太宰治『お伽草紙/浦島さん』解説|年月は、人間の救いである。

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解説

新説では浦島さんはその後十年、幸福な老人として生きました。

浦島は旧家の長男で、男振りが良く風流を愛する品行正しい男。しかし妹には冒険心が無いと冷やかされます。またとかく世の中は口うるさい批判ばかりが多いと嘆きます。

ある時、助けた亀はその御礼に浦島を竜宮城へお連れしようとする。そんな法螺話は最初は信じなかったが冒険心が無いと常々、妹からも言われているので、浦島はそれならと亀の甲羅に乗った。

海深く辿り着いた竜宮城は、「聖諦しょうたい=(仏教の言葉で聖なる真理)」といわれ地上の風流など比べ物にならない。何もが許されて自由である、そこには他人の批評など何もない。ひととき竜宮城で遊ぶ浦島ですが、それでもケチな陸上が恋しくなる。

お土産の五色の二枚貝の玉手箱をいただき、亀に乗って帰り陸にあがると何もかもが変わっていた。

そして浦島が箱を開けると三百年の月日が経っていた。それは人間に訪れる多くの苦悩の時から救い、それから十年、幸せに生きたという。一気に年月を超越したことに、新たな結論を与えたわけである。

それは時が過ぎ去って行くことは、とても幸せな事なのだということである。

子供に絵本を読み聞かせながら書かれた新説、お伽噺。

冒頭の前書きに、

物語を創作するというまことに奇異なる術を体得しているのだ。ムカシ ムカシノオ話ヨなどと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられているのである。

引用:太宰治 お伽草紙

当時、日本の敗戦は色濃く、容赦なく傷痍爆弾が落とされ、日本人は安全を求めて逃げ惑っていました。太宰は、この「お伽草紙」を防空壕の中で、子どもたちを守りながら原稿を握りしめていました。

生命の危険に晒されながらも子どもたちには絵本を読み聞かせ、胸中では太宰流に日本古来の昔話に新解釈を加えている。

それは戦争という極限の有事の中にあってもひるむことなく、大人たちへ向けて風刺に満ちた創作活動を続ける太宰の気概でもありました。

Bitly

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太宰晩年の作品にあたります。昭和20年3月に「前書き」と「瘤取り」の執筆にかかりますが、東京大空襲となります。その後、甲府市の妻の実家へ疎開を決断し、5月から「浦島さん」「カチカチ山」、6月から「舌切り雀」が書かれます。7月7日未明、ついに疎開先も焼夷弾攻撃をうけ妻の実家も全焼。知人宅に身を寄せ、28日、妻子をつれて東京を経由して津軽に向かいます。31日、津軽金木町の太宰の生家に着きます。『お伽草紙』の巻頭にも記されている通り、太宰はこの話を防空壕の中で子どもをあやしながら書き上げていきます。

発表時期

1945(昭和20)年10月、筑摩書房から刊行。短編小説集として「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」の4編を収める。太宰治は当時36歳。まさに戦火が熾烈を極めるなかでの創作活動です。空襲が激しくなり物資の欠乏から作品発表の場が制約されていく中、これほどの創作活動を展開した文学者は文壇にはいませんでした。