遠藤周作『沈黙』解説|弱き者の痛みを分かつために、神は存在する。

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作品の背景

遠藤は旧制中学時代にカトリックの洗礼を受けている。人生最大のテーマとなった葛藤が「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」であった。

キリスト教の最大の救いの能力は、聖書に描かれるゴルゴダの丘を登るキリストとしている。罪人として拷問の末汚れにまみれ、自分を磔る十字架を背負い、しかも衆人から激しい罵声を浴びつけられる姿が、もっともみじめで、そして美しいとする。

宣教師ロドリコは、キチジローをユダとして、その裏切りで捕らわれ長崎を引き回される姿に重ね合わせる。

キリスト教の日本人信者は実は現世や来世で幸せになりたいだけであり、それは極貧や厳しい年貢の取り立てからの逃避願望であり、キリスト教の神の教えの真の尊さの理解は不十分で、教義を唱えても真の信仰は薄かったのである。

日本人は、個人や集団として現世や来世の利益が大切であり、そのためには思想を変更しても構わない、この原理は日本人にとって、あらゆる哲学や宗教原理よりも強いことが生々しく描かれる。沼地ではあるが、それが日本人の調和の仕方でもあり強みでもある。

日本のキリスト教会からの批判は、猛烈だった。司祭が踏絵を踏むという結末を快く思わないとするのは理解できるが、この神の『沈黙』は、人々の痛みを分かつという考え方だ。それに比し棄教者はキリスト教会にとっては“腐った林檎”として関心の外となると遠藤は指摘している。そのような棄教した人々への復権である。

読者は物語を通じていかに捉えたか。それこそが「宗教とは何か、祈りとは何か、救いとは何か」という根源的な問いを、一人ひとりが現実に即して考えることになるのだろう。

発表時期

1966(昭和41)年、新潮社より刊行。遠藤周作は当時42歳。12歳でカトリック教会で洗礼。1958年4月に『海と毒薬』を文藝春秋から刊行し、第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞を受賞しキリスト教作家として地位を確立。キリスト教を主題にした作品を多く執筆。日本の精神風土とキリスト教の相克をテーマとする。『沈黙』では、第二回谷崎潤一郎賞を受賞する。刊行から半世紀を経た2016年、アメリカのマーティン・スコセッシ監督により映画化される。