安部公房『砂の女』あらすじ|日常から逃れる、新たな生き方。

不条理な日々から遠ざかるために昆虫採集に出掛けた教師が、海辺の村落で砂穴に埋もれゆく一軒家に閉じ込められる。そこには一人の女が住み、女は男をひきとめようとする。逃れたい男と、巣ごもりする女。やがて男は、流動する砂の閉塞のなかで、新たな生き方を見つける。

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登場人物


仁木順平という名の三十一歳の教師で、趣味の昆虫採集に出掛け海辺の村に辿り着く。

老人
海辺の貧しい村落の村長らしき男で、仁木順平を砂穴の一軒家に閉じ込めてしまう。


三十歳前後の人の好さそうな小柄な女で、砂穴の底にある一軒家に一人で住んでいる。

村人たち
配給品を降ろしながら、砂の女と閉じ込めた男の二人の暮らしを眺め監視している。

あらすじ

男が一人、行方不明になる。休暇を利用して汽車で半日ばかりの海岸に出掛けたきり、消息を絶ってしまった。そして七年が経ち、民法第三十条により男は死亡の認定を受けることになった。

昆虫採集で海辺の村に辿り着いた男は、砂の穴の一軒家に泊まる。

八月の午後、木箱と水筒を肩から十文字にかけた男がある駅に降り、そこからバスに乗り、終点で降り、海辺に向かった。いつか地面は砂地に変わっていた。砂の上は潮の香りがたちこめ、突然、視界がひらけて小さな部落があらわれた。

そこは砂の斜面のほうが家の屋根よりも高くなり、家並みは砂のくぼみの中に沈んでいる。砂丘の頂上に立つと、頂上に近いほど深く掘られた大きな穴になり、まるで壊れかかった蜂の巣のようだった。

男の目的は、砂地にすむ昆虫の採集だった。

うまく新種を発見して、長いラテン語の学名と自分の名前が昆虫大図鑑に書きとめられ半永久的に保存されて、ながく人々の記憶の中にとどまることを考えた。

彼は砂漠の昆虫に関心を示し、代表的な昆虫のハンミョウを探す。そしてハンミョウを存在させる砂にも関心を持っていた。

砂とは岩石の破砕物中、流体で移動させられる大きさの粒子で、地上に風や流れがある以上、砂地の形成は避けがたい。流動化する砂のイメージは、彼に衝撃と興奮を与える。

それは年中しがみつくことを強要する現実の鬱陶うっとうしさと比べ、なんという違いだろう。砂は生存には適さないが、しかし、定着が生存にとって絶対に不可欠なものかどうか。男は定着に固執しようとするから競争も始まると考える。

彼はときおり、自分自身が流動しはじめているような錯覚にとらわれる。

砂丘の稜線が平たくなり、海と反対側の斜面を下りると大地があり、深い洞穴を見下ろす崖際に立っていた。その穴は幅二十メートルあまりの楕円形をしていて向こう側が緩やかに見えるのに対して、こちら側は垂直に近く感じられた。のぞきこむと穴の中に小さな家が一軒、ひっそりと沈んでいた。

いつのまにか村の漁師らしい老人が話しかけてくる。「調査ですか?」と訊ねるので、「昆虫採集ですよ!」と答えると、老人は引き返していった。五十メートルほど向こうに男が三人、老人を待っていてやがて相談をしはじめる。

老人はまた来て、私が「学校の先生だ」と言うと納得し、向こうの三人も満足して引揚げて行った。

それから老人に泊まる家を世話してもらい案内された家は、穴の中のひとつだった。

老人は「おい、婆さんよぉ!」と大声で叫んだ。「ここ、ここ・・・俵のわきに、梯子があるから・・・」と闇の中からランプの灯がゆらいで、答えがあった。

砂の崖は屋根の高さの三倍はあり、直角で梯子を使わねばならなかった。「気がねはいらんから、ゆっくり休んで下さい・・・」老人はそう言って引き返した。

穴の中の一軒家には一人の未亡人が住み、砂を掻いて暮らしていた。

ランプを捧げて迎えてくれた女は、三十前後の人が好さそうな小柄の女で、浜の女にしては色白だった。喜びを隠しきれない歓迎ぶりが有難く思われた。

家は壁がはげ落ち、ふすまのかわりにムシロがかかり、柱はゆがみ、窓にはすべて板が打ちつけられ、畳はほとんど腐る一歩手前で、歩くと濡れたスポンジを踏むような音を立てた。焼けた砂の蒸れるような異臭が一面に漂っていた。男はこれもまた面白い経験だと思い一泊させてもらうことにする。

「まず、風呂にしたいんだけれど」と言うと、「明後日にして下さい」と言われ、「明後日?ぼくはいませんよ」と男は大声で笑った。

女が食事を運んできた。魚の煮つけに貝の吸い物だった。食べ始めた彼の上に、女が番傘をさしかけてくれた。こうしないと天井から砂が降ってくるという。天井裏に砂が積もると天井板が腐るという。

女は一人住まいで、亭主と娘は去年の台風で砂に埋まって亡くなったという。上からもう一人分のカンカラとスコップが降りて来た。それは “私の分” ということだった。

外に出てみると、女が器用にスコップを使って石油かんの中に砂をすくいこんでいた。

砂が湿った夜の時間に砂掻きをして、砂が崩れるのを防いでいるという。夜は砂が露を吸って糊のように固まるが、午後になって乾くとどかっと落ちて来て、ひとたまりもないという。村人たちは夜中に砂掻きをするのが決まりになっているという。

穴の上のたわらにロープをあてがって、モッコの上げ下ろしをする。砂はモッコに乗せて上げられ、モッコの係は四人ずつ、全部で二.三組あるようだった。六回のモッコ作業で盛り上げてある砂が、平らになってしまった。「大変だね、あの連中も」と私が言うと、「うちの部落じゃ、愛郷精神がゆきとどいていますからねぇ」と女は言った。

これを朝までやるという。「まるで砂掻きをするだけのために生きているようだ」と男が言うと、「このやり方が、もっとも安上がりらしいんです」と女が言う。男は腹が立ってきて、さっさと部屋に引き返したが寝苦しかった。布団はますます湿っぽく、砂はますます肌にべたつく。あまりにも不当であまりにも奇怪だった。

ニワトリの声で目を覚ます。顔からも、頭からも、胸からも、つもった砂が、さらさらと流れ落ちた。唇と鼻のまわりには汗で固まった砂がこびりついていた。

女はイロリの向こうで素裸だった。顔以外の全身をむきだしていた。眼と呼吸器を砂から守るためだろうが、そのコントラストが裸体の意味をいっそう際立たせた。

男は女と二人きりで、砂の穴に閉じこめられてしまう。

男は出発すべく急いで身支度をして外に出た。すると信じがたいことに昨夜、俵のところにあった縄梯子が消えていた。

よじ登れそうなところを探した。海に面した北側は、家の屋根に登れば穴のふちまで距離はいちばん短いが十メートル以上はあり、急でひさしが危なっかしげだった。西側は比較的、傾斜がゆるく四十五度前後だが、一歩すすむと半歩ずり落ちた。やけになってもがくと穴の底にころげ落ちた。

男は縄梯子なわばしごが上から外されたのは女の了解で行われたことで、女は共犯者で裸体は生贄いけにえの姿勢にちがいない。まんまと策略にかかったのだ。蟻地獄の中に閉じ込められたと気づいた。

男は、突然、狂ったように、叫びだす。すると北側の砂のひさしがくずれ落ちてきた。

ちゃんとした戸籍を持ち、職業につき、税金も納めていれば、医療保険証も持っている、一人前の人間をわなにかけて捉えるなど許されていいものだろうか。

小屋に戻って女と冷静に話そうと試みる。女は、「もうお分かりでしょう」と言い、「本当に女手一人ではここの生活は無理で、これからは北風の季節で砂嵐の心配もある」と言う。

男は「自分だけでなく女も被害者であり、誰もあなたをここ閉じ込める権利など無い」と説明した。

縄梯子を取り上げられたのなら、木の梯子をつくればいい。砂の壁が険し過ぎるなら、傾斜を緩やかにすればいいと考えた。

男はスコップで砂掘りに熱中する。しかし掘っても崩れるのは掘った真上のほんの僅かな部分だった。確かめてみると、勾配は依然として元のままである。

一週間が経ち、男は砂穴から抜け出すことが難しいのを知る。

男は砂にうたれて気を失って以来、ずっと寝たきりだった。最初の二日は、三十九度近い高熱と執拗な嘔吐に悩まされた。長時間、直接日光にさらされながら馴れない労働を続けたためらしい。しかし四五日目にはすっかり回復したが、彼は仮病を装った。

三日間の学校で取得した休暇はとうに過ぎ、あれから一週間。そろそろ捜索願いが出されていてもいい頃である。教師くらい妬みの虫にとりつかれた存在も珍しい。彼等は自分をぼろ屑のようだと感じ、孤独な自虐趣味におちいるか、他人の無軌道を告発しつづける。勝手な行動にあこがれるあまりに、勝手な行動を憎まずにいられなくなる。

《姓名、仁木順平。三十一歳。一メートル五十八、五十四キロ。髪はやや薄く、面長。血液型はAB型。》

彼は久しぶりに新聞を読んでみたいと頼んでみた。尋ね人の広告が出ているかもしれない。素早く社会面と地方欄に目を通すが、失踪記事も尋ね人の広告も見当たらなかった。

新聞記事も相変わらずだった。欠けて困るものなど、何一つありはしない。日常とはそのようなものだ。だから誰もが無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえる。

男は作戦に出た。女を黙らせてさるぐつわをした。モッコはこびの声が近づいてきた。崖の上からかぎつきのロープが降ろされ、男はロープに指をからみつかせた。

ロープは途中まで引き上げられたが、そこで上の連中はロープの手を離した。男は半回転して落ちて行き、首の付け根から下に砂の上に投げだされた。

やがて “男手があるところへ” ということで、酒とタバコの配給があった。

財産持ちも貧乏人も働きがいのあるものは部落から出て行くという。人手が不足しこれまでに同じように絵葉書屋のセールスマンがいたが亡くなり、帰郷運動の学生は三軒おいた隣に今もいるという。

誰も逃げた人はいないし、一か所でも崩れると堤防にひびが入り危ないと女が言う。

男は女と関係を持ち、砂を掻く作業を受け入れる自分に気づく。

男は許可なしにスコップを持たないことを条件に、女の縄を解いてやる。

やがて最初の砂なだれが起こる。一日、砂掻きをしなかった影響を確かめた。二度目の砂崩れがはじまった。砂掻きを休んだ影響がついにあらわれた。男はスコップで板壁を壊し梯子の材料をつくろうとした。女は止めようとして組み合いになり、重なり、そのまま男と女の関係を持ってしまった。

水の配給を得るためには労働が必要だった。男はスコップを持った。女の声がした。崖に向かって呼びかけ、例の老人がロープの先に水が入ったバケツをたぐり降ろそうとしているところだった。

男は老人と交渉を試みた。この砂掻きの仕事が部落にとっていかに重要なことであるかの理解や、自分は砂の専門家でもあるので適材適所の協力の仕方があるとか、この場所を観光地にしたり農産物を開発したり砂防工事をしてはどうかなどと話すが、老人は今のやり方がいっとう安上がりといいながらロープを引き上げた。

そして「わしらに出来るだけのお世話はいたしますから」といって消え去った。

男は女と一緒にスコップを掘り進んだ。やがて砂の山ができ、石油罐に入れて広い場所に運び出す。移し終えると、また先に掘り進む。

もう思ったほどの抵抗は感じなかった。この変化の原因はいったい何だったのだろう。水を絶たれる恐怖のせいだろうか、女に対する負い目だろうか、それとも労働自身の性質によるものだろうか。

モッコが降ろされ予定量の砂が無事にはこび上げられると、ほっと緊張がゆるむ。

作ったロープを穴の上の俵に投げ掛け、抜け出すことができた。

男は暇をみてはこっそりロープの用意をしはじめた。着替えのシャツや女の死んだ亭主のへこ帯などをつなぎ五メートルほどになった。端に錆びたばさみを半開きにして棒切れを挟み固定した。もっと長くしたロープをつくり穴の上の俵に投げ、くくりつける予定である。穴の上の地形や地図は女から大まかに聞くことができた。

女が眼を覚ます直前にここを出て、日が沈むのを待って行動をすることに決めた。

心配な火の見やぐらからの監視も、日没前の三十分から一時間は、地表にもやがたちこめて視界がさえぎられる。実行は水が配給される土曜の夜を選んだ。

屋根に上がり、縄梯子を固定する俵めがけて何度か繰り返し、十何度目かでうまくいった。

四十六日目の自由は、はげしい風に吹きまくられていた。やがて部落の外れに出たらしく、道が砂丘の稜線に重なり視界がひらけ左手に海が見えた。あらためて砂丘の美しさの正体は何なのだろうと考えた。

自然のもつ物理的な規律や、正確さのためか、それとも逆に人間の理解を拒み続けようとする無慈悲のせいなのか。

砂を定着の拒絶だと考えた、おれの出発点に狂いはなかった。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる死の美しさなのだ。

男は部落から遠ざかろうとした。しかし同じところをぐるぐる歩いているような感じをしながら、女のことや村落の人々への復讐の方法などを考えた。

男はぬかるみにはまり動けず、村人に救われもとの穴に戻る。

何だ、これは!男はうろたえた。いきなり部落の全景が目の前にあった。部落に接した砂丘の峰に向かって直角に歩いてきたらしい。視界がひらけた途端に部落の中に入り込んでしまった。

男は走った。半鐘が鳴りだし、犬が吠え続け、子供たちが泣いている。

懐中電灯が彼を包囲し距離をつめてきた。どれだけ走ったろう。半鐘はなり続けていたが、もう距離も遠くなった。一見、不器用そうに見えた彼らの追跡は、実は海の方へ追いつめる計画的なものだった。知らずに彼は誘導されていたのだった。

急に走りづらくなり、足がぬかるみはじめた。沈んでいく。「助けてくれぇ!」「どんなことでも約束する!お願いだから助けてくれよ!」嗚咽おえつから号泣ごうきゅうに変わり観念した。

そして村の人々に助けられた。そして再び、穴の中に吊り下ろされた。

男は女に「失敗したよ」と言うと、女は男に「でもうまくいった人なんて、いないんですよ、まだいっぺんも・・・」と言った。

十月、日中はまだ足踏みが砂を焦がすが、陽が沈めば肌寒く感じられた。

男は《希望》と名付けたからすを捉える罠をしかけてみた。あわよくば手紙を書いて鴉の脚にむすび・・・むろん “あわよくば” の話である。男は脱出に失敗して、ひどく慎重になり、穴の中の生活に順応し部落の警戒を解くことに専念した。

女はラジオの頭金のために糸にビーズ玉をとおす内職をはじめた。男も単調な仕事に精を出すことにした。天井裏の砂はらいや米をふるいにかける仕事、洗濯などを日課とした。

睡眠中にかぶる小型天幕の公案や、焼いた砂のなかに魚をうめて蒸し焼きにする工夫などもした、新聞も読まなくなった。男は繰り返される砂との闘いや、日課になった手仕事にささやかな充足を感じた。

孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことである。

脱出を諦めた男は、やがて砂の中の自由を見つけだしていく。

女はここの砂は売り買いを組合がしていて自分たちに不公平なくしてくれると話す。部落の側からすれば、見捨てられているのはむしろ自分たちで、外の世界に義理立てするいわれは何もないという。

男は一日に一度、三十分でいいから海を眺めることを老人に相談すると、老人は「あんたたち、二人して、表で、みんなして見物している前で、雌と雄がつがいになっての、あれをみせてくれたら」と言う。モッコ運びの連中がどっと気違いじみた笑い声をたてた。

「どうしようか」と男が女に訊ねる。「あんた、気が変になったんじゃないの?気がふれてしまったんだよ、そんなこと容赦しやしないからね、色気違いじゃあるまいし!」と女が答える。

男は女の気配に狙いをさだめ、いきなり体ごとぶつかっていった。穴の三方の光が夜祭のかがり火のようだ。男は女に下腹を突き上げられ、拳がめり込められ鼻から血が吹きだして失敗した。

それから変わりばえのしない砂と夜の数週間が過ぎ去り、男は《希望》の蓋を開けてみて水が溜まっていたことに驚いた。砂の毛管現象である。表面の蒸発が地下の水分を引き上げるポンプの作用をしているためだった。

男は研究次第では高能率の貯水装置だって出来ると考えた。砂の中から水を掘りあてたのだ。水がある限り部落の連中にびくともしなくていいのだ。

彼は砂の中から、水といっしょに、もう一人の自分をひろい出してきたのかもしれなかった。

こうして溜水の研究があらたな日課に加えられることになる。正確な資料をとろうとすればラジオで天気の予報や概況を確かめておく必要があった。

ラジオは二人の共通の目標となった。冬が過ぎ、春になった。三月のうちにラジオが手に入り女は幸せそうに驚嘆の声をくりかえす。その月の終わりに女が妊娠した。二か月後、女は子宮外妊娠で町の病院に入院させることになった。

女がロープで連れ去られ、縄梯子はそのままになっていた。男は、待ちに待った縄梯子を海の見えるところまで登ってみる。穴の底を見ると、溜水装置の水が溜まっていた。家の中ではラジオが何やら歌っている。

「べつにあわてて逃げる必要もないのだ」男はそう思った。男は溜水装置のことを誰かに話したい欲望ではちきれそうになっていた。話すとなれば、ここの部落のもの以上の聞き手はあるまい。

逃げる手立ては、また考えればいいと思った。

男の失踪に関する届け出から七年が経ち、妻(仁木しの)の申し立てで、家庭裁判所の審判により仁木順平は失踪者と審判された。