小林多喜二『蟹工船』あらすじ|地獄の虐使に、決起する人々。

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漁夫も船員も「サボリ」、その後、中積船が来てくつろぐ。

漁夫たちは何日も続く過労のために、だんだん朝起きられなくなってきた。監督が石油の空かんを寝ている耳元に叩いて歩いた。「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ。死ぬ覚悟で働け!馬鹿野郎」と怒鳴った。

学生が倒れると監督は水を浴びせかけた、次の朝、旋盤の鉄柱に縛りつけられていた。

そこには監督により「此者ハ不忠ナル偽病者ニツキ、麻縄ヲ解クコト禁ズ」と書かれていた。

蟹漁が忙しくなると苛立ってくる。漁夫たちは前歯を折られたり、過労で作業中に卒倒したり、眼から血を出したり、平手で滅茶苦茶に叩かれて耳が聞こえなくなったりした。

漁夫たちは雑巾切れのようにクタクタになり糞壺に帰ってくると、皆はただ「畜生!」と怒鳴った。

朝になり「俺ァ仕事サボるんだ炭山やまが云った。皆も黙ったまま頷いた。

一人、二人ではなく殆ど全部なので、監督はイライラ歩き廻ることしか出来なかった。

仕事が通りの悪い下水道のようにドンドンつまっていった。「監督の棍棒」が何の役にもたたない。仕事が終わって皆「糞壺」に帰って、思わず大笑いした。それが船員にも移っていった。競わされていたことにいい加減に馬鹿を見せられていたことが分かると彼らも時々「サボリ」出した。

中積船がやってくると漁夫や船員たちを夢中にした。函館から手紙、シャツ、下着、雑誌などが送り届けられた。出来上がっただけの罐詰を中積船に移し終えた晩、船で活動写真が上映された。

弁士は「この会社が此処へこうやって6ヵ月で5百万円、一年で千万円。株主へ二割二分五厘の滅法もない配当をする」と云った。活動写真は西洋物と日本物をやった。西洋物は「西部開発史」で、野蛮人の襲撃や自然の暴虐にあいながら鉄道を延ばして行く。その先に街が出来る。さまざまな苦難が一工夫と会社の重役の娘との「恋物語」ともつれあって描かれていた。

日本物の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」「夕刊売り」から「靴磨き」をやり、工場に入り、模範職工になり、取り立てられ一大富豪になる映画だった。弁士は「げに勤勉こそ成功の母ならずして、何ぞや!」と云った。

そして皆は「一万箱祝い」の酒で酔払った。

反抗的な気持ちが充満し、その中から三、四人の代表者が生まる。

柔らかい雨曇り、午過ひるすぎに駆逐艦がやってきた。

士官連が本船へやって来て、船長、工場代表、監督、雑夫長が迎えた。給士は仕事の関係で漁夫や船員がうかがい知ることのできない船長や監督、工場代表などのムキ出しの生活をよく知っていた。公平に云って上の人間はゴウマンで、恐ろしいことを儲けのために「平気」でたくらんだ。漁夫や船員たちはそれにウマウマ落ち込んで行った。

「今度、ロシアの領地へこっそり潜入して漁をするそうだ。それで駆逐艦が、側にいて番をしてくれるそうだ。そして大目的は北樺太、千島の附近まで測量したり気候を調べたりして、端の島に大砲を運んだり、重油を運んだりしてるそうだ」

前から寝たきりになっていた脚気の漁夫が死んでしまった、二十七歳だった。

仕事に出ていない「病気のものだけ」で「お通夜」をさせることにした。「カムサッカでは死にたくない」彼は死ぬときにそう言った。湯灌ゆかんに使うお湯を貰いに行くと、監督は「ぜいたくに使うな」と言いたげだった。八時頃に線香や蝋燭をつけ皆が座った。お経の文句を覚えていた漁夫がお経をあげた。

どもりの漁夫が「山田君は、どんなに死にたくなかったべか。イヤ、どんなに殺されたくなかったか、と。山田君は殺されたのです」と云った。そして「僕らは、山田君を殺したものの仇をとることによって、山田君を慰めてやることが出来るのだ。このことを僕らは、誓わなければならない」と云った。

船員たちがいちばん先に「そうだ」と云った。翌朝、カムサッカの海に投げられた。

表には何も出さない。気づかれないように手をゆるめていく。それを一日置きに繰り返す。そういうふうに「サボ」を続けた。水葬のことがあってさらに足並みがそろってきた。

仕事の高は眼の前でみるみる減っていった。今まで「屈従」しか知らなかった漁夫にも、なるほど出来るんだと思った。すると今度は不思議な魅力になって反抗的な気持ちが皆の心に喰い込んでいった。

威張んな、この野郎」この言葉が皆の間で流行り出した。

漁夫たちの中からいつでも表に押し出される三、四人が出来てきた。学生上がりが二名、吃りの漁夫、「威張んな」の漁夫などであった。

労働者が働かなきゃ、ビタ一文だって金持ちの懐には入らない。

学生が何か問題が起こればすばやく全体に共有できる連絡系統をつくった。これでぬかりなく「全体の問題」にすることができる。「殺されたくないものは来たれ!」学生上がりの得意の宣伝文句だった。

あっちは船長から何からを皆いれて十人にならない。こちらは四百人に近い。発動電機の修繕のために雑夫長が四、五人の漁夫と一緒に陸へ行った時に「赤化宣伝」のパンフレットやビラを持ってきた。

自分達の賃金や、労働時間の長さ、会社の金もうけのこと、ストライキのことなどが書かれており、皆は面白がって、お互い読んだりワケを聞き合ったりした。

漁夫たちはその「赤化運動」に好奇心を持ち出していた。

何時でも会社は漁夫を雇うときに、労働組合などに関心のない、云いなりになる労働者を選ぶ。しかし蟹工船の「仕事」は、逆にそれらの労働者を団結させようとしていた。

監督は周章あわてだした。蟹の高はハッキリ減っていた。二千ばこは遅れている。

監督は他の船の網でもかまわずドンドン上げさせた。仕事が尻上がりに忙しくなった。

“監督に対し、少しの反抗を示すときは銃殺されるものと思うべし” というビラが貼られた。監督は銃を「示威行動」のようにかもめや船の何処かに見当をつけて撃った。

芝浦の漁夫が「彼奴等はな、上手なんだ。ピストルは今にも打つように何時でも持っているがそんなヘマはしないんだ。あれは「手」なんだ。俺たちを殺せば、自分達の方で損をするんだ。目的は俺たちをウンと働かせて、しこたま儲けることなんだ」

「俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって金持ちの懐に入っていくか。この船、一艘で純手取り四、五十万って金をせしめるんだ。その金の出所は、皆んな俺達の力さ。水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。労働者が働かねば、ビタ一文だって金持ちの懐にゃ入らないんだ」

九人を代表にストライキを行うが、駆逐艦に制圧され再起を期す。

二時でもう夜が明けていた。カムサッカの連峰が金紫色に輝き地平線を長く走っていた。

「あ、兎が飛んでる。これは大暴風おおしけになるな」カムサッカの海に慣れた漁夫にはそれが直ぐ分かる。やめたやめた!誰かキッカケにそういうのを皆待っていた。

雪だるまのように、漁夫たちのかたまりが大きくなっていった。「よおし、さ、仕事なんてやめるんだ!」「非道ひでえ奴だ。大暴風おおしけになることが分かっていて、それで船を出させるんだからな。人殺しだべ」「あったら奴に殺されて、たまるけァ!」殆ど一人も残らず、糞壺に引き上げてきた。

雑夫達は全部、漁夫のところに連れ込まれた。火夫と水夫も加わってきた。

「要求事項」は、吃り、学生、芝浦、威張んなが集まって決めた。監督達は漁夫たちが騒ぎ出したことを知るとちらっとも姿を見せなかった。

吃りの漁夫が「諸君、とうとう来た!まず第一に、力を合わせ仲間を裏切らないこと。第二にも、力を合わせ一人の裏切り者もださないこと。俺たちの交渉が彼奴等をタタキのめせるかは団結の力に依るのだ」。続いて火夫の代表、水夫の代表が立った。

そして壇には十五、六歳の雑夫が立って話した。それは嵐のような拍手をき起こした。

「要求事項」「誓約書」を持って船長室に出かけ、その時に示威運動をすることが決まった。三百人は吃りの音頭で一斉に「ストライキ万歳」を三度叫んだ。

船長室へ押しかけると監督は片手にピストルを持ったまま代表を迎えた。船長、雑夫長、工場長が何かを相談していたらしかった。

監督は「後悔しないか」と云い「明日の朝にならないうちに、色よい返事をしてやるから」云ったが、それよりも早く芝浦がピストルをタタキ落とすと拳骨で頬をなぐりつけた。吃りが円椅子で横なぐりに足をさらった。

「色よい返事だ?この野郎、フザけるな!生命にかけての問題なんだ」その瞬間、「殺しちまえ!」「打っ殺せ!」「のせ!のしちまえ!」外からの叫び声が大きくなった。

ドアーを壊して、漁夫や、水、火夫が雪崩れ込んできた。

「監督をたたきのめす!」自分たちの手でやってのけたことで皆はウキウキとはしゃいだ。

薄暗くなった頃だった。駆逐艦がやってきた。

「しまったッ!!」学生の一人が跳ね上がった。「感違いするなよ」吃りが笑い出し、「俺たちの状態や立場、要求など説明して援助を受けたらストライキが有利に解決する」と云った。

皆はドヤドヤと「帝国軍艦万歳」を叫んだ。

駆逐艦が横付けになり十五、六人の水兵が着剣つけけんをしてタラップを上ってきた。さらに十五、六人。その次からも十五、六人。「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」そう罵倒されて代表の九人が駆逐艦に護送されてしまった。

俺達には、俺達しか味方が無えんだ」それは皆の心の奥底へ入り込んでいった。

仕事は今までの過酷に、監督の復仇的ふっきゅうてきな過酷さが加わった。今では仕事はもう堪え難いところまでいっていた。次は代表をつくらず、全部が一緒になってやらなければならなかった。

「ん、もう1回だ!」そして、彼らは立ち上った。もう一度。

附記>

  • 二度目の、完全な「サボ」はマンマと成功した。
  • 「サボ」は博光丸だけではなかった。二、三の船から「赤化宣伝」のパンフレットが出た。
  • 監督や雑夫長は不祥事を起こさせたこと、製品高に影響を与えたことで首を斬られた(その時、監督は俺は今までだまされていたと叫んだらしい)
  • そして「組織」「闘争」の偉大な経験を担って、漁夫、年若い雑夫等が、いろいろな労働の層へ入り込んでいった。
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