「謎解き草枕」その5

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⑤四度の「難有ありがとう」

 夢幻能に見立てた物語部分にも、「三と四」を当てはめて考えることができます。
画工がヒントをくれました。

「今朝は難有う」とまた礼を云った。考えると、丹前たんぜんの礼をこれで三べん云った。しかも、三返ながら、ただ難有う、、、と云う三字である。

『草枕』4章

4章で画工が那美さんに「難有う」を三度言ったことを意識しています。
三返ながら三字である」と妙に三を強調しています。そしてこの少し後、

難有ありがとう」また難有うが出た。

『草枕』4章

と、彼は四度目の「難有ありがとう」を言います。
「三」の繰り返し、でも全体としては「四」、という構造です。
それは「文芸家の四種の理想」に似せてつくられたのでしょう。
二つを図にしてみました。

上二つの図の中に「似ているもの」が3組あります。一番重要なペアは、

  • 「真・善・美」
  • 「真・善・壮」

このペアが全ての核です。「3つの内2つが一致する」という意味で似ています。
この形に似せて、作者がもう二組、つくりました。

  • 「オフェリヤ・長良の乙女・志保田那美」(画工の夢に出てくる女)
  • 「オフェリヤ・長良の乙女・鏡が池の嬢様」(水死したシテの女)

 夢幻能に見立てた物語なのに「夢に出る三人の女」と「水死した3人のシテ」が一致しないのは何故か?という疑問の答えです。画工に「壮の理想」が欠けているの原因ですが、2つの図を同じ形にするために、わざわざ作者がズレを作って「3つの内2つが一致する」という形にしたのでしょう。
芝居対決のお題でも同じことをしました。

  • 「智・情・意」(シテ達の本当の死因)
  • 「非人情・人情・不人情」(失敗に終わる二人の芝居合のお題)

 「意」≠「不人情」であり、他2つは意味が似ている、という点でこのペアも「3つの内2つが一致する」形にしました。作者の遊びでここにもズレを作ったのでしょう。短期間で書きあげられた『草枕』ですが、その構想は前もって入念に練られていたに違いありません。

 草枕には、印象的な「三」が散りばめられています。
「三本寄って、始めて趣のある松」「三茎ほどの長い髪」「仰数 春星 一二三」などなど。
繰り返し表現も、三回です。

  • 「驚いた、驚いた、驚いたでしょう」(9章)
  • 「すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す(10章)
  • 慥かにきょろきょろときょろつくようだ (12章)
  • 「それだ!それだ!それが出れば画になります」 (13章)

 真似る、似せる、繰り返す、が草枕の特徴です。
那美さんと長良の乙女とは「身の成り行きがよく似ております」と2章で茶店の婆さんが言いました。「身の成り行きが似ている」組み合わせを挙げてみましょう。

  • 「那美さん」と「長良の乙女」(二人の男に懸想された)
  • 「長良の乙女」と「鏡が池の嬢様」(水に飛び込んで自死した)
  • 「鏡が池の嬢様」と「那美さん」(好きな男との結婚を親が許さなかった)
  • 「ハムレット」と「サロメ」(叔父が父を殺し母と結婚した)

 境遇がそっくりで最終的にどちらも死ぬ運命の、ハムレットとサロメですが、男女の違いか性格の違いか、全く違う悲劇になっています。この面白さを読者に意識させるために、漱石は「身の成り行きが似ている」という言葉を使った、と私は信じています。

⑥画工と那美

 失敗に終わった芝居合も「三と四」を使って振り返ります。芝居合をしながら 無言の内に対話をしてきた二人の頭の中を考えてみましょう。

 画工は「長良の乙女」の和歌を「あの歌は憐れな歌ですね」と、那美さんに同意を求めましたが、「情」に近寄ることを避ける彼は、おそらく「長良の乙女」の立場や心情に寄り添っていません。ただ和歌の世界を古雅な「美」として見ているだけです。それを見透かした那美さんは、女ばかりが犠牲になる物語なんてつまらない!と「鏡が池の嬢様」を挙げました。女にだって、自我がある、自己を貫いて死ぬのよ!という反論でした。
 

 画工の考える「非人情」は、那美さんに恋文を書いた泰安の気持ちと同じです。いくら惚れても夫婦になる必要はない。しかし軽率に出戻り娘に接近した泰安は、大変な恥をかき、反省して修行に出ることになりました。大徹和尚が「——今によい智識ちしきになるようじゃ」と締め括りました。やっぱり、那美さんの言うとおり「非人情」=「智」なのです。

 「長恨歌」は情緒溢れる、美しい漢詩です。でも、また女が犠牲になる物語を出してきて、気の強い那美さんが、気に入るはずありません。不人情さでは負けない、惚れた男を殺す残酷な「サロメ」を出してきました。多くの画家たちは「サロメ」を刺激的な「美」として扱いました。たしかに破滅的なサロメですが、彼女の境遇を考えれば、ハムレットと同じなのです。
 「静」を好み「動」を卑しいとしていた画工にとっては、躍動感と緊張感のある絵画についての勉強になりました。

 芝居合で挙げられた物語を「四種の理想」と照らし合わせて、判定してみます。
画工編は「長良の乙女」「ハムレット」「長恨歌」
自己を犠牲にして死んだ優しい「長良の乙女」は「善」。哲学的な「ハムレット」は「真」でよいでしょう。難しいのは「長恨歌」です。悲恋を描いているものの、深く感情移入するような詩ではありません。1章で画工が、東洋の詩歌しいかは人情を解脱したものがある、と言っていました。漢詩には、あまり感情に立ち入らないものがあるということでしょう。楊貴妃という美人と恋の情緒を味わうだけの「美の理想」だと思います。
画工編は「善」「真」「美」。やはり「壮」の理想が足らない画工、という結果です。

 那美編は「鏡が池の嬢様」「ハムレット」「サロメ」
自己の意志を貫く「鏡が池の嬢様」は「壮」。凄味のある「サロメ」は「荘厳に対する情操」に当てはまりますから、これも「壮」です。
那美編は「壮」「真」「壮」
 漱石は「四つの理想は平等な権利を有しているが、好みは人それぞれ違う」と講演で強調しています。那美の好みは「壮の理想」に傾いています彼女が「善の理想」を好まないからと言って、悪いわけではありません。けれど、欠けているのは「善の理想」ということになります。

 この結論を踏まえて、最終章を読みます。(続く)

続きはこちら⇒謎解き『草枕』その6

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