解説
女性には無慈悲な兎が住み、男性には善良な狸が溺れかかっている。
お伽噺は時代の変遷とともに内容も少しずつ変わっていく。このカチカチ山もこのころは婆汁ではなく、婆さんに怪我を負わしたいう改訂版を太宰は前提にしています。
その上で柴を焼いて火傷を負わしたり、その傷に唐辛子をすり込んだり、果ては鮒を釣りに行こうと騙し泥舟をつくって溺死させる。
婆さんの怪我の代償としてはひどすぎる、これはきっと男の仕業ではない、女だ。
それも十六歳の美しい処女の仕業だ、と自信をもって決定づけます。
そして男性諸兄にその年頃の女性には注意をしてかかれと警告します。
あまりしつこくすると極度に嫌悪され殺害の危険すらあり節度を守れとか、勧善懲悪のような道徳の善悪よりも感覚の好き嫌いによって世の中は成り立っていることや、もっと言えば、“ 惚れるのが悪い ”というのである。
年頃の女性には、無慈悲な兎が住んでいることを肝に銘じるべし。
防空壕で子供に絵本を読み聞かせながら書かれた新説、お伽噺。
冒頭の前書きに、
物語を創作するというまことに奇異なる術を体得しているのだ。ムカシ ムカシノオ話ヨなどと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられているのである。
引用:太宰治 お伽草紙
当時、日本の敗戦は色濃く容赦なく傷痍爆弾が落とされ、日本人は安全を求めて逃げ惑っていました。太宰はこの「お伽草子」を防空壕の中で、子どもたちを守りながら原稿を握りしめていました。
生命の危険に晒されながらも子どもたちには絵本を読み聞かせ、胸中では太宰流に日本古来の昔話に新解釈を加えている。
それは戦争という極限の有事の中にあってもひるむことなく、大人たちへ向けて風刺に満ちた創作活動を続ける太宰の気概でもありました。
※文豪の新説、お伽噺!
太宰治『お伽草紙/浦島さん』解説|年月は、人間の救いである。
太宰治『お伽草紙/カチカチ山』解説|少女の心には、残酷な兎がいる。
太宰治『お伽草紙/瘤取り』解説|性格は、人生の悲喜劇を決める。
太宰治『お伽草紙/舌切り雀』解説|あれには、苦労をかけました。
芥川龍之介『猿蟹合戦』解説|蟹は死刑、価値観は急に変化する。
芥川龍之介『桃太郎』解説|鬼が島は楽土で、桃太郎は侵略者で天才。
作品の背景
太宰晩年の作品にあたります。昭和20年3月に「前書き」と「瘤取り」の執筆にかかりますが、東京大空襲となります。その後、甲府市の妻の実家へ疎開を決断し、5月から「浦島さん」「カチカチ山」、6月から「舌切り雀」が書かれます。7月7日未明、ついに疎開先も焼夷弾攻撃をうけ、妻の実家も全焼。知人宅に身を寄せ、28日、妻子をつれて東京を経由して津軽に向かいます。31日、津軽金木町の太宰の生家に着きます。『お伽草紙』の巻頭にも記されている通り、太宰はこの話を防空壕の中で子どもをあやしながら書き上げていきます。
発表時期
1945(昭和20)年10月、筑摩書房から刊行。短編小説集として「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編を収める。太宰治は当時36歳。まさに戦火が熾烈を極めるなかでの創作活動です。空襲が激しくなり物資の欠乏から作品発表の場が制約されていく中、これほどの創作活動を展開した文学者は文壇にはいませんでした。