芥川龍之介『猿蟹合戦』解説|蟹は死刑!価値観は急に変化する。

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本作品のメッセージと感想

仇討ちはご法度、法治主義にもとづく近代社会のストレス。

典型的な「猿蟹合戦」では、狡猾で親蟹殺しの忌々しい猿に対して、子蟹は、猿の意地悪に困っていた仲間たちと力を合わせて仇討ちをするのですが、芥川のお話では、その後の蟹と仲間たちは悲惨な結末になっているようです。

近代社会においては法治主義にもとづき罪を裁くことは当然でしょう。罪は蟹殺しです!

被告を守る側の弁護士でさえ、最初から負けを確実視しており、せいぜい裁判官の同情を買うしかないとサジを投げています。

新聞雑誌の意見は優勝劣敗のこの世の中で、己の無知と軽率に対して逆恨みをしており愚者か狂人であるとしています。

商工会議所会頭、大学教授、社会主義の某党首、某宗の管長某師などの知識人の見解も裁判所の判決にそれぞれの立場から賛同します。

つまりマスコミ、経済界、大学、政治、宗教と社会を構成するすべての分野でこの判決を支持しているのです。

あの狡猾な猿に親蟹を殺された子蟹とその仲間たちによる溜飲が下がる仇討ちと勧善懲悪のお伽噺のその後は、社会から全くの四面楚歌と極刑が待っていました。

いや、ひとり武士道精神があると蟹を味方する酒豪兼詩人の代議士が同情しますが、時代遅れと一蹴されます。

死刑執行をした関係者も誰一人として罪悪感は無く、良いことをしたと考え、平和のために悪をひとつ天国に送ったと考えているのです。

その後、蟹の家族は、バラバラになり三男は、また握り飯を拾い、学習経験がなく同じことを繰り返そうとしている。

つまり「猿蟹合戦」のお伽噺は、いかに理不尽であっても仇討ちは禁止、意趣返しは状況次第では死刑になることもあり、手伝えば無期懲役になり、家族も不幸になりますよというお話です。

何だか割り切れない気持ちですが、皆さんきちんと現代社会を学習してくださいね、という芥川の忠告です。

確かに理性ではその通りなのでしょう。しかし感情はどうか?心をよぎる気持ちは理不尽な犯罪や暴力ほど、人は苦悩するはずです。そしてどこか人情の無くなった寂しい世の中な感じがします。

まさに芥川の記すセンティメンタリズムです。

そして芥川は尚、諭すように最後の言葉で締めくくる。「とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺される」ことだけは事実である。そして読者に向けて、“君たちもたいてい蟹なんですよ”。と告げます。

蟹とは何か、天下のためとは何か?人間のありかたを学ぶ。

芥川の示す蟹とは、当時の大正時代の読者のことであり、一般の人々です。

どちらかといえば、日本のこれまでの伝統や習慣を重んじる庶民感覚の人々が多いのではないでしょうか。お伽噺はさまざまに伝承されて変形していますが、ここで取り上げた典型的な「猿蟹合戦」のお話は、庶民は、親思いの子蟹と仲間たちの協力で勧善懲悪や道徳話で理解しているのです、最後の死は極端ですが、力を合わせた意趣返しが面白く描かれている。

しかし現実は、さまざまなお伽噺は時代とともに、その内容が変わっています。 そのことは昔のものと現代のものを比べればわかります。

芥川は、大正の時代感覚で「猿蟹合戦」のその後を読者に説明したのです。

江戸であれば、武士階級の仇討ちは認められます。それでは猿とは、だれのことか。あるいは天下のために殺されるとは、どういう意味かとなります。

芥川は断定を避けていますが、それは権力側であり自ずと国家を比喩しています。

近代化を成し遂げた国民国家で仇討ちなどの無法は論外ながら、ここで怖いのは蟹とその仲間たちに情状の余地が全くないところです。人権の擁護は裁判官のサジ加減一つです。つまり国家のサジ加減一つです。

そのことは優勝劣敗の世の中、無知と軽率、そして私怨ということでかたづけられました

では猿の詐欺と親蟹殺しはいかに処罰されたでしょうか。物語のなかの裁判官の見解は、庶民感覚は少しもないようです。仇討ちなど前近代的な行為は死刑として、近代国家の範を示そうとしています。

となれば芥川の真意を裏読みすれば、一般の人々は、国家に相応の猜疑心を持ち、裁判の公正などを期待せず、用心してかかれということになります。

1873年、明治6年に、仇討ち禁止の最初の法律が江藤新平の出した復讐禁止令です。

近代国家として法治国家であることを内外に示す必要があり、幕末から維新期の派閥、政論の対立による紛争を完全に立ち切る必要もありました。

日清・日露の戦いに勝ち一等国の仲間入りを果たし、第一次世界大戦の特需を経て、大正デモクラシーのなかで労働運動や社会運動が盛んになりますが、同時に、大逆事件のような反動もあり国家主義が強くなり、その後、昭和恐慌となり日本は暗い時代に突入していきます。

国家は絶対となり、全体主義の閉そく感は高まっていきます。

とにかく猿と戦ったが最期、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。

引用:芥川龍之介 猿蟹合戦

で締めくくられています。

このフレーズは、どこか恐ろしいブラックユーモアに満ちています。不気味な社会にならないように戦いたいですね!

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作品の背景

明治25年に生まれ、昭和2年に自殺した芥川ですが、富国強兵や殖産興業など日本の近代化は急速に進み、先進国と並ぶ国民国家を築きます。1873(明治6年)年に、仇討ち禁止の最初の法律が江藤新平の出した復讐禁止令です。近代国家として法治国家であることを内外に示す必要や、もとより幕末から維新期の派閥、政論の対立による紛争を完全に立ち切る必要もありました。

同時に強い皇国史観と共に、大正デモクラシーの民本主義の動きもありました。日清・日露そして第一次世界大戦の特需を経て一等国となりますが、その後、恐慌となり日本は暗い時代に突入していきます。国粋主義もあれば大逆事件のような反動もある。猿蟹合戦の最期の「天下の読者に寄す、君たちもたいてい蟹なんですよ」のフレーズは、パロディにこめたシニカルさでもあります。

発表時期

1923(大正12)年2月、中央公論社『婦人公論』3月号に発表。芥川龍之介は31歳。芥川は24歳で「鼻」を発表し尊敬する漱石より絶賛され、その後、人気作家としての道を歩みます。日本の民話「さるかに合戦」を元に後日談という形式をとっていますが、題材のなかに次第に閉塞していく時代状況がうかがえます。