田山花袋『蒲団』あらすじ|中年男のキモイ、恋の妄想。

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概要>中年の時雄は人生の倦怠の中、弟子の美しい女学生、芳子に恋の妄想を膨らませる。若い時から常識人としてつまらぬ人生だった自分が性に惑溺していく日々。やがて恋人が現れ、別れが来て、芳子の残した夜具の匂いを嗅ぐ。赤裸々に内面を描いた自然主義文学の代表作。

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登場人物

竹中時雄
三十六歳で、結婚して子供が三人、人生や生活に疲れた中年作家が芳子を弟子に迎える。
横山芳子
神戸の女学院出身の十九歳で文学を志し美文作家の時雄に弟子入りすべく手紙を送る。
田中秀夫
同志社の学生、神戸教会の秀才で二十一歳。芳子との恋で上京し文学を目指すという。

あらすじ(ネタバレあり)

彼は三年の時が経った今、終わった出来事を名残り惜しく回想する。

小石川の切支丹坂きりしたんざかから極楽水ごくらくすいに出る道のだらだら坂を下りようとしてかれは考えた。

「これで自分と彼女の関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。しかしあれだけの愛情を注いだのは恋ではなかったのか。」

妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係であればこそ恋に落ちなかったが、語り合う胸のとどろき、相見る眼の光、その底には凄まじい暴風あらしが潜んでいたのである。状況次第では、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙に破れてしまうだろうと思われた。

しかし二三日来のことを考えると、それは女のいつわりで、あざむかれたとも思った。

文学者だけに、自分の心理を客観視できるし年若い女の心理は判断が難しく温かい嬉しい愛情や、美しく見えた目の表情も、優しい態度も自然の花が見る人に慰みを与えるようなものかもしれない。

仮に女が自分を愛して恋していたとしても、師弟の関係、妻子ある身、どうすることもできまい。いや、あの熱烈たる手紙の胸のもだえを私が解いてやらなかった。女性のつつましやかな性として、露わに迫ってくることがどうしてできよう。そういう心理から、かの女はこのようなことをしたのかも知れぬ。

「とにかく時機は過ぎ去った。かの女は既に他人ひと所有ものだ!」

歩きながらかれはこう絶叫して頭髪をむしった。

人生に疲れた中年作家のもとに、芳子が弟子入りを乞う手紙をよこす。

かれの名は、竹中時雄とった。

三年前、三人目の子が細君の腹にできて、新婚の快楽などはとうにめ尽くし、世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作ライフワークに尽くす勇気もなく、朝起きて、出勤して、午後四時に帰り、細君の顔を見て、飯を食って眠る単調な生活にき果ててしまった。

家を引越し歩いても面白くなく、友人と語り合っても面白くない、外国文学を読み漁っても満足が出来ぬ。出来るなら新しい恋をなしたいと痛切に思った。

三十四五の頃にある煩悶で、この年頃にいやしい女に戯れたり、妻と離縁するものもこの年頃に多い。

神戸の女学院の生徒で、生まれは備中の新見町、かれの著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から弟子入りを乞う手紙があった。その手紙の文句から表情が巧みで、ぜひ門下生になって一生文学に従事したいとの切なる願望のぞみ、文字からも余程ハイカラな女らしい。

女の身として文学に携わることの不心得、女は母たる義務を尽くさねばならぬこと、処女にして文学者たるの危険など縷々るるとして説いて、これで諦めるであろうと思ったが、それどころか更に厚い封書が届き、弟子にしてくれという。

時雄は感心して、早速、師弟の関係を結んだ。

芳子が門下生として訪れ日々華やいだが、やがて姉の家に寄寓させた。

芳子は父母の許可を得て、翌年二月に時雄を訪れる。

細君もその姉も、若い門下生が美しい容色であることを懊悩おうのうした。時雄は、芳子とその父に文学者の境遇と目的を語り、女の結婚問題について父親の説を叩いた。

父も母も厳格な基督教信者クリスチャンで、芳子は神戸の女学院でハイカラな女学校生活を送った。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと、こういう明治の女学校の長所と短所を遺憾なく備えていた。

時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。

四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪ひさしがみ海老茶袴えびちゃばかま、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷まるまげ泥鴨あひるのような歩きぶり、温順と貞節よりほかに何物も有せぬ細君に甘んじていることは時雄には情けなかった。

今様の細君を連れての睦まじい散歩や、流暢に会話を賑わす若い細君、自分の小説に関心なく夫の苦悶煩悶に無関心で子供さえ満足に育てば良いという自分の細君に対して孤独を感じざるを得なかった。

最初の一月ほどは時雄の家に仮寓していた。

華やかな声、艶やかな姿、今までの孤独な淋しいかれの生活と比べ何と違うこと。細君を助け、靴下を編む、襟巻を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当時に帰ったような気がした。

けれど、一月ひとつきならずして女弟子を家に置くことの不可能なのを覚った。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚などから問題となり、煩悶した後、細君の姉の家に寄寓させて、其処から麹町の某女塾に通学させることにした。

芳子と親密な関係だったが、恋人が現れ時雄は寂しくて酒に溺れた。

芳子は、麹町の家に書斎を借りた。本箱が机の傍にあり、その上には鏡と、紅皿、白粉おしろいびんと頭痛薬のびんがある。本箱には、尾崎紅葉全集、近松世話浄瑠璃、英語の教科書、ツルゲーネフ全集。未来の閨秀けいしゅう作家は、多くの手紙を書くので男の友達も随分と多い。

時雄は姉の言葉として、妻から「芳子さんは困ったもので、男の友達と夜一緒に出掛けて遅くまで帰ってこない、世間の口がやかましく仕方がないと云っていました」と聞く。

すると時雄はきまって芳子の肩を持ち「お前たち旧式の人間には芳子のやることは判りゃせんよ、男女が二人で歩くとすぐあやしいとか変だとか思うが、そんなことは旧式だ。今では女も自覚しているから、為すようと思うことは勝手にするさ」と云い、芳子にも「女子も自覚せねばいかん。昔の女のように依頼心を持っては駄目だ。自ら考え自ら行うようしになければならん」と云った。

芳子は、時雄の教訓で渇仰かつごうの念が愈々いよいよ加わった。基督キリスト教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。

芳子と時雄の関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。

二人の様子を観察した第三者の女の一人が妻に向かって「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りました、油断がなりませんよ」と言った。

無論そう見えたに相違はなかったが、若い女の心はうかれ勝ちですぐ沈む。些細なことで胸を動かし、つまらぬことに心を痛める。恋でもない、恋で無くもないやさしい態度に、時雄は絶えず思い戸惑った。

四月末に帰郷、九月に上京。そして今回の事件が起こった。

芳子は恋人を得た。そして上京の途次とじ、恋人と京都嵯峨に遊んだ。

関係を問いただすと、神聖なる恋愛で、二人は罪を犯してはおらぬが、将来は恋遂げたいとの切なる願望ねがい。時雄は芳子の師として、この恋の証人として仲立ちの役目を余儀なくされた。芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。

故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは精神の堕落であると云うが、決してそんな汚れた行為はない。互いに恋を自覚したのは京都で別れ、東京に戻り男からの熱烈な手紙で将来の約束をしたと云う。

時雄は、もだえた。愛するものを奪われ心を暗くした。もともと芳子を自分の恋人にする考えはない。しかし、淋しい生活に色彩を添え、限りなき力をくれた芳子を突然、奪われることに耐えられなかった。

夕食の膳の酒量はおびただしい量となり、泥鴨あひるのように酔って寝た。

彼は自分の半生を考える。するとこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中ただなかに入ることが出来ずに、圏外に立たせられた淋しい苦悶。文学の側でも社会の側でもそうだ。恋、恋、恋。今でもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと身の意気地なしと運命のつたないことが胸に迫った。

時雄は苦悶の末、芳子を再度、自分の監督下に置くことを決めた。

かれは、三日間、苦悶と戦った。性格として惑溺できぬ一種の力をもっており、そのためにいつも圏外に立たされ苦しい味をめさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。

そして、これからは師としての責任を尽くし、愛する女の幸福のためを考えるばかりだ、つらい、つらいがこれが人生ライフだ!と思った。

芳子から手紙が来た。

田中が上京したとの電報があり、逢った。上京の理由を聞くと、今回の件で芳子が郷里にれて帰られることがあれば申し訳ない、自分が学校を辞めて上京し、先生に打明け、お詫びし、情にすがり、円満に解決するようにするのが目的だと云う。芳子が田中に、先生のお情け深い言葉、将来まで我ら二人の神聖な真面目な恋の証人とも保護者ともなって下さることを伝え、今はしばらく沈黙して、折を見て打ち明ける方が良い。

という内容だった。

さまざまな感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。

田中が東京に来て、芳子が迎えに行った、何をしたか解らん。これまでのことも嘘かも知れぬ。手を握ったかもしれぬ、胸と胸が触れたろう、旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。

「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。監督せんければならん、保護せんければならん。

そして酒をあおり、芳子を監督するために、姉の家から時雄の家にもう一度、置くと云って迎えに出て行った。時雄は激昂した心と泥酔した身体とで、電柱に当たって倒れそうになったり、溝に落ちて膝頭をついたりしながら市ヶ谷八幡の境内へ入り人生の最奥さいおうひそむ大きな悲哀を感じ、人間ほどはかななさけないものはないと思った。

しかしこの思いは、この境内の近くに居た桃割れを結って娘でいた時の、今の細君を思った時と同じで、八年の間にこうも変わり、新しい恋を感じるようになった時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。

「矛盾でも何でも仕方がない、その矛盾、その無節操、事実だから為仕方がない、事実!事実!」と時雄は胸の中で繰り返した。

時雄は、姉の家に着いた。芳子を自分の家に置いて十分、監督をしようと思うと伝えると姉もそれがいいと云う。姉は、芳子は明るく利口な方だが男友達と平気で夜歩いたりしてそこが心配だという。

芳子が帰って来た。美しい姿、流行りの庇髪ひさしがみ、派手なネイルにオリーブ色の夏帯、斜に座った艶やかさ。時雄は、今までの煩悶と苦痛を半ば忘れて、有力な敵があっても、占領すれば心が安まると考えた。

時雄は一刻も早くその恋人のことを聞きだしたかったが、姉の前では問えずその日は泊まった。

芳子を戻し安心したのもつかのま、田中が上京してくるとの端書が来た。

翌朝、時雄は芳子を自宅に伴った。今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居とした。時雄は、さる画家の描いた朝顔の掛け軸を床にかけ、花瓶に薔薇を挿した。午頃ひるごろに大きな支那鞄しなかばん柳行李やなぎごおり、信玄袋、本箱、机、夜具などの荷物がついた。

時雄は「今は、二人とも勉強をしなくては」と云い、芳子も「私達もそう思って、今はお互い勉強して、将来に希望をもって、親の許諾ゆるしを得たいと考えている」と応えた。

時雄は芳子の言葉の中に「私達」と複数をつかうのと、もう公然と許嫁いいなずけの約束でもしたかのように言うのを不快に思った。まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。

時雄は、時代が変わったのを今更のように感じた。時雄は主義の上、趣味の上から喜んでみてはいた。昔のような教育のままでは、到底、明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬはかれの持論である。

しかしこの新派のハイカラの実行を見ては、さすがに眉をひそめた。

時雄は芳子を占領して、安心も満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知って、危険の念、不安の念は全く去った。

芳子は恋人と別れるのが辛かったが、それが出来ないことは知っていた。一心不乱に勉強せねばと思った。時雄も文学の話、小説の話、恋の話などをして芳子のために将来の注意をした。その態度は公平で、率直で同情に富んでいた。

芳子は師を信頼し、時期が来て、父母にこの恋を告げる時、旧思想と新思想と衝突するようなことがあってもこの恵深い師の承認を得ることが出来れば十分と思った。

芳子は、ツルゲーネフの小説に自身を照らし合わせて思い、そして恋人の田中を慕い、またそれは長い手紙となって京都に行った、京都からも隔日のように厚い封書が届いた。

時雄は、監督という口実の下に良心を抑えて、こっそり手紙を走り読んだ。

時雄は、手紙の中に接吻のあと、性慾の痕がどこかにあらわれておりはせぬか。神聖なる恋以上に進歩していないかと探すが、それは解らなかった。

一か月は過ぎた。

時雄は、恋人が芳子に宛てた一通の端書ハガキをみて平和は一時にして破れた。

そこには、

東京に出て来て、文学をやるという。芳子はせめて同志社だけでも卒業してくれと止めたが、田中は、もう独断で決めてしまい今更とりかえしはつかないという。神戸の信者で田中のため学費を出してくれていた人からは怒って打ち切られたとのこと。そして田中は既に東京に向かっているとのこと。

平和は再び攪乱かきみだされることとなった。

芳子と恋人との思いは強く、時雄は「温情なる保護者」となってしまった。

一日置いて今夜の八時に新橋に着くとの電報があった。夜ひとり若い女を出すわけにはいかないので新橋へ迎えに行くことは許さなかった。

翌日、芳子は恋人のもとを訪ねた。田中は、時雄が監督上都合が悪いこともよく理解したが、今更、帰ることは出来ず自分で自活して目標の道を進むという。芳子が、さっそく紺絣こんがすりの書生羽織を縫っているのを細君から聞いた。

細君は笑ったが、時雄は笑うどころではなかった。

時雄は、芳子が友達と遅くなるというので、思い切って恋人の下宿を訪問した。

田中という中背ちゅうぜいの、少し肥えた、色の白い男が祈祷をするような眼色をして同情を求めるように話した。時雄は「君らの将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子です。僕の責任として廃学は忍びない。君が東京にどうしてもいるなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打明けて許可を乞うか、どちらかだ」と云った。

田中は、東京に居たいというが、時雄は、芳子の将来の希望、男子の犠牲、事件の進行という点から帰郷を勧めた。田中秀夫は、秀麗でもなく、天才肌とも見えず、基督教に養われた取澄ました、老成な、厭な不愉快な態度だった。こうした男を選んだ芳子の気が知れなかった。

特に時雄が厭に感じたのは素直なところが微塵もなく、弁解しようとする態度だった。ただ青年空想の昔が思いだされ、憐憫れんびんの情も起こらぬではなかった。

時雄は、二人の恋の温情なる保護者になろうと言ったり、安翻訳の仕事を周旋してもらうため紹介の労を執ろうと言ったことを思い出した。自分ながら意気地なく好人物なのをののしった。

時雄は考えた。寧ろ国に知らせてろうかと。それをどういう態度でやればよいかを考えた。自分が二人の恋の関鍵かぎを握っているだけに、不当に嫉妬や不正の恋情で芳子の恋を犠牲にするのは忍びないし、「温情なる保護者」として道徳家の如く身を処するのも堪えれなかった。また国に知れて芳子が父母に伴われて帰国するのを恐れた。

翌日の夜、芳子が時雄の書斎に来て希望を述べた。

如何に説いても男は帰らぬ。国へ知らせれば父母は許さぬ、二人の間は、決して浅く恋をして浅く思ったのではない、決して汚れた行為などはなく惑溺することも誓って無い。

暫くこのまま東京においてくれと頼み、時雄も京都嵯峨における女の行為に、その節操を疑いながらも弁解を信じ、そんなこともあるまいと思った。

二三日経って後、時雄が帰ると、田中が来ていた。

細君は、田中を見て、厭な人ねえあんな書生さんを恋人にしなくたって、余程物好きね、あれじゃとても望みはありませんよと云った。それから田中は芳子と話をして先ほど帰り、芳子は田中を送っていったという。

それから芳子も田中もお互いを行き来して、時雄はいつの間にか、この二人の恋に対しての「温情の保護者」として認められていった。

時雄は常に苛々していた。二人の恋の温かさを見るたびに、罪もない細君に当たり散らして酒を飲んだ。

野は秋も暮れて木枯らしの風が立った。若い二人の恋が愈々いよいよ人目に余るようになった。時雄は監督上、見るに見かねて故郷の父母に知らせた。

この恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。その時も芳子の感謝の情を十分に勝ち得るようにつとめた。時雄は心を欺いて、悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。

芳子と田中の惑溺が増し、「温情の保護者」を改め三者での議論を促す。

その翌年の一月には、時雄は仕事で出張し利根河畔の旅館にいた。

昨年の年末から来ていて芳子のことが心配になる。芳子と田中との関係は、更に惑溺の度を加えた様子。余りに頻繁に二人が往来する。

時雄は旅館に来た芳子からの封書をひらき考える。

そこには、父母の理解を得ることが出来ず、聖書にも女は親を離れて夫に従うと御座います通り、田中に従おうと思う。準備した金も尽き、うらぶれの悲しい年末を送ったが、私等は二人で生きてみようと思う。先生にご心配をかけること、監督上、ご心配なさるのも御尤ごもっともながら、父母があまりに無慈悲ゆえ勘当されても仕方ない。堕落々々というがそんなに不真面目でもなく、家の門地々々というが父母の都合で致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。二人して一生懸命に働きましたら飢えることもないでしょう。私の決心をお許しください。

恋の力は、遂に深い惑溺の淵に沈めたのである。

時雄は、「温情の保護者」の態度を変えた。父母への手紙に、この恋を許して貰わねばという主旨にした。想像通り父母は言うことを聞かぬなら勘当すると言ってきた。二人は受けるべき恋の報酬を受けた。

最早一刻も猶予なく、二人で一緒に暮らしたいという大胆な言葉。好意を無にして、こういう決心をすることは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。

時雄は自己の家庭のさびしさが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性慾より起こる不満足が胸を圧迫した。芳子は平凡なる生活の花であり糧でもあった。荒野のごとき胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。

再び寂莫荒涼たる以前の平凡な生活にかえらなければならぬとは・・・涙がかれの頬を伝った。

かれは真面目に芳子の恋とその一生を考えた。一たび男子に身を任せて、後の女子の境遇の憐れむべきを思いやった。真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。

時雄は父母に手紙を書いた。父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人、相対してこの問題を真面目に議論すべき時節到来せり。貴下は、父としての主張、芳子は芳子としての自由あるべく、小生は師としての意見を語り合うというものだった。

父親と田中と三者で話すも、郷里に帰ることを承知得ず困惑し疑った。

十六日の午前十一頃、芳子の父親は牛込の時雄の宅を訪問した。

時雄は「貴方はどうしても不賛成?」と問題を語り継いだ。

父親は、

・女学生の上京の途次を要して途中に泊まらせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を捨て去ったりする男なので話にならぬ。

・芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったというのもおかしいし、衣食に苦しんでまでも東京に居るなども意味がありそうだ。

・結婚の約束は大きなことで、その者の身分も調べて、釣り合いも考えねばならないし血統も知らべなければならない。

・神戸では多少秀才とか言われた男のようだが、説教や祈祷などやらせると大人も及ばぬ巧いことを遣りおったそうです。

・なるたけは連れた帰りたくない、私も妻も村の慈善事業や名誉職などをやっており困る場合もある。

・で、貴方のおっしゃるとおりに、男をもとの京都に帰して、此処一二年、貴方にお世話になりたいと思っている。

という内容だった。「それが好いですな」と時雄は言った。

時雄は、京都嵯峨の事情、その以後の経過を話し、二人は神聖の霊の恋のみで汚い関係はないだろうと言った。父親は頷きながらも、そのほうの関係もあるとして見なければならないと云い、娘についての悔恨の情が多かった。

一時間後には、田中もこの室に来ていた。父親は軽蔑の念と憎悪の念を胸にみなぎらしめた。

田中は、服従という態度よりも反抗という態度が歴々としていた。芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。恋する二人、殊に男にとっては、この分離は甚だ辛いらしかった。宗教的資格を失ったこと、帰るべく家をも国をも持たぬこと、ようやく東京に前途の光明が出て来たのに捨て去るのに忍びないなどを理由に、帰郷の不可能を主張した。

時雄は、「お父さんの言葉が解らんですか、君の罪も問わず、破廉恥も問わず、将来、縁があれば恋愛を承諾せぬではない。ともに修行中の身、一緒には置かれぬ。どちらかが東京を去るとなれば、追いかけてきた君になるのでは」と云った。

田中は、「父親に承諾されていない」と云い、父親は、「独立も出来ない中で許可とか、不許可は言えない」と云う。

父親は、「人の世はエホバの思し召し次第。罪の多い人間はその力ある審判さばきを待つより他にしかたがない。君の心が、真実真面目で誠実ならば神の思し召しに適うことと思うじゃ。」と云う。

時雄は、「三年、君がために待つ。君を信用するに足りる三年の月日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵でしょう」と続ける。

田中は、涙がはらはらとその頬を伝わった。一座は水を打ったように静かになった。

時雄は今ぞ時と、「どうです返事をしたまえ」と云った。

田中は、二人一緒に東京にいることは出来ないかと云い、時雄は、監督上出来ん、二人の将来の為にも出来んと云うと、芳子が「私が帰ります」と涙を震わせていった。

三人はなお語った。田中は今夜親友に相談して明日か明後日までに確乎かっこたる返事をすると云ってひとまず帰った。

男の烈しい主張と芳子を己が所有とする権利があるような態度に、時雄は疑惑を起こした。

京都嵯峨行きを弁解させるべく、身の潔白を証するためにその前後の手紙を見せるように芳子に迫った。芳子は、手紙は焼いたといって顔が赤くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐ろしい力で彼の胸を刺した。欺かれたという念が烈しく心頭をついて起こった。

芳子が田中と霊肉の関係があったことを知り、欺かれたと思い帰郷させる。

時雄のその夜の煩悶は非常であった。欺かれたと思うと、業が煮えて為方せんかたがない。

芳子の霊と肉、その全部を一書生に奪われ、その恋について真面目に尽くしたかと思うと腹が立つ。あの男に身を任せていたくらいなら、その処女の貞操を尊ぶには当たらなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。

芳子も煩悶したようだった。その煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。

午飯ひるめしも夕飯も食べたくないという芳子を心配した細君がわんを勧めに二階に上がると手紙を書いていた。

それは時雄宛の手紙だった。

私は堕落女学生です。先生の厚意を利用して欺きました。どうかお憐みください。新しい明治の女子としての務めを行っておりませんでした。私は田中に相談して、このことばかりは人に打明けますまい。過ぎたことは仕方がないが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど先生の御煩悶が私の至らない為と思いますとじっとしていられません。憐れなる女をお憐み下さいまし。先生におすがり申すより、道がないのでございます。

時雄は、地の底にこの身を沈められるかと思った。

時雄は階段を上がり芳子に「こうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜、これから父様のところへ行き一部始終を話し、国に帰るようにした方がよい」

こうして時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。

芳子は父親と帰ることになり、時雄は芳子との思い出と空想に耽った。

田中は翌朝、時雄を訊ねた。

霊肉共にした恋人のならいとして、いかようにも離れまいとするのであった。

「いや、もう問題は決着したです。芳子が一部始終をすっかり話した。君等は僕を欺いていた、大変な神聖な恋でしたな」と時雄は云った。

田中の顔は変わり、羞恥の念と激昂の情と絶望の悶えが胸をいた。

「もう止むを得んです、僕はこの恋に関係することが出来ません。芳子を父親の監督に移したのです。」と時雄が云うと、田中は此処を出て行った。

父親は芳子を伴って来た。今夜六時の神戸急行で帰国するという。

時雄は以前より軽快であった。もうその美しい表情を見ることが出来なくなると思うと侘しさを感じるが、恋せる女を父親の手に移したことは愉快であった。

田中がまたやってきたが、会うことが出来ずに去った。

昼飯の膳が並んだ。これでお別れだというので細君が酒肴さけさかなを揃えた。芳子はどうしても食べたくないという。二階に上がると芳子は眼を泣腫なきはらして荷物の整理をしていた。

三年前、青春の希望湧くがごとき抱いて東京に来た時と比べて何という悲惨、何という暗黒であろう。

午後三時、車が三台来た。行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んだ。

時雄は、父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。五時には新橋の停車場行って、二等待合に入った。

時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶を慰めてくれただろう。

一度、節操を破ったということが、却って年多く子供のある自分の妻たることを容易ならしむる条件となる。田中が立っていた。芳子はこれを認めて胸をとどろかした。父親は不快を感を抱いた。空想に耽って立ち尽した時雄は夢にも知らなかった。

汽車は動き出した。

芳子が残した布団を敷き夜着をかけ、女の匂いを嗅ぎ顔を埋めて泣いた。

さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に訪れた。生活は三年前のむかしわだちにかえったのである。

五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐しい言文一致ではなく、礼儀正しい候文そうろうぶんで、あった。

時雄は、雪の深い十五里の山道と雪に埋もれた山中の田舎町を思いやった。

別れた後そのままにしておいた二階に上がった。懐かしさ、恋しさの余り、かすかに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。机、本箱、びん、紅皿、依然としてもとのままで、恋しい人はいつものように学校に行っているのではないかと思われる。

時雄は机の抽斗ひきだしをあけてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。それを取って匂いを嗅いだ。ふすまをあけてみた。芳子が常に用いていた蒲団―萌黄唐草もえぎからくさの敷布団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられていた。

時雄はそれを引き出し、女のなつかしい油の匂いと汗のにおいが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着のえり天鵞絨びろうどの際立って汚れているに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

性慾と悲哀と絶望とが時雄の胸を襲った。時雄はその布団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れた天鵞絨びろうどの襟に顔を埋めて泣いた。

薄暗い一室、戸外には風が吹暴ふきあれていた。

解説(ここを読み解く!)

●露悪でキモイが、時代の空気感や男女の価値観が今でも伝わってくる。

それまであった戯作的なものでもなく、かといって海の向こうの西洋の話ではない。当時の時代や男女の価値観、世代間の考え方などが現代の読者に自然に入ってくる。本作品は、花袋が「東京三十年」で回想したとおり、作家として自己を赤裸々に描くという挑戦でもあった。つまり意図して、この作品は書かれているのである。

既に江戸は遠くなり旧来の因習と明治の開明的な考え方が女性の人生にも生き生きと芽生えるさまが伝わる。当時の事情を、現代人の感覚でも充分に読み取ることができる。この作品はセンセーショナルなものだった。田山花袋自体も、二十一歳の時に、尾崎紅葉が主催する硯友社の門をたたきながらも十年間の不遇時代を経てこの作品で一躍、文壇の寵児となる。

時代や女性観として、時雄の考える「旧来と異なりこれからの女性は、自覚し依頼心を失くし、男に依存せずに、自ら考え自ら行うという」に対して、最後には芳子が「先生に教えていただいた新しい明治の女子としての務めを行っていず、旧派の女で新しい思想を行う勇気がないこと」という時代の価値の狭間を感じさせる。ここで旧派と新派の両世代を取り込める。

何より面白いのは、まさに赤裸々に描かれた時雄の心象で、妄想、泥酔、妻への八つ当たり、自己欺瞞そして最後は自己憐憫と感情は移ろい、しがない中年男の倦怠から芽生えた若い女弟子へのキモくて露悪な思いをユーモアたつぷりに描いている。

●現実を赤裸々に描き衝撃を与え、その後の私小説の方向性を決める。

渠(かれ)は性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有(も)ってる。(中略)世間からは正しい人、信頼に足る人と信じられている。

善良な時雄が、芳子に懊悩するからおもしろい。つまりは「周囲の世間からは正しい人で、信頼される常識人である」自分が、実はこのような妄想癖を持ち、恋し、策を練り、うまくことを運んでいたと喜ぶ。

しかし芳子と田中の関係がすでに霊肉の関係に及んでいたことに愕然とし、そしてこの「判断力を見失うほどに夢中になる」ことができない自分が、最後には女の残した夜着に顔を埋めて泣くというその赤裸々な告白が、露悪な趣味と同時に、当時の人々に衝撃をあたえる。

内面の心理描写が面白い、さらに作品の中でも竹中時雄は「美文的小説家」として登場するが、 花袋が硯友社の尾崎紅葉に師事した美しい文章は、移り変わる自然の描写などに表れているし、芳子の女心などは西洋の作品を引用し巧みに表現されている。

ただ内面をあからさまに表現することで、この作品を通してモデルとなった芳子と田中は実在の人物であり、その後の人生においていろいろと世間の耳目を集めることになる。

それでも小説家の創造の中の話であり現実と虚構が相まっている。とくに内面描写は作家自身の視線でもある。ここも含めてそれ以降の心の内側を表現していく日本の近代文学の方向を決定した作品として大きな意義を持っている。

作品の背景

自然主義文学は、日本は20世紀前半に影響を受けた。ゾラの小説に見られた客観性や構成力は失われ、日本では自然主義とは内面を赤裸々に描くものと解釈され、独特な私小説の世界を生み出す。田山花袋は日本の自然主義運動の主唱者であり推進者であり「蒲団」は、その代表的な作品となる。その描写は、中年男が女子学生を密かに想う内容だが、今の時代感覚ではさして驚きはない。しかし当時は江戸から明治へ駆けて、これまでの戯作文学から西洋文学を取り入れた新たな日本の文学を模索した時期であった。花袋は、多くの外国文学を読み、作品の中にもツルゲーネフやイプセン、モーパッサアンの一節が登場する。西洋の自然主義の概念とも全く異なる日本の自然主義文学がその後の私小説に転じた大きな功績が、この「蒲団」である。

発表時期

1907年(明治40年)、『新小説』9月号にて発表。当時、36歳。日本の自然主義文学を代表する作品となる。自然主義文学は、19世紀末にフランスで提唱されたエミール・ゾラにより定義された文学運動で、作品として「ナナ」や「居酒屋」などがあり、自然の事実を観察し真実を描くためにあらゆる美化を否定したものでした。日本では、その内面をありのままに描くこととなり、同時に「蒲団」は、私小説の出発点に位置する作品でもあります。