中島敦『山月記』あらすじ|虎とは何か、尊大な羞恥心の変態した姿。

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概要>李徴は比類ないほど優秀だが、我儘で自信家のため役人を辞め詩人を目指す。しかし詩作するも評価は上がらず「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」により発狂し虎にかわる。そして親友の袁傪に人間として不適格な自分を恥じ、苦悩の中で虎として孤高に生きていく。

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登場人物

李徴(りちょう)
学才豊かで、優秀だったが我儘で自信家のためついには虎に身を変え生きる。
袁傪(えんさん)
李徴と同期で、温和な性格で李徴の我儘を包容力で受け入れることができた。

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あらすじ(ネタバレあり)

李徴は天才だが我儘で自信家ゆえ、官を辞めて詩人を目指すが挫折する。

唐の時代、隴西ろうせい(=地名)の李徴は、学識が豊かで才能と知恵があり、若くして科挙の試験に合格して、江南尉こうなんい(=唐代の行政区である長江以南の地域の官職)に任じられた。

しかしその性格は、我儘で人と和合せず、うぬぼれやで自信家のため、地方役人に甘んじることに不満を持っていた。こんなふうに地方役人のまま、つまらぬ上官に従うよりは、詩人として、自分の名声を死後百年まで残したいと思った。

そこで役人を辞めて故郷でひたすらに詩作に没頭したが、評価されず、生活は苦しくなっていった。

次第にあせり苦しみ、すると顔つきも変わり、肉は落ちて眼光だけが鋭くなり、初登庁のころの美少年の面影はどこにもなくなった。

数年して、貧しさに堪えられず、妻子の生活のため再び地方役人の仕事に戻った。

この間、かっての同僚は遥か高位に進んでおり、昔、歯牙にもかけなかった連中から命令を受けなければならぬ状態で、自尊心のつよい李徴は屈辱的な思いをする。彼は、気持ちが晴れずに、その言動はますます非常識かつ不道徳になっていった。

ついに発狂した李徴は虎となり叢で生き、親友、袁傪と懐かしく再会する。

そして一年後、河南地方へ出張したときについに発狂した。

ある夜、急に血相を変えて跳ね起き、訳のわからない言葉を発しながら闇のなかへ駆けだして二度と戻ってこなかった。その後、李徴がどうなったかを知る者は誰もいなった。

翌年、監察御史かんさつぎょし(=地方を巡回して行政を監察する役人) の袁傪という男が巡回を命じられて商於しょうお(=地名)の宿駅に泊まり、明け方に出発しようとしたところ、宿駅の役人が「ここから先は、人喰い虎がでるので昼にしたほうが良い」と言う。

袁傪は、従者を多くともにしていたのでそれでも出発した。月あかりをたよりに林中を通っていると、一匹の猛虎が叢から躍り出た。

虎は、あわや袁傪を喰おうと躍りかかるところだったが、身を翻して叢に消えた。そして人間の声で「あぶないところだった」と幾度も呟くのが聞こえた。

袁傪は、聞き覚えがあるその声に驚愕して「わが友、李徴ではないか」と叫んだ。

袁傪は虎となった身を嘆く李徴に、変わらぬ友情で接して会話する。

袁傪と李徴は、ともに科挙の登用試験に合格し登庁した間柄で、李徴にとっては最も親しい友人であった。温和な袁傪の性格が、李徴とぶつかり合わなかったのである。

叢の中から、しばらくしてすすり泣くような低い声で「いかにも隴西の李徴」と答える。

袁傪は、馬を下りて懐かしく挨拶をした。そして「なぜ叢から出てこないのか」と問うた。

すると李徴は「友の前にあさましい姿をさらせない、もし姿をあらわせば、きみを怖がらせるだろう。だがこうして偶然にも友と会うことができて、恥ずかしさも忘れるほどに懐かしい。どうかほんの少しでよいから、この醜い姿をさけずに友であった私と話をしてくほしい。」と言う。

袁傪は、叢の傍らに立って都のこと、旧友の消息、自身の現在、それに対する李徴からの祝辞と昔のようにいろいろと語り合った。

李徴は、虎に変わった身の上を、僅かばかり残された人間の時間で話す。

そして袁傪は、李徴にどうして虎の身になったのかを訊ねた。

すると李徴は、一年前、出張先で泊まった夜に、ふと目を醒ますと闇の中から誰かが呼んでいて、応じて外へ出てみると自分はその声を追いかけ走り出した。無我夢中で駆けていくといつしか山林に入り気づくと左右の手を大地につけて走っていた。

体中に力がみちた感じで、岩石を跳び越え手先や肘には毛が生じていた。谷川に自分の姿を映すと虎になっていたという。

死のうと思ったその瞬間、一匹の兎が目の前を過ぎるのを見て、自分のなかの人間は姿を消して、再び人間に戻った時には、自分の口は兎の血にまみれていた。

それが最初の経験で、その後は虎として獰猛に生きてきた。

ただ、一日の中に数時間、人間の時間が戻ってくる。その時は、人間の言葉も使うし、人間の思考もできる。そして人間の心で、虎の自分の残虐な行いを見て、自身の運命を振り返ることが情けなく恐ろしく、腹立たしい。そうして今では、その人間にもどる時間も短くなっている。

今まではどうして虎になったのかと悩んでいたのに、このごろは、どうして以前は人間だったのだろうと考えるようになり恐ろしい。もう少し経てば、すっかり人間の心はなくなってしまうだろう。そうなれば、次はきみをほんとうに食べてしまうかもしれない。

最後の証として李徴は詩篇を預けるが、袁傪は何かが足りないと思う。

そして、自分が人間でなくなってしまう前に、頼みたいことがあるという。それは、自分は、詩人として名を成すつもりでいた。しかしその夢も実現せずこのような運命になった。

そこで、かってつくった詩作の数百編、それは世間に知られないまま埋もれてしまうだろう。諳んじれるものが数十あるのでこれを記録してほしいという。

偉そうに詩人づらをしたいのではなくて、巧拙は別として、このように心を狂わせてまで生涯執着したものを後世に残しておかないと死んでも死にきれないという。

袁傪は、部下に命じて記録させた。李徴の声は、叢の中から朗々と響いた。

長短三十篇、それは格調高く優雅で、発想も抜きんでており、才能の非凡さを思わせるものばかりだった。しかし、袁傪は、感嘆しながらも第一流の作品になるには何かが欠けていると思った。

そして李徴は、自らを嘲るように、恥ずかしいことだがこのような情けない身と成り果てても、自分の詩集が長安の知識人たちに認められるのを夢見るという。

自我と我儘に潜む「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」に逆らえなかった。

李徴は、なぜこんな運命になったか、思い当たることもあるという。

それは、人間であったときに、周囲との交わりを避け、人々は己を傲慢だ尊大だといった。実はそれが、恥ずかしさであることを人々は知らなかった。

もちろん自尊心がなかったわけではないが、それはあくまで臆病な自尊心である。

詩で名を成そうと思っているのに師に就いたり、師友と交わり切磋琢磨することを避けた。自分の臆病な自尊心と尊大な羞恥心のなせることである。

自分に才能がないことを見破られることを恐れ、努力して磨こうともせず、才能がないことを知っているくせに、平凡な人々と交わることも出来なかった。そして次第に世間や人と遠ざかり、自身を怒りそして恥じて、ますます臆病な自尊心を大きくするばかりだった。

人間は誰もが猛獣使いであり、その猛獣とは己の場合はこの尊大な羞恥心だった。

それが妻子を苦しめ、友を傷つけ、姿を虎に変えてしまったのだ。才能の不足が明るみになることを恐れ、そして努力をしなかったことがすべてだった。虎に成り果てた今、ようやくそのことに気がついた。

妻子の面倒をお願いし、運命を受け入れ虎として生きていく。

それを想うと悔いが残るが、もはや人間としての生活はできない。己のこのたまらない思いになる時には、山の頂に上り空谷に向かって吼える。でも誰も己の気持ちを理解してくれることは無い。

あたりは暗さが薄らぎ、夜明けを告げる角笛が哀し気に響き始めた。虎に戻られねばならぬ時が近づいたと李徴は言い、別れの前にもうひとつ妻のことを頼みたいという。

己がもう死んだと、きみから妻へ伝えてもらえないだろうか。今日のことは明かさないでほしい。そして厚かましいお願いだが、今後も妻らを憐れんで世話していただけないだろうか。

叢から慟哭の声が聞こえた。袁傪も涙を浮かべ、よろこんで李徴の願いを聞いた。

すると李徴はまた自らを嘲っていった。本当ならまずは妻子のことを先にお願いすべきなのに、己の詩作のことを先に気にかけるような男だから、こんな虎に身を落とすのだ。

そしてこれからはもうこの道を通らないでほしい、自分は虎となって友に襲いかかるかもしれない。これから別れて前方にある丘を上ったらこちらを振り返ってほしい。

自分の今の姿をもう一度お目にかけよう。勇を誇ろうとするのではなく、醜悪な姿をみせることで、再びここで自分に会おうという気持ちを君に起こさせないためである。

袁傪は、こころからの別れの言葉を述べ馬に上り涙の中を出発した。

丘の上についたとき、言われた通り振り返った。一匹の虎が草のしげみから道の上に躍り出て、白く光った月を仰いで咆哮ほうこうしたかと思うと、叢に戻り再びその姿を見なかった。