太宰治『人間失格』解説|ただいっさいは、過ぎて行く。

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解説

人間失格と自らを断じた葉蔵ですが、いかがでしょうか。

幼少から人間世界に適応できないとの思いは、ついにガシャッツと脳病院の錠がかけられて「人間失格」と自ら結論を出しました。

『人間失格』は自伝的な小説で、連載の完了とほぼ同時に太宰は自殺してしまいます。

主人公は太宰と重なっています。大富豪の家に生まれますが、社会や人間の営みに適合できない葉蔵の姿。そして唯一、道化を行うことで人々を欺き、人々と繋がりを持ちます。

その人生は、自殺未遂や左翼運動、薬物依存などで破滅に向かいます。

権力を誇示する人間への恐れ、嘘や建前で取り繕う人間関係、金や力ある者へ擦寄る人々、弱き者への理由なき虐待、幼少の自分は、そんな周囲のなかで自分自身の本性を表すことができずに道化を装う。

故郷を出ても合法よりも非合法の人々に親近感を感じる。そして酒や薬や女たちに溺れてしまう。やっと出会った信頼に対しても、人間の悪意は残酷に襲いかかる。

父親を頂点とした多くの家族や使用人、支援者や地域。幼少の葉蔵にとって、これは社会そのものである。ここで人間不信となり心を閉ざして道化を装う。

美術の道に進みたくても、父親に逆らえない自分が、希望しない選択を強いられる。結果、葉蔵の安らぐ場所は、淫売婦や日蔭者、非合法運動の世界であった。

太宰は、そう書くことによって、「清く明るく朗らかに」振舞えとする偽善に抵抗してみせた。そして墜ちていく生を、自虐のなかで慈しんでいる。

宗教にもイデオロギーにも恋愛にも疲れ果てて、弱い自分を人間失格だとする主人公の葉造。若くして既に廃人となり、人間として、この社会に生きていくことに疲れ果て、正気を失ってしまった大庭葉蔵。

そしてただいっさいは過ぎていくと、力なく感想を述べる。

適合できない人間の弱さを、太宰が慈愛に包み救済する。

この物語をひとりひとりに置き換えてみる。ではあなたは人間として合格か、失格かの対比で考えがちですが、その前提に、人間とは何か、を考えてみます。

マルクス思想とキリスト教の博愛主義は、当時の大きな流れでもあります。

しかし人間は、個人と個人の間で、そして集団の間で、そして国家の間でも恐ろしいエゴで成り立っていることに気づきます。

理想と現実は違う。人間として理想を求めようとすればするほどに、人間の醜さの中に落ちていく。現実が異なれば、やはり理想にも疑いをもつことになる。

葉蔵は、ヨシ子を信頼の天才だと考えています。そして「無垢の信頼は、罪の源泉なり」と絶望することになります。

予期しない決定的な悲しみが人間を襲ったら、精神は壊れてしまうでしょう。それでも酒や薬に溺れることなく、もうひとりのあなたが慈悲をもって傷ついたあなたを優しく見守ってほしい。

途方もない衝撃に出くわした時、人間は平衡など失ってしまいます。宗教も思想にも社会にも頼れないなかでは、自分は自分と語り合うしかない。

太宰は随筆『わが半生を語る』のなかで、「キリストの汝等なんじら己を愛する如く隣人を愛せよという」という言葉のなかの「隣人愛」もさることながら、その前に「己を愛する如く」の大切さについて述べています。

人間、合格。って言える人が世のなかにどのくらいいるのでしょうか。人間世界はそれほど優しくないのです。だから自分を愛することをあきらめてはいけない。

そうして竹一に見せた葉蔵の自画像こそが、小説となったものが、太宰が書き上げた「人間失格」という作品だったのでしょう。

そして「葉ちゃんは神様のようにいい人でしたよ」とあなたのことを一人でもわかってくれる人がいれば、それで良いのかもしれません。

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作品の背景

太宰のほぼ遺作といえる作品で、夏目漱石の『こころ』とともに日本で累計部数を競う作品です。青森の大富豪の家に生まれますが、厳格な父親のもとで社会や人間とうまく調和できず道化をよそおう。上京してからは自殺未遂や薬物中毒、さらにはプロレタリア運動にも挫折し、常に弱者に目を向けると同時に、既存の価値観や階級社会に疑問を持ち続けて生きた太宰後期の集大成の作品と言えます。

尚、大庭葉蔵は太宰前期26歳の作品『道化の華』と同じ登場人物で、大きな罪の意識を宿した当時の自殺未遂、自殺幇助の出来事を晩年、完成度高くこの『人間失格』に表しています。

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発表時期

1948(昭和23)年、3月より熱海の起雲閣にて着手、三鷹、大宮の仕事場を経て5月に完成。雑誌『展望』の6月号に「第二の手記」まで、以降は作者の死後、筑摩書房より短編『グッド・バイ』と併せて刊行されます。太宰は前年春に知り合った山崎富栄とともに6月13日玉川上水にて入水し世を去ります。 享年38歳でした。