夏目漱石『私の個人主義』解説|漱石の語る、個人主義とは何か。

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本作品のメッセージと感想

この講演は、朝日新聞で連載された小説『こころ』が8月に終わり、その3か月後に行われています。
小説『こころ』の物語と比較しながら読むと、漱石が伝えたかったメッセージをこの小論に確認することができます。

学習院は、現在の学習院大学でしょう。もともと皇族や華族などの教育機関として開校されているわけですから、まさに日本の最上級の子弟が学び、将来は権力と金力を手中にする可能性が高いわけです。社会に対して影響力を持ちうる予備軍ということになります。

明治の近代化によって、四民平等となり身分制がなくなったとはいえ、華族階級は厳然とあり、彼らはまさに貴族のような身分です。この選ばれし者たちへ、高い徳義心を有する指導者たることの必要性を漱石は説いたのでしょうか。

小説『こころ』では、下卑た利己心と罪悪感に苛まれ、孤独の中で自死を選ぶ先生の半生が、青年の私に遺書として綴られます。

講演の方では、物語ではなく漱石の伝えたかった本意。現実社会を生き、これから日本を背負っていく学生への期待と戒めをこめたものなのでしょう。漱石の生まれ生きた明治、そして晩年となる大正初期。それは大きな変革の時代で、今振り返れば、日本と日本人のあり方を変えた分岐点のように思われます。

それは是も非もなく、歴史の運命の必然だったのでしょう。日本は外圧により、国を開き、生き残りをかけて西洋に追いつくために近代化を急ぎます。旧来の幕藩体制から中央集権型の天皇を元首とした立憲君主の国家体制です。

イギリスでは100年前に産業革命が起こり、順じて西欧の諸国も工業化を経て資本主義に移行していきます。アジアでこの近代化に成功したのが日本です。

明治に思想として入ってきた個人主義、この考えの背後には民主主義があるはずです。

西洋のように長い歴史のなかで熟成されたものではなく、充分に咀嚼し消化する時間もなく、呑み込んでしまったようなものです。これが内発的ではなく外発的とされる所以です。

近代化のおかげで日清・日露と2つの戦争に勝利しますが、特に日露戦争は辛勝で、膨大な戦費や多数の戦死者を出し賠償金は無し。あの臥薪嘗胆は何だったのだろうという国民感情が起こります。

都市部と農村の貧富の差が拡大していき、社会運動もおこり、国民と国家の紐帯は綻び始め、そのために、国家は逆により全体主義化していきます。後の大正デモクラシーは自由な気風ということですが、同時に平衡感覚を失い、悪しき利己主義も広がったことでしょう。

漱石が唱えた個人主義がどこまで血肉化されたものなのかも疑問です。そのなかでの国家と個人との関係はどうなのかとなります。

こういう状況下、当時の知識人として、漱石が唱えた『自己本位』とは何か、煩悶し、辿り着いた私の、つまりは日本という土台に建設された日本人の個人主義とは何かを私たちはもう一度、確認すべきではないでしょうか。

「自由で独立した己」この言葉は、小説『こころ』に登場する大きなテーマですが、先生はその作法を間違えてしまいました。自我肥大した利己心が及ぼした行為が、厭世的な孤独のなかに自己を陥れ、やがて自らを破壊していく姿が、作品に表されます。

反面教師として、その正しい理解を小論とした講演録が『私の個人主義』だと思います。

作品のなかで「明治の精神に殉死」した乃木希典大将は、明治40年、1907年に第10代の学習院の院長に就任しています。その任は明治天皇の指名でした。皇孫こうそん である裕仁親王ひろひとしんのう、後の昭和天皇の教育のためです。

この後、乃木希典の自刃を学習院高等科の卒業生でもある白樺派の武者小路実篤や志賀直哉は否定的な意見を表しています、また漱石の門下でもある芥川龍之介は小説「将軍」の中で「乃木の至誠が僕等には、どうもはつきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、尚更通じるとは思はれません」と殉死の前に写真を残した理由に戸惑います。

武士道精神の是非は別としても、すでに武士道精神は無くなっており個人主義の時代に入っていることがわかります。だから小説『こころ』の先生も、乃木大将の死んだ理由がわからないとしています。ここでは武士でない先生にはわからないという意味で、至誠が解らないという意味ではないと思いますが。

急激な文明開化が工業化だけでなく思想にも及び、これまでの日本の道義との狭間で戸惑った明治の時代、さらに大正に入り西洋世界は欧州戦争に突入していきます。

西洋列強の植民地になることを逃れた日本は、逆にこの時代には列強の一角になっています。そして国家は国民を強権的に統治しようとしていきます。そして歴史は大正から昭和へと向かっていきます。

自由で平等という思想は、結果的に熾烈な競争社会を生む。これまでの儒教や仏教や武士道の考え方から自我が尊重される近代の個人主義の思想に移行していく。

2023年の日本、私たちはなぜ政治家や自称知識人の言説にこうもうんざりさせられてしまうのか。

その理由は、漱石の『私の個人主義』に記された警鐘を、私たちが徳義として認めているからです。
それゆえに直感的に、彼らの言葉に下品な偽物の匂いを感じとってしまうからではないでしょうか。

自由や自我もまた、日本人の道徳の下になければならない。信頼のできるわずかな知識人と、徳義心を育む普通の良識人の自己本位な個人主義を尊重し、共同体や社会や国家の一員として共鳴しあうことが必要なのではと思います。

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