芥川龍之介『河童』解説|嫌悪と絶望に満ちた人間社会を戯画に描く。

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作品の背景

河童は芥川の愛好していた空想の動物で、しばしば絵も描いている。この河童の世界に寓意性を持たせ人間の社会を戯画化すると共に自分を二重写しにした。

細やかに読んでいくと、ところどころに芥川の過去の名作の断片が意識されている。

それは羅生門の下人であったり、地獄変の猿だったり、極楽へと続く蜘蛛の糸だったり・・・その他にもいろいろあり、密やかに発見するのも面白い。

大正十年の中国旅行以来、芥川は健康を害していたが、ますます悪化をして十五年一月には、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症、痔疾などの療養のため湯河原に滞在、四月以降は静養のため鵠沼くげぬまに転地。昭和二年に東京田端の自宅に戻る。

昭和二年の一月に義兄西川豊の家が全焼。莫大な保険金がかけられており放火の疑いをかけられ義兄は鉄道自殺をする。さらに義兄には高利の借金があり、芥川はその始末に奔走する。このことで芥川は、妻と三人の子供の自身の一家と、姉の一家の面倒を見なければならなく、その神経的衰弱はますますひどくなっていった。

作中では、親からの遺伝、家族制度、恋愛、芸術、資本主義、法律、宗教など自身の問題を捉え、自殺を暗示するかのように河童の詩人トックの自殺と、さらには死後の世界を描いている。

発表時期

1927(昭和2)年、総合雑誌『改造』3月号に発表。芥川龍之介は当時34歳。当時の日本と人間社会を、自己嫌悪の心持ちのもとに批判、風刺した作品となっている。

最晩年のこの年は、『蜃気楼』『文芸的な、余りに文芸的な』『歯車』『或阿呆の一生』『西方の人』そして未発表の『続西方の人』と多くの執筆がなされたが、それぞれに死の覚悟と病的な精神の風景や宗教への帰依など芸術の完成への欲求に満ちている。

同年、7月24日に自ら命を絶った。この命日は「河童忌」と呼ばれる。