太宰治『道化の華』解説|ここを過ぎて悲しみの市

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解説

人間の本質を追求し暴きながらも、弱きものを慈しむ「僕」。

この小説『道化の華』は、心中未遂事件を起こした太宰が、その題材を通して、自己に投影させた
大庭葉造なる主人公に心象を語らせます。物語はフィクションながら、自殺未遂は事実なので、まさに作中劇(メタフィクション)の構造となっています。

ほぼ遺作となる『人間失格』の主人公である大庭葉蔵が、この『道化の華』にすでに登場しています。葉蔵は “園” という女給と鎌倉の海で心中をはかり、女性だけが死んでしまいます。

第三者として登場する「僕」は、この小説の作者であり太宰自身です。実際に太宰は二十一歳のときに入水自殺未遂をはかっています。

短編集『晩年』のなかに収録されたこの『道化の華』は、青春の時代にすでに『晩年』と記した、太宰の厭世的で老成した姿とみることができます。太宰自身が「僕」の眼を通して葉蔵の精神を解剖してみせる構造になっています。

『人間失格』の最初の “はしがき” と最後の “あとがき” を書いた人物と同じ位置づけですが、さらに『道化の華』では「僕」は物語の中にも割り込んで入ってきます。

「ぼく」という第三者の小説家の太宰が、、自殺未遂を起こした自分を大庭葉蔵に見立て、生きにくい人間社会を道化で生きていくことの現実を語らせると同時に、そのことを小説世界に表現している状況です。

自殺未遂直後の生き残った葉蔵と周囲の人間模様を描写しながら、第三者の「僕」は内面に迫ります。

葉蔵と、飛騨と、小菅と、そしてこの小説を書いている「僕」。太宰にとって新しい技法を取り入れた実験的な試みでもあります。

「僕」は、執拗に葉蔵(太宰自身)の罪を問い詰めたかと思えば、弱者(葉蔵)をいたわってみたり、叱咤してみたり、慈しんでみせたりもします。

葉蔵と、葉蔵を評価する「僕」の内面と外面の両方の描写が交錯します。

突然、「僕」が物語に口を挟み、小説としての完成度を評価したり、読者の意見を代弁したりしながらも、葉蔵や弱い者たちの心を救おうともしています。

物語自体の進行と、外から見た客観性とが交差します。技法の斬新さと同時に、登場する「僕」自身、つまりは太宰自身への当時の心境と告白、そして自虐ともナルシズムとも感じられます。

道化こそが、人間にとって救済の手段である。

人間の本質を見れば、知れば、触れれば、さらに、自分の心は蝕まれていく。

元来、人間は未成熟なものだと知っているからこそ、その本質から回避しながらも、人間を求愛し、繋がるための作法が道化である と考えています。

罪も恥も充分に理解しているつもりである、それでも何故 死のうとしたかの原因が判然としない葉蔵に、できるだけ飛騨も小菅も道化で振るまいます。それに答える葉蔵も、同じように道化をすることで落ち着きを取り戻します。

人間の罪に神が罰を与えないのであれば、自身の罪と恥の意識を、道化に代えるしかない。

道化こそが、生きるための方法としての神の救済に代わる手段であるようです。

つねに絶望のとなりにゐて、傷つき易い道化の華を風にもあてずつくってゐる このもの悲しさを君が判ってくれた呉れたならば!

『道化の華』は若い時から自殺を前提に、遺書のつもりで書き始めたと言われる十五篇の作品を収録した創作集『晩年』のなかの一作品で、太宰は二十六歳です。そして『人間失格』を書いたのは太宰が三十九歳でした。

葉蔵は、太宰の一九三〇年末の心中未遂と自殺幇助の起訴猶予を経て、作家人生の一〇余年のあいだ存在し続け、太宰が投影されつづけた主人公として『人間失格』に再び登場します。

裕福な家に生まれた太宰は、社会に抵抗をします。

マルキシズム運動への幻滅、さらに自身がプロレタリアではなく、搾取する側の大地主の子であることから、滅ぼされる側の人間であることを自覚し、自らを絶望に追い込み、そして自殺を試みます。

そして一方では、せめて「僕」だけは、そんな自分を慈悲深く見つめています。

第三者の「僕」は太宰自身であり、物語の主人公である葉蔵は、太宰の分身です。

戦争の足音が近づき、明日が不安な若者たちには、自己のアイデンティを見出だすことなど、難しい時代でした。この生きにくいに人間の世のなかを、生きていく『道化の華』は、現代にも通じる繊細な弱者たちへの慈しみをこめたものとなっています。

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作品の背景

1930(昭和5)年、太宰21歳の時。直接的にはこの年の11月28日にカフェで知り合った女給と鎌倉の小動崎海岸でカルモチンを嚥下、心中をはかり、この事実が作品のモチーフになっています。女性のみが死亡し、太宰は自殺幇助罪に問われ起訴猶予となります。

この記憶は太宰にとって大きな傷跡を残し、後の初代の事件とともに、後年の『人間失格』のベースにもなっています。尚、同年4月には東京大学仏文学科に入学するも学校には登校せず非合法活動に参加したり、前年にも多量のカルモチンを下宿で嚥下、自殺未遂や警察沙汰など挫折と波乱の時期でもありました。

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発表時期

1935(昭和10)年5月、太宰治26歳の時に日本浪漫派に入り発表、翌年、砂小屋書房より刊行された最初の創作集『晩年』の中に収録。太宰前期の作品にあたります。『晩年』というタイトルは、自殺を前提に書き始めたとの理由で、作品15編を集めたものに収録されています。