幕末の激動期、壬生の狼と恐れられた新選組。そこに、生きるために人を斬り、愛するために生き抜いた男がいた。南部盛岡藩脱藩、新選組隊士、吉村貫一郎。故郷と家族への愛と義を貫いた一人の男の物語。浅田次郎が描く、切なくも美しいもうひとつの新選組外伝です。
解説
盛岡藩の脱藩浪士の新選組隊士、吉村を題材とした時代小説の映画化。
新選組といえば、近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八など有名で、極めつけは、長州藩や土佐藩の謀議の情報を得て切り込んだ池田屋事件となるが、『壬生義士伝』はアナザー・ストーリーとして吉村貫一郎という男の生涯が描かれる。
<明治三十二年東京市、冬>というタイトルスーパーから始まる。西暦では一八九九年である。
まさに二十世紀を迎える夜明け前であり、当時の日本は日清戦争を終え、後年には日露戦争を戦った。大政奉還は遡ること、一九六七年の出来事である。
歴史の徒花として咲き、壬生の狼と恐れられ世間を震撼させた新選組のなかに、義を貫いた一人の男がいた。三十年余り後、生き残った一人の老人がその男との奇縁を回想しながら物語は進む。
老いた男の名は斎藤一 、元新選組三番隊組長。義の男の名は、吉村貫一郎。
斎藤は孫の風邪煩いで訪れた町医者が、吉村が故郷の藩校で教えた生徒で、大野次郎右衛門 の息子 千秋と、妻が吉村貫一郎の娘みつであることを結末近くに知る。
本名は、嘉村権太郎。北辰一刀流で、慶應元年に27歳の時に出奔。その後「吉村貫一郎」の名で、新選組の隊士募集に応じ上京する。慶応4年、鳥羽伏見の戦いで戦死したとされている。
映画は、下澤寛の『新選組物語』「隊士絶命記」の創作が下地になっている。
三十七、八歳でやせ形で背が高く、おとなしい性格で学問があり剣術も使えた。妻子五人で、どうしても食えないので脱藩し大阪に出た。その後、新選組が隊士の募集をしていたので応募、土方より三十俵二人扶持をもらう。もともと新選組は浪士の集まり壬生浪士組が前身である。
鳥羽・伏見の戦いで味方にはぐれ綱島の盛岡藩仮屋敷にて、勤王のために奉公したいと言うが、結局は妻子を養う俸禄が欲しく武士の魂を持っていないということで、南部武士の恥として切腹をするように仕向け、吉村は屋敷内で腹を切った。
これをヒントに、逆手にとって義を貫いた男の素晴らしい人間物語に仕上がっている。
生きるために人を切り、愛のために守銭奴になる無様な新選組隊士。
斎藤はただ人を斬るだけの自分にも新選組にも、絶望し死を恐れなかった。それに引き替え、吉村は生への凄まじい執着を見せていた。
吉村は金に執着する。新選組のなかで、せっせと吝嗇に努める珍しい奴だった。
吉村は隊内で「守銭奴」「金の亡者」と蔑まれるが、故郷に残した愛する妻子のために、厚顔で羞恥に耐え、人を斬り金を稼いでいく。
「南部盛岡は江戸より百四十里、奥州街道の果てゆえ・・・」と生徒に説く。吉村は貧しかったが、学才と武芸の腕前で、かつては藩校の教壇に立っていた。
吉村は南部盛岡の美しい風土を愛してやまない。その中で温暖な西国とは異なり、厳しい東国の中で力強く生きていくことを子どもたちに教えた。
貧しい生活だったが頼もしく育つ息子、嘉一郎 とまだ幼く可愛い娘、みつ 。そして自慢の美しい妻、しづ と共に家族で幸せな暮らしだった。
ところが吉村は、突然、南部藩を脱藩した。当時の脱藩は亡命のようなもので、南部を愛し誇りを持てと教えていた吉村に対して千秋 は愕然とした。
南部盛岡を襲う自然災害も続き、武士とはいえ生きていけない状況下、藩命に背き、脱藩し、金を稼ぐために新選組に入隊するのである。背信行為だが生きるために、吉村の家族を守る姿勢は誰にも責めることはできず、寧ろ、類まれな覚悟を備えている。
吉村は新選組の俸禄を月々、家に仕送りをする。吉村の手許に届いた息子からの手紙には、家族の近況と息災が記してあった。
千秋の父、大野次郎右衛門 は藩の留守居役であると同時に、吉村の上司でもあった。次郎右衛門は、妾腹ゆえ当主の意に逆らうことはできず、己を殺し生きることを苦労の中で学んでいった。
その中で唯一、心を許し相談できたのは下級武士の吉村だけであった。
千秋は「新選組をご存知ですか、さぞ強かったんでしょうね」と言う。斎藤は「明治には無用の輩です」と呟く。
しずは当初、次郎右衛門に嫁ぐはずだったが、家柄を重んじて妾として迎えられることになった。それを嫌い、しずは逃げ出し「あにさまの嫁っこになりたい」と吉村の胸に飛び込み、夫婦になった。
やがて新選組はその功績により、幕府より特別の沙汰をいただき旗本の取り立ての内達を受ける。旗本職になった時の吉村の喜びはひとしおだった。吉村は「旗本になったら、お手当はどのくらいに上がるのか?」と興味を持って訊ねる。土方は「吉村くんは、40俵賜ります」と答え、皆が大笑いする。
しかしこの頃、すでに新選組は二つに分裂していた。日本そのものが薩長と幕府、二つに別れて衝突し始めていた。新選組は水戸学の伊東甲子太郎 が提唱する勤皇派と、従来からの近藤の佐幕派に別れる。
吉村と斎藤は、その剣術を見込まれて勤皇派に、旗本よりも高い禄で誘われた。斎藤は間者として赴いた。しかし吉村は「自分は一度、主君を裏切った身、二度は裏切れない」とこれを断る。
不穏な動きが出る。伊藤は大久保と密談し近藤と土方を排除して新選組を崩壊させようとする。さらに坂本竜馬の暗殺を企んでいるようだった。そして池田屋事件が起こる。しかし伊東は新選組の手で殺され、新選組から割れた勤皇派は壊滅させられた。だが新選組の活躍もこの時を境とした。
戊辰戦争を会津藩と共に戦い、徳川の義のために命を賭ける。
大政奉還の大号令で、京都守護職は解任された。将軍、慶喜も会津公も京を離れ、新選組は守るものを失くした。沖田は結核で倒れ、局長の近藤は伊東の残党に狙撃された。
行き場の無くなった新選組は、最後の見せ場として、幕府対薩長の戦に参戦する。
新選組に出来ることは、戦いしかなかった。
会津・新撰組は薩摩・長州と戦うが、刀は圧倒的な火力兵器を前に大敗する。新選組は幕府軍とともに敗走を重ねる。諸藩の寝返りも相次いだ。とうとう崖っぷちに追い込まれ、待ち伏せでの殲滅の策で最後の賭けに出た。
斎藤は「吉村、お前は逃げろ。お前のような奴は、死んではならんのだ」と言う。
吉村は「斎藤さん、わしは南部の侍にござんす、南部武士は、女、子供までも曲げてはならない義の道を知っている、だからわしは南部の先駆けとなって戦いやんす、気づかいは涙が出るほどありがたいが、義に背くことはできない」と答える。
新選組・会津藩は決死の死闘で薩長を退ける、勝鬨を挙げるが、そこに官軍がやってくる。掲げるのは “錦の御旗”。戦火を交えれば賊軍の汚名をきすことになる。
それでも吉村の義は「新選組隊士、吉村貫一郎!徳川の殿軍をばお務め申す!一天万乗の天皇さまに弓引くつもりはござらねども、拙者の義のために戦わねばなり申さぬ、いざ、お相手いたす!」と銃火の中へ、ひとり飛び込んでいく。
その後、命からがら満身創痍の吉村は南部藩の大阪蔵屋敷の門に現れた。
義に殉じ切腹し盛岡に帰り、巡り合わせの縁で子らが時空を超え結ばれる。
敗れたとはいえ、義を信じて戦った。吉村は命あるうちは南部に帰って、妻しづに会いたいと願った。
南部藩の大阪蔵屋敷を任されていた次郎右衛門は、自分の命と引き換えなら吉村を助けもするが、南部二十万石を犠牲にして朝敵となるわけにはいかないと、自分の刀を吉村に差し出し切腹を促す。
そして義のため、家族のために生きた吉村は、死して盛岡に帰ることが出来た。
吉村を失くした次郎右衛門は、人が変わったようになる。無理しいで戦を仕掛ける薩長を敵対視し、薩長に寝返った秋田藩に兵を挙げ、そこで亡くなった。次郎右衛門のお家は取り潰された。
かくて吉村の娘みつと大野の息子千秋は、同じ身分となり不思議な縁で結ばれ夫婦になり、助け合い、二人は満州に渡り終の棲家としようと話すところで物語が閉じられる。
浅田次郎の原作と演じる中井貴一の盛岡弁。朴訥で素朴な表情と剣を交えるときの非情な表情、生と金に執着した粘っこい演技が、素晴らしい。
当時の武士にとって、“国”とは、“日本” ではなく “藩” を指す。慢性的な飢饉、禄が足らずに五人の家族が養えず、妻しづは身を投げようとさえした。故郷を愛し、家族を愛するからこそ、脱藩して自身の武術をいかし金を稼ぐ新選組に入隊したのが吉村の動機である。
斎藤の制止を振り切り官軍の銃火のなかに突き進む姿こそが、徳川としてではなく、吉村の武士の尊厳としての義を貫く。
最初は、吉村を故無く憎み、最後は、吉村の生を応援する斎藤。そして苦悩の中、非情をつらぬく次郎右衛門、さらに妻しづと娘みつの一人二役が時空を超えた “縁” を描く。
吉村が最期に回想する、美しい南部盛岡の自然と来し方の妻しづや家族を思うシーン、そして切腹までのクライマックスは、映画ならではの情感が涙を誘います。
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