カポーティ『ティファニーで朝食を』解説|自由を追い求める、ホリーという生き方。

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作品の背景

トルーマン・カポーティは1924年にアメリカ南部のニューオーリンズに生まれる。母親が離婚して、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマなど転々と南部の遠縁の家に世話になり育つ。その中には高齢者同士の孤立世帯や精神障害をもつ高齢者もあり、引越しの多い生活で学校にほとんど行かなかった。

その後、ニューヨークのカポーティという人と再婚し、トルーマン・カポーティと名乗る。母親はその後自殺した。満たされない愛情の飢餓は、幻想的、倒錯的なカポーティの作品の個性に反映されている。『ティファニーで朝食を』では、これまでの南部の男の子供の世界から、舞台をニューヨークに移し大人の女性を主人公にした。

トルーマン・カポーティは、作家としての出発時点から華やかな交友関係があった。作家、芸術家のほか、上流階級、国際社会の著名人と幅広い交友があり、長くニューヨーク社交界のなかに浸っていた。

上流階級のスワン(白鳥)たちにとってペットで道化師のようなカポーティ、さらに同性愛者(ゲイ)でもあり、酒、麻薬に堕ち人間不信に陥っていく。ホリーの物語は、カポーティの実生活を投影した姿だろう。そして日常のカポーティは作家の語り部の「私」である。

発表時期

1958(昭和58)年の春、男性雑誌「エスクァイヤ」に掲載され、後にランダム・ハウス社から刊行。『ティファニーで朝食を』はニューヨークの社交界を舞台とした自由奔放な女性を主人公にした都会的な中編小説。トルーマン・カポーティは当時34歳。

尚、1961年にはパラマウント社で映画化されるが、カポーティは主演のオードリー・ヘプバーンが原作のホリー・ゴライトリーとは違うと不快感を示した。

1924年にニューオーリンズで生まれ、不遇な幼年期を過ごし、10代半ばでニューヨークに出てくる。19歳の時にオーヘンリー賞を受賞し、23歳で発表した『遠い声・遠い部屋』(1948年)で世界の文壇に“アンファン・テリブル”として一大センセーションを巻き起こし、時代の寵児となる。華やかな社交界で著名な人々との交友があった。

晩年はアルコールと薬物依存に陥り、1984年8月25日に友人のマンションで心臓発作で急死。享年59歳。翻訳は、瀧口直太朗訳(1968年)、村上春樹訳(2006年)の二つがある。ホリーとフレッドについては本ブログでは兄妹と表記した。