村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』解説|生きる意味なんて考えず、踊り続けるんだ。

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僕と繋がれる、鏡像としてのユキと五反田君。

多くのキャラクターが僕と繋がれますが、なかでも印象的なのは特殊な能力をもつ「ユキ」と、自身のペルソナに殺されてしまう「五反田君」でしょう。

この二人もまた、ある意味では「僕」の分身、鏡に映る像としての役割を果たしています。

ユキとはホテルのバーで始めて会う。ウォークマンを聞きながらレモンジュースを飲んでいる十三歳の綺麗な女の娘。バーを出る時に二秒か三秒、僕の顔を見てから少しにっこりと微笑んだ。朝食の席でもユキと会いそこでも彼女はにっこりと微笑みかける。まるでこれから先に起こることを知っているかのように・・・。

ユミヨシさんは、急に東京に戻ることになった僕に、一人ぼっちになっていたユキを連れて帰って欲しいと頼む。

ユキの母親のアメは有名な女流写真家だが奇行家で、ユキを残してどこかに消えた。僕は東京に帰ってもユキと時々会う。父親の牧村ひらくは売れない冒険作家だった。既に二人は離婚しており育児放棄、ユキは両親に構われず不登校になっている。そして僕は父親からユキの面倒を頼まれる。

自分の考えをストレートに発する利発な子。ユキは僕にとって思春期の感受性を思い起こさせてくれる存在だ。

ユキには心を読んだり、何かを強く感じる能力が備わっている。札幌から東京に戻りユキをアパートに送った後の電話の会話で、

「あなた札幌のあのホテルで羊の皮かぶった人を見たでしょう?」(16章)

と言われる。繋がっている・・・・・・

ここでユキと僕は繋がれる、そしてユキの特殊能力が僕に何かを伝えたがっている。

ユキは霊媒師のような特殊な力がある。そして僕との信頼関係が深まっていく中で、マセラッティに同乗し嫌な雰囲気があると感じ、ある日、一緒に「片思い」という映画を見て、気分が悪くなったユキは、五反田君がキキを殺したと告げる。

ねぇ、例のアレが来たのよ。わかるの、はっきりと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あなたのお友だちがあの女の人を殺したのよ。嘘じゃないわ。本当よ」(38章)

五反田君がキキを絞め殺し車で死体を運ぶ姿が、ユキに見えた。

もう一人の象徴的な存在が、その五反田君。彼もまた「僕」の分身として描かれている。

感じがいい、でも実態がよくわからないのだ。(8章)

中学生の頃の彼は成績もよく、親切で、誠実。育ちもよさそうで、スポーツも万能でクラス委員としても有能だった。みんな彼に夢中になった。でも彼が何を考えているのかさっぱりわからなかった。

俳優となっていた五反田君が出演する「片思い」を観る。役柄は、学生運動を経験し、恋人を妊娠させた過去がある教師の設定とされる。つまり彼は「鼠」の分身でもある。映画のなかでセックスシーンがあり、それがキキだと知り僕は驚愕する。

ここで五反田君とキキが繋がり、そして僕が五反田君と繋がれば、キキを捜すことができる

僕は五反田君を捜しだし、キキの消息を訊ねるが、ある時突然に消えて行方不明になっていた。

「僕」と五反田君はなぜか気が合い仲良くなり、頻繁に会うようになる。五反田君は、僕以外に友達と呼べる人間が一人もいないという。これは、僕と鼠がお互い気があった分身の関係と同じである。

誰からも愛される外向けの顔を続けた結果、自身とペルソナの区別がつかず境界が解らなくなる。芸能界と言う貪欲な<システム>に過度に適応させられた五反田君は人格が乖離してしまう。スターという名の着せ替え人形、五反田君の闇は深い。

やがて五反田君は自己破壊本能からキキを殺害し、ペルソナにし潰つぶされていることを僕に告白する。そして自己を弄ぶように海に身を投げる。彼はきっかけを待っていたのだ・・・・・・・・・・・・。彼は悪を引き継いでしまったのだ。

状況も違う、考え方や感じ方も違う。でも我々は同じ種類の人間なのだ。我々はどちらも失い続ける人間なのだ。そして僕らは今お互いを失おうとしている。(39章)

僕は泣きたかった。でも泣くことさえできなかった。そう、五反田君は僕自身なのだ。そして僕は僕自身の一部を失くそうとしているのだ。(39章)

ユキは五反田君の件で、僕がユキを憎むと心配する。憎むことは無いと僕が言うと、きっと何かが消えるという。そして僕はユキに話す。

「どんなものでもいつかは消えるんだ。我々はみんな移動して生きているんだ。僕らのまわりにある大抵のものは僕らの移動にあわせてみんないつか消えていく。」(41章)

そして時間と関係なく好きだと言うユキに対して、僕はユキに話を続ける。

「時間というのは腐敗と同じなんだ。思いもよらないものが、思いもよらない変わり方をする。誰にもわからない」(41章)

それはたくさんの喪失を経験した三十四歳の「僕」が、まだ時間のことを良く解らない十三歳の「ユキ」への別れの言葉だった。ここでもありし日の「僕」と「鼠」の会話を彷彿させる。

瑞々しい感受性を持ったユキとの別れ、彼女は家庭教師をつけて勉強をするという。そして唯一の友人で僕をまともだといってくれた五反田君との別れ。またしても「僕」は一人きりになる。

「僕はただきちんとステップを守っているだけなんだ。ただ踊っているだけだ。意味なんかないんだ」

ユキは鋭い感受性で、他人を傷つけながら自分も傷ついていた。それは不安定な思春期の特徴であり危うさでもある。反対に、五反田君はペルソナとして誰からも愛され尊敬される存在であり続けなければならない苦悩が、自己破壊につながってしまった。

ユキ、五反田君、そしていろいろな他者の中に僕は繋がりながら自己を発見しなおそうとする。

心の底から、激しく、根源的に、世界を憎みながらも、僕はその現実に向き合いながら奇妙で複雑なダンス・ステップを踏み続けている。

失われそうな思いを繋いでくれる羊男とは何か。

羊男は、<こっち>と<あっち>の世界をつなぐ媒介の役割を果たしている。<こっちの世界>の入口を管理して、僕を繋げるが、逆に<こっちの世界>に呑み込まれることを制してくれているようだ。

羊男から見て<こっち>とは、表層ではなく深層、現実ではなく非現実の世界。そこは、思念や形而上的なものがある。<あっち>とは現実世界のことである。羊男から見た僕の住む世界だ。そこは高度資本主義社会のひどい世界だ。

きっと羊男から見た<こっちの世界>は、僕が表層の現実の世界で失ったものばかりだ。僕の一部分だった鼠が持っていた情動や感受性。つまりは僕が失くしたパトス。

潜在意識の核にある自己を大切にしながらも、うまく平衡感覚を保ちながら現実の世界で自我を表現していくこと、その方法こそが羊男の言う「ダンス・ダンス・ダンス」なのだ。

僕は13歳のユキを羨ましく思う。彼女の目には音楽や風景や人が新鮮に映っている。僕も昔はそうだった。世界はもっと単純で、努力は報われ、言葉は保証され、美しさはそこに留められるはずだった。(23章)

匂いがきちんと匂い、涙は本当に温かく、女の子は夢のように美しく、(中略)夏の夜はどこまでも深く、悩ましかった。それらの苛立ちの日々を僕は音楽や映画や本とともに過ごした。(23章)

こういうフレーズって、かつて鼠が発していた言葉でしたよね・・・。

ずっと昔から「羊男は本当にいるの?」と訊ねるユキに、「本当にいるよ」と僕は言った。

「うん、昔からいた。子供の頃から。僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。」(23章)

ユキも同じような考えを持っている。彼女は言う「あなたもお化け組の一人なのよ」彼女も五反田君と同じように、僕の他にきちんと話ができる人がいない、と言う。

僕もユキと会話をすることで、ユキを成長させながらも、自らもユキのおかげで瑞々しい感受性を取り戻していく。

感じるこころ、震えるこころを失わないということ。いつまでも子供みたいだと笑うこともできるが、いつまでも感受性を失わないという言い方もできる。それは人の心のなかに棲み、けっして目には見えないものだ。ユキは僕に、そんな感情を再び呼び起してくれた。

羊男とホテルで再会した時に、彼が語ったことを再度、言葉を変えて整理する。

とにかく踊り続ける。何故?と意味は考えない。足が停まれば深い闇のなかに入っていく。ステップを踏み踊り続けることが必要なんだ。そして人と繋がり固い自己の殻を少しずつほぐしていく。

僕は、年をとっていろんなものを失くしてしまった。

十代でも二十代でもなく三十四歳と時間が過ぎ、孤独を感じ、疲れ、脅える。何もかもが間違っているように感じられる、そして足が停まってしまう。でもそうなればもう手伝えなくなる。すると<こっちの世界>でしか生きていけなくなり、どんどんこっちの世界に引き込まれてしまう。

羊男から先の<こっちの世界>、それは死の世界ではなく、きっと現実から引き離されていく虚無の世界、さらにその先には死が潜んでいます。自我が引き裂かれていく状態です。

だから羊男は<こっち>に僕を招き寄せるのではなくて、精一杯、時空間を移動しながら、とびっきり上手くダンスのステップを踏んで現実の世界を生きることを薦めているのです。

自己を包みこみ自分を愛し続けながら社会と繋がること、そしてそのエネルギーを失わないこと。

そのために迷う僕を、もう一度、結び目と繋ぐことで感じる心を震わせ、気づかせ、再発見させたのです。

招き寄せられる死と、壁抜けによる自己発見。

僕は踊り続けるが、それでも死に招き寄せられていく。アメに招待されて、ユキと一緒にハワイに行く。ある日、ホノルルのダウンタウンでキキをみつける。

それは僕の幻覚なのか、キキが死霊のように現れ、オフィス・ビルに導かれ、椅子にかけた<六つの白骨>と出会う。そこは死体を集めた部屋。それは引き裂かれた自我の犠牲者たちの姿なのでしょう。

一つめは鼠。不器用で純粋にしか生きて行けず「羊をめぐる冒険」のなかで<邪悪の象徴である星形の斑紋のある羊>を呑み込んで自死してしまった。ちなみに鼠との再会を繋いだのも羊男だった。

二つめはキキ。五反田君は自分が殺して埋めたと言った。特別の能力を持つユキが二人の出演する映画を見て、五反田君が殺したと僕に言った。精神を病んだ五反田君は、予知能力を持つキキを排除したのではないか。

三つめはメイ。キキと同じコールガール・クラブの顔見知りで、ストッキングで首を締められ殺害された。犯人は謎で、五反田君はアリバイがあるとしているが、彼の精神状況を考えれば彼への疑いはぬぐえない。

四つ目はディック・ノース。片腕の詩人で、ユキの母親である天才写真家のアメの世話をしていたが、ハワイから箱根に移り住み不慮の交通事故で轢死れきしする。彼の死をきっかけにユキは大人へと目覚めていく。

五つ目は五反田君。僕の中学の同級生で誰からも愛され優秀だったがペルソナの虚像に耐えられず、自己破壊本能でキキを殺害し、自身も愛車とともに海に飛び込み自殺をする。五反田君も新たな悪を道連れにしたのかもしれない。

ユキは僕に言う。「あなたは死というものを通して世界と繋がっているのよ、きっと」(30章)

僕は五反田君が死んで、キキの夢をみる。

「君は僕を呼んでいたんだろう?そして君が僕を導いたんだろう?」(42章)

と訊ねると、キキは

「あなたを呼んだのは、あなた自身なのよ。私はあなた自身の投影にすぎないのよ。」(42章)

と答える。そして

「あなたは自分の影法師をパートナーとして踊っていたのよ」という。(42章)

死の理由はそれぞれだが、死はいつも生の傍にあり、生贄を求めている。そして僕自身も死の近くにいるように感じる。僕は懸命に自分を失わないように、ダンスのステップを踏み続ける。

さまざまな繋がりを経て、僕はずっとユミヨシさんのことを考えていることに気づく。そして札幌のドルフィン・ホテルを再び、訪れる。ここは僕にとって特別な場所。

そしてクライマックスで、僕とユミヨシさんは再び、暗闇のなかに導かれる。

僕は手を放さず握っている限り、繋がっている限り、大丈夫だと言う。

そして僕はユミヨシさんに、

「僕は二人の人物に会う目的でこのホテルに戻って来たんだ。一人は君で、もう一人はその相手だ。彼はこの闇の奥の方にいる。そしてそこで僕を待っているんだ」(44章)

と言う。僕はユミヨシさんに説明する。

彼が羊男で、闇の世界を管理していて僕をいろんなものに繋げている。ずっと昔から 生きつづけている。そして彼は、戦争や文明や法律やシステムから隠れて住みついている。

しかしそこには羊男はいなかった。年老いた彼は死んでしまったのかと僕は考える。

そのとき僕とユミヨシさんの握りあっていた手が離れてしまっていた。そしてユミヨシさんの姿は壁に消えた。僕はユミヨシさんを追いかけて壁を抜けた。時間が揺らぎ、連続性がねじ曲げられ、重力が震えた。

それは僕の遺伝子であり、複雑に絡み合った巨大な自分自身のDNAを越えた。その混乱とカオスの空気の層を抜けると、僕は裸でベッドの中にいた。

ここは自分の過去の記憶の中に入り、揺さぶられ、ねじ曲げられ、震え、そして抜け出す世界が描かれます。ユミヨシさんを追いかけて救い出そうとする勇気や決意、そしてこれまで誰とも繋がることのできなかった自己の固い殻を突き破り、心の震えを取り戻す瞬間なのです。彼女への愛でそれが実現したのです。

夢をみていたと僕は言う。そこにユミヨシさんがいた。そう、「僕」はこのときデタッチメントをのりこえて愛する感情を取り戻します。

「知っているわ。じっとあなたのことを見てたの。あなたが眠って夢をみて私の名前を呼んでいるのを見てたの。真っ暗闇の中で。ねぇ、何かを真剣に見ようとすれば、真っ暗な中でもちゃんと見えるものなのね」(45章)

僕はユミヨシさんの中に、僕の心の再生を求める。

ここは『ノルウェイの森』の緑とのラストの場面と似てますね。

物語では主人公はユミヨシさんと最初、運命的に出会い、そのあとは東京―札幌間を電話が繋いでいます、その間に様々な人々と繋がりを経て、踊り続けることで、感情が動き出し、クライマックスで彼女によって愛をとりもどすことができました。

なぜ、彼女は僕の求める女性だったのでしょう。そういえば羊男は最初の時に言っていましたね。

 「この前誰か来た。あんただと思った。でもあんたじゃなかった。きっと誰かが迷いこんできたんだね。不思議だね。他の人間がそんなに簡単にここに迷いこむことはできないはずなんだけれど。」

そうです、ユミヨシさんもまた時に、闇に招き寄せられそうになるけれども、彼女はそこを跳ねのけて現実世界に生きる力を持った人なのでしょう、そして彼女こそが主人公の「僕」のもっとも大切な結び目なのでしょう。

そして「僕」は、自らの愛する感情で、ユミヨシさんを求めたのですね。

ユキ、アメ、ディック・ノース、牧村ひらく、フライデー、五反田君、メイ、マミ、文学、漁師、ジューン・・・・と繋がり、様々な出来事を通じて、様々な感情が揺さぶられて、乗り越えて今、自分にはユミヨシさんしかいないことに気づいたのです、そしてドルフィン・ホテルという現実に戻って来たのです。

「言ったでしょう、そんなに簡単に人は消えないのよ」(45章)

白骨の最後のひとつは誰だろうと心配する。六つ目は死を身近に感じていた僕かもしれない、ユキかもしれない、ユミヨシさんかもしれない、羊男なのかもしれません。六つ目は起こりえることだけれど、僕がユミヨシさんの手を握り、放さず、守り生きつづけることが大切なのです。

闇の中で羊男は消えました。当分の間、彼と会うことは無いという意味でしょうか。

ユミヨシさんは僕の隣で眠り、体は柔らかい。僕はユミヨシさんと繋がることで、もう一度、こころが震えるような感情を取り戻すことができたのです。

僕は眠れずやがて時計は七時を指す、そしてふさわしい言葉を探す。

「ユミヨシさん、朝だ」と僕は囁いた。

そうです、僕は愛を取り戻すことができたのです。長い喪失と絶望の中を、ひたすらうまく踊り続けることで、辿り着いた命の温もりと現実に繋がって生きていこうとします。

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