小林多喜二『蟹工船』あらすじ|地獄の虐使に、決起する人々。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

解説

労働者階級への非人道的な酷使と、自然成長的な闘争を描く。

ソヴィエト領のカムチャッカの領海まで侵入して蟹を獲り、これをすぐに加工して罐詰かんづめにするための<工船>は、港の間を航海する<航船>でないために航海法を適用されない。

『蟹工船』は、缶詰工場を備える漁船で北洋漁業に出る人々が、奴隷労働を強いられ、次第に自然成長的に闘争の形態をとっていく物語である。会社側の監督 浅川が労働者を虐使する「国家的産業の帝国主義的本質」を暴き出していくものである。

季節労働者として雇い入れられる人々は、貧困層から募集された百姓、坑夫、漁師、土方、学生、貧民街の少年などで、人間的な最低の権利すら剥奪され会社の利潤のために酷使される。劣悪な労働環境に集う貧しい北方の人々だ。

日露戦争の頃に活躍したボロ船の蟹工船の母船と数隻の漁を行う川崎船。劣悪な環境で組織化を恐れるなかで、ばらばらに集められた季節労働者の乗船理由や人生。会社や国家の意のままに酷使されていく日々。そこに蟹漁での高揚感や気分が漂う。

難破した川崎船をロシア人が救出し、ロシア人たちのプロレタリアの思想を聞き、「当たり前」の考え方だと思う。しかしそれは当時、都合の悪い「赤化運動」として牽制されていた。

抑圧された一人ひとりの感情が群衆のちから・・・として結集し、次第に虐使に忍耐が沸点に達し、いくつかの非人道的な仕打ちによる発火点から自然成長的に「サボ」から「ストライキ」に発展していく。

物語は非人道的で過酷な労働下で増大する反抗の兆し、儲ける資本家への憤懣ふんまんと抑圧された人々の爆発に達するまでの過酷な日々の連続を描写する。

変化していく細やかな心理を緻密な船内の状況や海の自然描写と、国家と財閥と軍隊の関係、皇国史観の問題など当時の時代を映しながら“国策”としての帝国主義の一断面をえぐる。

貪欲な資本主義のなかで、如何に社会主義が生まれるかを訴えた文学。

“労働者の団結”という言葉は今では古めかしいが、当時の日本の時勢、北海道開拓の名目で虐使され、蟹工船での漁業に従事した人々には、容赦ない虐待のなかで「未組織からの組織化」はいかに困難であったかがうかがえる。

当時、隆盛したマルキシズムや共産主義運動だが、現在の日本は共産主義は選択されず資本主義である。労働組合は組織され労働者の声は一定の反映はあるし、労使の関係も協調しているように見える。

しかし労働人口8,000万のなか4割が非正規社員で、賃金の安い外国人労働者も一定存在し、今後も入管法改正で加速されるだろう。またグローバリズムのもと資本家や大企業の株主だけが潤っていき格差が広がってきている。さらに広い視野に立てば、労働力を日本人の視界に入らないアジアやアフリカなどの国への依存し、人種差別や過酷な違法労働は国際的な人権問題としても警鐘を鳴らす。

蟹工船の時代に虐げられる人々の側に身を投じ、そのためのプロレタリア文学に人生を捧げた作家、小林多喜二。最後は特高警察の拷問で死んだ享年二九歳の青年の強い問題意識を抱えた作品である。

より構造化された社会は硬直し政治不信のなか人々は生きるが、一人ひとりの力では改善することは難しい。それでも哲学や文学で自身の軸足を盤石にしながら、どのように社会の声として反映させるかを、考え続けて行かなければならない。

作品の背景

小林多喜二の「蟹工船」は日本の革命的プロレタリア文学の代表作。小林多喜二が北洋漁業に詳しい人から取材した作品である。この小説は、1920年代の国策として進められる蟹漁が舞台。国から委託された雇用者に対する蟹工船で酷使される貧しい労働者たちの戦い。船での生活や荒海と蟹漁の過酷さが細やかに描かれている。モデルとなった船は、実際に北洋工船蟹漁に従事した博愛丸である。

特に主人公はなくくの労働者の群像劇となっている。作中の献上品となるカニ缶詰めに対して「石ころでも入れておけ!かまうもんか!」という記述が対象となり小林多喜二は不敬罪となる。最後は拷問死であった。現代の若い世代における非正規雇用の増大と働く貧困層の拡大などの社会的背景のなか、本作品は再評価されている。

発表時期

1929年(昭和4年)、文芸誌『戦旗』にて発表。この文芸誌は “文学を通してプロレタリアートの階級闘争に役立たせる”との主旨で、前年に設立された全日本無産者芸術連盟の機関紙である。小林多喜二は当時25歳。この作品でプロレタリア文学の旗手として注目を集める。同年には、アメリカで株が大暴落し世界恐慌が始まる。

昭和3年にマルクス主義の実践として国体を変革するとする共産主義運動者の逮捕・投獄を可能にする治安維持法成立の背景となった三・一五事件を題材にした『一九二八年三月十五日』を発表している。

作品中の特高警察の拷問の描写が怒りを買い、この『蟹工船』で不敬罪を受ける。そして治安維持法で起訴され刑務所に収監、その後 保釈出獄したが、引き続き共産主義運動に関わり1933年2月2日に特高警察に逮捕され、その日のうちに虐殺された。29歳4ヵ月であった。