芥川龍之介『蜘蛛の糸』解説|因果応報とエゴイズムの戒め

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作品の背景

芥川龍之介の作品を、初期、中期、晩年の3つにわけると 『蜘蛛の糸』 は初期の作品になります。『鼻』で夏目漱石に絶賛されその後、新聞や雑誌からの依頼が多くなります。大正8年に大阪毎日新聞の社員となり専業作家として契約を結び、『地獄変』の連載を開始。このころ漱石の門下であり先輩にもあたる鈴木三重吉が主宰していた童話雑誌『赤い鳥』の創刊号に『蜘蛛の糸』を寄稿しはじめての児童文学にかかわります。

自己嫌悪と厭世主義につつまれた芥川の心象のなか、人間の利己心への諦めを童話のなかで描いた作品でもある。極楽と地獄、その天地を繋ぐ一筋の煌く蜘蛛の糸、映像を想像するような描写である。

以後、『杜子春』『魔術』『アグニの神』などを発表していきます。

発表時期

1918 (大正7) 年7月、児童向け短編小説『赤い鳥』の創刊号にて発表。芥川龍之介は当時26歳。はじめての児童文学作品でした。アメリカ作家で宗教研究科のポール・ケーラスの『カルマ』の日本語訳『因果の小車』の第4章のその名も「蜘蛛の糸」が題材とされています。