芥川龍之介『羅生門』解説|悪を正当化するとき、人は真の悪になる。

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解説

死を前にすると常識や真面目さは、合理的な理由で悪に変わることができる。

下人は、平時において善悪を峻別できる、常識人であり真面目な人間だ。その安寧から一転、生活の手段を失った男として下人は登場する。その心理の推移を絶妙に描いてみせる。

京都の洛中に続く地震、竜巻、火事、飢饉などの災い。仕事にあぶれて飢え死にするしかない状況、そこでは、悪人になるか飢死にするかの選択肢しかない。

羅生門の楼上は不気味な地獄絵で、老婆は人間ではなく猿のような姿で描かれる、そして老婆の着物を剥ぎとり消えていく下人が残す余韻は、悪の闇に吸い込まれる。下人は悪そのものへ変質した。

自然災害での苦しみであれ、政治の圧政での苦しみであれ、戦争や争いでの苦しみであれ、それが極度の絶望になれば、道徳や宗教などの救いは届かないこともある。そこには解放が求められる。

仕方がないという合理が出来上がってしまえば、“悪” に生きる勇気が生まれる。餓死したくなければ、悪になる覚悟を持つことである。平時における常識や真面目さは、死と背中合わせの極限では、心は変化するし、合理的に自分を納得させうるきっかけが必要なだけである。

余談だが執筆時の芥川は、実は失恋の後にあった。一般に芥川の初恋といわれる青山女学院卒業の才色兼備な女性に恋をしたが、養子の身である芥川は、自身のエゴイズムを主張することなく、養家の激しい反対にあい諦めざるを得なかった。その鬱憤を晴らすべく<束縛からの自己の解放>を意図した作品となっている。

懐疑的で厭世的な芥川は、正義や道徳を盲目的に信じてはいない。そして『羅生門』の物語の中で、下人の置かれた環境から、それは “悪” に向かう勇気という大きく強い情動に転嫁される。

死ぬ覚悟の無い人間は、真の正義を語ることはできない。

下人を非難することはできる。「自分は如何なる状況下でも、悪には決して落ちない」と言うこともできる。もちろん善なる行為を信じて守り、人間の理想を語ることは尊い。

ただ『羅生門』に描かれた平安京の世界では、“生きる” か “死ぬか” の選択しか眼前には無い。この状態では、“善”や“理性” では飯が喰えず “生きていけない” のである。

別の言い方をすれば、生きるためには “悪” の選択肢しかない。

そうなると、論理的には多くの人は程度の差こそあれ “悪の側” に身を投じる。そこに合理的な理由を求めるだけであろう。これが下人の心の変化である。そして下人は解放されて、夜の闇に消えていくのである。

ではその反対の選択とは何か、“善”や“理性” の先にあるもの、つまりそれは “死” ということになる。

日本は裕福な社会とされているが、全員がそうではない。世界中を見れば、貧しい国や虐げられた人々はたくさんいる。言葉だけの美名の「正義感」や「道徳感」は、カオスの中では無力である。

自然災害、政治の弾圧、戦争の惨禍で生死の境にあるとき、人間はどうなるのか?

社会全体としての法治主義や民主主義は望ましいが、もっと原始的には “生” と “死”と “社会” を精神性のレベルで考える必要がある。誰もが自我の解放を止めることはできない。

難しい問題だが、根本問題として、人間はエゴイズムを求める本能から逃れられないはずだ。

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作品の背景

タイトルの由来は朱雀大路にある平安京の羅生門(羅城門)である。京の街を南北に走る大路、朱雀大路の南端にある二層造りの門であり、衰微のなか荒廃した佇まいとなっている。秋の暮れ方の羅生門が、善と悪の逆転する様子をカオスのなかで見守っている。

「今昔物語」の本朝世俗部巻二十九第十八の「羅城門登上層死人盗人語(羅城門らしょうもん上層うわこしにのぼり死人をみる盗人の物語)」を大筋にして、巻三十一第三十一の「太刀帯陣売魚姫語(太刀帯たちはきの陣に魚を売るおうなの物語)」の内容を一部に交える形で書かれる。つまり今昔物語を題材に創作されている。

内容は「羅城門登上層死人盗人語」は、摂津の国から京に入ってきた盗人が、羅城門の下にいたが、上層に上ってみると、老婆が死人の髪を抜きとっており、“仕えた主人が亡くなったので亡骸を羅城門に持ってきて髪が長かったのでかつらにしようとしていた”という第十八の話をベースにしたもの。

これに三條院の天皇が東宮におられるときに、東宮に仕える帯刀の舎人の詰め所で、いつも来る魚売りの女がいて、これを買って食ってみるとうまかった。ところがそれは “蛇を四寸ばかりに切って売っていた” という第三十一の話が挿入されている。

この当時、芥川は失恋を経験しており、養家など周囲の反対から諦めざるを得ず、さらに相手もすぐに縁ある軍人に嫁いだ。芥川は人間の持つエゴイズムの醜さを実感していた。

そのような当時の心象を、羅生門を舞台に下人の登場させ、そこで目撃した非日常の中で、悪を正統化することで、自らの閉塞した憂鬱から解放する。これが作品の執筆の動機になっている。

古典に典拠してアフォリズムとして不朽の名作となり、生きるために悪を選ぶというという人間のエゴイズムと、束縛から解放へ、そして黒洞々こくとうとうたる夜に消える躍動の余韻を繊細に描き出している。

発表時期

1915年(大正4年)11月、雑誌『帝国文学』に発表。芥川龍之介は当時23歳。東京帝国大学在学中の無名作家時代のものである。大正6年5月に「鼻」「芋粥」の短編とともに阿蘭陀書房から第1短編集『羅生門』として出版。芥川の代表作品である。最後の結びの一文は、初出は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった」、その後「下人は、既に、雨を冒して京都の町へ強盗を働きに急いでいた」となり、2年半たって大正7年に現在のように「下人の行方は、誰も知らない」となった。全編を通じて情景が目に浮かぶようである。