「謎解き草枕」その5

スポンサーリンク

②「三角」?「四角」?

 山路を登りながら、こう考えた。
 ()に働けば(かど)が立つ。(じょう)(さお)させば流される。地をとおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる

『草枕』 1章

 「智・情・意」を厄介に感じる画工です。美術家だから「智・情・意」とは関りが無い「美の理想」を大事にしています。それを彼は「非人情」と呼んでいます。「人情世界」の「智・情・意」には、できるだけ関わりたくありません。
 しかし漱石先生によると、芸術家は主に「情」を働かせて物の関係を味わうことが大事なのに、
芸術家として、人間として「智・情・意」すべてが大切なのに、それが解っていません。
そんな腰の引けた態度、バランスの悪い画工はさっそく転倒、餅をつきます。

 かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然すわりのわるい角石かくいしはしを踏みくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじのめ合せをすると共に、余の腰は具合よくほう三尺ほどな岩の上にりた。肩にかけた絵の具箱がわきの下からおどり出しただけで、幸いと何の事もなかった。

『草枕』1章

 「座りのわるい角石」だから「三角」でしょう。漱石先生の唱える四種の理想は、安定感ある「四角」です。画工は、一角が決定的に欠けている。彼の尻の穴は三角でしょうね。

少し手前に禿山はげやまが一つぐんをぬきんでてまゆせまる。禿げた側面は巨人のおのけずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底にうずめている。

『草枕』1章

 尻餅をついた画工は、立ち上がる際に、目指す峯を見ますが、その手前に邪魔な禿山(はげやま)があるのに気付きました。険しくて乗り越すのは難しそうだから、遠回りすることに決めます。この禿山は、後に立ち寄るお茶屋で「天狗岩」だと教わります。彼の行く手を遮るのは「天狗岩」なのです。欠けている部分がある上に、天狗になっているところもある訳ですね。

して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角いっかく磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

『草枕』3章

 はい、出ました。画工は、やはり三角の世界に住んでいます。磨滅まめつしたのは「常識」だ、と思い込んでいますが、本当はもっと大事なものです。上記の文章、もう少し先まで読み進めると、

昔し以太利亜イタリアの画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険をかけにして、山賊のむれ這入はいり込んだと聞いた事がある。飄然ひょうぜんと画帖をふところにして家をでたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。

『草枕』3章

 画工自身、自分に欠けているのは「覚悟」だと、自覚しています。覚悟、意志、勇気「壮の理想」です。画工が住んでいる三角の世界は、「真・善・美」であり、「」の理想が欠けているのです。彼の悩みは、東京で画家として生きていく覚悟が決まらないことでした。そんな画工に「壮の理想」を教えてくれたのは「藤村操の死」でした。那美さんに「憐れ」をもたらすのも、画工に「覚悟」をもたらすのも、物語ではなく現実だった、という訳です。

③藤村操の死

 12章は、思索の旅のクライマックスです。何とかして東京で画家として生きていく覚悟を決めようと試行錯誤する、画工の思考の流れが描かれています。芸術家としての矜持を語り、彼の気分が一番高まる所です。オスカー・ワイルドの言葉から始まります。

基督キリストは最高度に芸術家の態度を具足ぐそくしたるものなり

 ワイルドらしい剣呑けんのんな説です。解りやすく言い換えるとこういう事です。
(あのイエス・キリストという人は、生涯を通し命を懸けて、人々のために「救世主」という役を完璧に演じきったのだ。なんとみごとな芸術家だろう。)

 ところが、画工は基督キリストについてはよく知らなかったようで「基督キリストは知らず」と横に置き、キリスト教に対して、仏教のお坊さん大徹和尚にはまさしく芸術家の資格がある、と言います。
ここは、少し難しい箇所です。「底のないふくろのように行き抜けの心」を持つ大徹和尚と神の子を自称するキリスト、正反対のタイプでしょう。『文芸の哲学的基礎』を読むと、「飄逸ひょういつ的情操」「突兀とっこつ的情操」というのがあるのですが、この二人の態度を表す言葉だと思います。『草枕』本文には無い言葉ですが、これを使わせてください。
 画工は先ず、拘りの無い大らかな態度の大徹和尚を見習って、芸術家としての自信を持とうとしますが、神経質な画工は、やっぱり「探偵に屁の数を勘定される間は、とうてい画家にはなれない。」という気持ちになってしまいます。そうするうちに那美さんがやって来て、例の小刀を振り回す演技を披露します。彼女の”芝居気”たっぷりな仕草をヒントにして、次のような考えが浮かびます。

こんなかんがえをもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届ふとどきである。善は行い難い、徳はほどこしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人なんびとに取っても苦痛である。その苦痛をおかすためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかにひそんでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸ひさんのうちにこもる快感の別号に過ぎん。このおもむきを解し得て、始めて吾人ごじんの所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進しょうじんの心をって、人道のために、ていかくらるるを面白く思う。もし人情なるせまき立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏きょうりひそんで、じゃせいき、きょくしりぞちょくにくみし、じゃくたすきょうくじかねば、どうしてもえられぬと云う一念の結晶して、さんとして白日はくじつを射返すものである。

『草枕』12章

 すべての困苦に打ち勝って、美しい行いをする。そのこと自体に、芸術作品を創りあげるような愉快を感じることができるのが、最高の芸術家なのです。最高の芸術家には、この世のしがらみと苦しみなど物ともせずに、美しい行いをする「胸中の一点の無上趣味」があるのです。
 この部分は、12章冒頭のオスカー・ワイルドの説、「救世主」という役を完璧に演じきったイエス・キリストの態度こそ最高の芸術家である、というのと同じ意味のことを言っています。
 おそらく、探偵だとか他人の批評を気にしてしまう神経質な画工は、大徹和尚のような「飄逸的情操」より「突兀的情操」のほうが同調しやすいのでしょう。
 そして”芝居気”ということから、「藤村操の死」を思い出します。

 昔巌頭がんとうぎんのこして、五十丈の飛瀑ひばくを直下して急湍きゅうたんおもむいた青年がある。余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものはまこと壮烈である、ただその死を促すの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子の所作をわらい得べき。彼らは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味わい得ざるがゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、わらう権利がないものと余は主張する。

『草枕』12章


 「藤村操の死」というのは、現実にあった出来事です。『草枕』が書かれる3年ほど前、藤村操という青年が、日光の華厳の滝に身を投げて自死しました。彼の遺した「巌頭がんとう之感」という遺書は、当時の社会に波紋を投じました。“煩悶青年”と呼ばれた彼が、夏目漱石の教え子であったことは、よく知られている事実です。彼の死に、漱石は心を痛めました。
 滝への身投げは、厳密には水死と呼べないでしょうが、作者はここで「藤村操の死」を描き「水死したシテ達」に加えた形にして、鎮魂の願いをこめたのかしら・・・と思うのは考えすぎでしょうか。

 画工は、彼の死についてこう述べています。死の動機が何であれ、藤村青年の死には「壮烈」という美があった。「壮烈な最期をぐるの情趣」「荘厳に対する情操」であり、「壮の理想」に当てはまります。「荘厳に対する情操」と言うと難しい感じですが、凄み、迫力がある、覚悟の決まった堂々とした態度に対する感動のことです。この情趣が理解できない人間は、どんなに正当な、死に値するような事情があっても、壮烈な死を遂げることが出来ないのだから、藤村青年より人格的に劣っている。そういう人間に彼を笑う権利は無いのです。
 藤村青年の「壮烈な死」を想起することによって、画工は「壮の理想」に同調できました。「探偵に屁の勘定をされる間は、とうてい画家にはなれない」とずっと悩んでいた彼が、この直後「余は画工である」と勇ましく宣言します。

 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在(だざい)するも、東西両隣りの(ぼつ)風流漢(ふうりゅうかん)よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、()なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。

『草枕』12章

 他を教育すべき地位に立っている高尚な「天下公民の模範」なのだと自信を持ち得ました。ちょっと英雄を気取っている感じもありますが、この強い気持ちを東京でも持つことが出来れば、画家としてやっていけるでしょう。ちなみに講演『文芸の哲学的基礎』のラスト、漱石先生もこの時の画工と同じ調子です。文芸家としてのヒロイズムを演じきって見せてくれたのでしょう。

④天狗岩を省みる

 13章 画工は、那美さんの家族と共に川を舟で下る途中、遠い山々の景色に、旅のはじめ、転んで尻餅をついた時に見上げた、あの天狗岩を探してみました。

天狗岩(てんぐいわ)はあの辺ですか」
「あの(みどり)の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿()げてるんでしょう」
「なあに(くぼ)んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」

『草枕』13章

 那美さんには禿げているように見えるのに、画工は天狗岩の辺り見て、(くぼ)んでいて日影になっているから、濃い色に見えるのであって、禿げているのではない、と言っています。しかし画工も1章では、禿げている、禿山だと言っていました。これはどういうわけでしょう?
 9章で、那美さんに指摘されたことが、やっと理解できたのです。「非人情」が口癖の彼でしたが、画工えかきとして真に「非人情的に物を見る」とはどういうことなのか、具体的に分かりました。
彼のように洋画家ならば 、非人情=智 を使って、色や光を分析的に観察しなければいけません。現実世界に出る直前に、気付いた画工でした。