の悪に対して糾弾するときの虚しさに近いものがあります。

そうしてやがて彼らは昼間仕事をしていた辺りに差しかかる。女の児が轢き殺された場所へ来て、其処が常と全く変わらない、只のその場所にいつか・・・かえっていた。

彼らは寧ろ異様な感じをして、その「空々しさ」に情けないような、腹立たしいような、不幸を禁じられなかった。

女児が轢き殺された悲惨な事故の現場が、時間の経過で静寂を取り戻していることと、自分たちの興奮との落差が激しく、それが異様で空々しさを感じ小さな命が儚く葬られることの腹立たしさや不幸の気持ちがいっぱいになります。ここは<事故に対する虚偽の会社都合の後始末>に対して<失われた幼い女児の命、母親の哀しみ>への根源的な憤りを表します。

さらに彼らは橋詰め交番の前に来て、その後の様子をうかがうと夕刻の事故のときとは異なる若い巡査が工夫たちを怒ったような眼で見送っています。

年かさの男は不快から殊更に甲高かんだかく笑って、

「悪くすりゃ明日あしたッから暫くは食いはぐれもんだぜ」と云った。

「悪くすりゃ所か、それに決まってらあ」と瘤のある男でない若者が云った。

ここでは真実を証言したことの結果。つまりは監督の言葉に在る会社側の利益に逆い、堂々と正義を貫き通したことの結果として、会社をクビになり路頭に迷う不安が、冷静さを取り戻した後に現実として強くこみ上げてきています。

三人はやり場のない気持ちからすき焼き屋で酒を酌み交わし少し落ち着きます。ここでも彼らは既知となっていた事件の真実を、女中はじめ集まった四五人に大袈裟に話し出します。そして警察で話したことが明日の新聞にどうでるかなどまた興奮して語り始めます。

同じ二階の座敷にいる客が皆その話に聞き入り、彼らはまた満たされた気持ちになります。やがて客は帰り女中も後片付けに下がってしまいます。すると三人はまた不満な腹立たしい耐えられない心持ちになります。

酔うにつれ一番興奮していた年かさの男が「会社の仕事で食っているには違いない。然し悪い方は悪いのだ。追い出される事なんか何だ。そんな事でおどかされる自分たちではないぞ」と大声で罵ります。

家に年寄りの母を待たせている、瘤の無い方の若い工夫は先に逃げ帰って行った。

年かさの工夫と瘤のある工夫は車に乗り遊郭に向かいます。車の中では車夫も事故の出来事を知っておりそこでも工夫は車夫と大声で話します。

年かさの男は車のなかで酔って眠ってしまいます。目的の場所についても酷く酔っ払って降りれる状態ではありません。若い工夫は車はそのまま走らせます。年かさの男は声を出して泣きだします。

こうして物語は工夫たちの正義感に満ちた興奮した勇気は、裏切られ、虚無感が襲い、最後は、侘しく虚しいものとして終わってしまいます。

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