「謎解き草枕」その5

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⇒『謎解き草枕』目次

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三と四

 那美さんの顔に「憐れ」の表情を期待して行った芝居合しばいあわせでしたが、叶いませんでした。最終章、現実世界で元夫を見送る際、突然に「憐れ」が出現します。何故か?これが『草枕』における最大のミステリーでしょう。この謎を解くためにどれだけ注意深く本文を読み返しても、明確な理由を見つけることはできません。ミステリーとしては、不完全です。

 実を言うと、『草枕』は単独で完結していません。続きがあります。私が勝手に言っている訳では、ありません。6章にそう書いてあるのです。レッシングの「詩画は不一にして両様なり」に従わない、と宣言していたのも、6章でした。6章では、画工が難しい芸術論を延々と語るあいだに、作者がこっそり『草枕』の特徴を色々と説明しています。

 今わがにして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。

『草枕』6章

 作者が描きたい「心持ち」は複雑なもので、一つの作品『草枕』だけに収める事ができない、と述べられています。けれども、続けて

生き別れをした吾子わがこを尋ね当てるため、六十余州を回国かいこくして、寝てもめても、忘れるがなかったある日、十字街頭にふと邂逅かいこうして、稲妻いなずまさえぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないとののしられてもうらみはない。

『草枕』6章

 我が子を探すように、読者も諦めずに探し続ければ、あっここにヒントがあった!と思えるように、漱石先生は書いたのです。作者の複雑な「心持ち」は、『草枕』に収まりきらず、他の著作にはみ出しました。それらをつなぐヒント、キーワードが「三と四」なのです。

 草枕の物語は、「三と四」で構成されています。
「画工が夢に見た三人の女」=「シテ」ではなく、四人目の女の登場を待つことになりました。
そして、草枕は三層の入れ子構造だと言いましたが、お詫びして訂正致します。
 草枕は、四層の入れ子構造です

 画工は、芭蕉の真似をして夢幻能の世界に入りました。次に、那美の所作を芝居に見立て、絵合えあわせを真似た芝居合しばいあわせを行いました。結局、芝居ではなく現実世界に出たところで「憐れ」が成就するのです。読者も画工を真似て、現実世界に出てみましょう。現実世界を生きている、作者に会いに行きましょう。作者もそのつもりで、絵描きが主人公の『草枕』に相応ふさわしい待ち合わせの場所を選んで、読者を待っています。

①『文芸の哲学的基礎』

 『草枕』が発表されて約半年後、明治40年4月 東京美術学校 文学会の開会式。夏目漱石は、講演を依頼されました。はじめは嫌がっていた漱石ですが、「朝日新聞社員として、同紙に自説を発表すべし」という条件で引き受けました。録音技術も無い時代ですから、講演内容の速記を頼みました。けれど、とても長い難しい講演ですから、速記の内容は不十分でした。結局、漱石が全部を書き改めました。ですから完全な形で現在も読むことができます。もし講演依頼が無かったとしても、別の形でこの説を発表するつもりがあったでしょう。それが、夏目漱石『文芸の哲学的基礎』です。(あおぞら文庫で読めます)

 『文芸の哲学的基礎』と『草枕』併せて読むと、すべての謎が解けます。『文芸の哲学的基礎』は『草枕』の謎解き編です。最終章に入る前に、少々ややこしい話をしますが、ミステリー的に面白いのは、ここからです。

ここに三四ページばかり書いたノートがあります。これから御話をする事はこの三四ページの内容に過ぎんのでありますからすらすらとやってしまうと十五分くらいですぐすんでしまう。いくらついでにする演説でもそれではあまり情ない。からこの三四ページを口から出まかせに敷衍ふえんして進行して行きます。

夏目漱石『文芸の哲学的基礎』

 ほら、ここでも「三と四」の話を始めますよ、とさりげなく教えてくれています。
「三と四」の話、簡単にまとめました。先ず「三」

  • 「我」を二つに分けると「身体」と「精神」
  • 「精神」の作用を三つに区別すると「智」「情」「意」
精神の三つの作用
  1. 」を主に使って、物の関係を明らかにする人は、哲学者とか科学者になる。
  2. 」を主に使って、物の関係を味わう人は、芸術家とか文学者になる。
  3. 」を主に使って、物の関係を改造する人は、軍人、政治家、豆腐屋、大工、百姓、車引などになる。
  • 「智」「情」「意」の三作用は、別々に働くわけではない。たとえば文芸家が物の関係を味わうためには、物の関係を明らかにし、場合によって創作者として、この関係を改造しなくてはならないように、どんな人にも「智」「情」「意」の働きが必要である。

 続いて「四」です。文芸家には、もっと言えば人間には、四種類の理想があるという話。
「三」(智情意)との関係に注意してください。

文芸家の四種の理想
  1. 美の理想】感覚物(自然と人間)そのものに対する情緒。
  2. 善の理想】感覚物に対してが働く。愛、徳義的情操(忠、孝、義侠心、友情等)
  3. 真の理想】感覚物に対してが働くことによって、情を満足させる。
  4. 壮の理想】感覚物に対してが働く。荘厳に対する情操 ヒロイズム(徳義的情操+意志が発現)
  • 四種の理想は、平等な権利を有している。もちろん人によって好き嫌いの好みがあるのは仕方がない。しかし、ある理想が主張する上で、多少他の理想を損ねることがあっても、踏み潰すことがあってはいけない。
  • 現代の文芸においては「壮の理想」、とりわけ“heroism”がほとんど欠乏していて、「真の理想」が他を圧する程に勢力を得ている。

「美の理想」は、自然や人間の見た目等の表面的なものに対する感動だと考えて、良いでしょう。きれいだとか、趣があるとか、素敵な雰囲気だとか。その他三種の理想と「情・智・意」の関係をしっかり把握してください。
 「他を圧する程に勢力を得ている真の理想」と評されるのは、当時流行していた自然主義文学です。人間の弱さと醜さを容赦なく描く自然主義は「真の理想」に分類されます。

 「真・善・美」は、よく一括ひとくくりにされて使われる理想ですが、漱石が欠乏していると指摘する「壮の理想」という言葉は、目新しい感じがしますね。「壮の理想」とそこに分類される「ヒロイズム」について、漱石が講演で、詳しく説明しているので引用します。

冬富士山へ登るものを見ると人は馬鹿と云います。なるほど馬鹿には相違ないが、この馬鹿を通して一種の意志が発現されるとすれば、馬鹿全体に眼をつける必要はない、ただその意志のあらわれるところ、文芸的なるところだけを見てやればよいかも知れません。貴重な生命を()して海峡を泳いで見たり、()(ばく)を横ぎって見たりする馬鹿は、みんな意志を働かす意識の連続を得んがために他を犠牲に供するのであります。したがってこれを文芸的にあらわせばやはり文芸的にならんとは断言できません。いわんや国のためとか、道のためとか、人のためとか、「情」の場合に述べた徳義的理想と合するように意志が発現してくると非常な高尚な情操を引き起します。いわゆる懦夫(だふ)をして()たしむとはこの時の事であります。英語ではこれを heroism と名づけます。吾人の heroism に対して起す情緒は実際偉大なものに相違ありません。

夏目漱石『文芸の哲学的基礎』

 「懦夫だふをしてたしむ」とは、臆病者を奮い起たせるということ。「吾人」は「我々」です。
 たとえ馬鹿げたことでも、命懸けで何かを成し遂げようとする意志、勇気、覚悟の発現が「壮の理想」であり、その「意志」が「徳義的理想」と合わさったものがヒロイズムです。

『文芸の哲学的基礎』の「三と四」
「智・情・意」と「美・真・善・壮」 夏目漱石の芸術論です。


 この「三と四」すなわち「智・情・意」と「美・真・善・壮」の概念を見立てに使って、
「山道を登りながら、こう考えた」で始まる「草枕」=画工の思索の旅の物語
を組み立ててみましょう。