三島由紀夫『潮騒』あらすじ|男は気力や、歌島の男はそれでなかいかん。

解説>伊勢湾に浮かぶ小島で、若い漁師の新治と海女の初江の恋を、大いなる自然が見守る。神社があり、灯台があり、海があり、共同体がある。恋敵や村の噂に負けずに、まっすぐな二人の思いが清澄な精神と肉体のなかで成就する。神の支配する歌島を舞台にした清々しい恋の物語。

登場人物

久保新治
十八歳の漁師。学業は苦手だが泳ぎと腕力には自信があり、日焼けした肌に澄んだ目をもつ。
宮田初江
照吉の末娘で海女、睫の長い美しい少女。養女だったが呼び戻され婿取りをすることになる。
久保とみ
新治の母親で、父親が戦死し海女の収入で一家を支える。愚痴を言わず、人の噂もしない。
久保宏
新治の弟で十二歳。兄のおかげで修学旅行に行く。映画で見たインディアンごっこを楽しむ。
宮田照吉
初江の父。金持ちで歌島丸と春風丸の船主で、獅子のたてがみのような白髪でがみがみ屋である。
燈台長
三十年も灯台生活をする。人格者で、落第しそうな新治を校長に頼んで卒業させてやった。
燈台長の夫人
村の有志の少女に行儀作法を教える会を開いている。むかし女学校の校長をしていた。
千代子
燈台長夫婦の十九歳の娘、東京の女子大に通い歌島に帰省する。自分を美しくないと思い込む。
川本安夫
青年会の支部長で、十九歳。村の名門の生まれで、皆を引っ張る力があり貫禄を持っている。
大山十吉
新治の乗る太平丸の舟主であり親方でもある魚撈長ぎょろうちょう、深い皺まで日に焼け光沢を放つ。
龍二
新治と一緒に太平丸で漁に出る若者。初江と新治の手紙を配達する郵便屋の役を買って出る。
歌島丸の船長
大兵で力自慢だが人間は大人しい。照吉に頼まれ、新治と安夫を甲板見習いとして競わせる。

あらすじ(ネタバレあり)

伊勢湾に浮かぶ歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島。北に知多半島、東から北へ渥美半島、西に宇治山田から四日市にいたる海岸線が見える。

ここには眺めの美しい場所がふたつある。

ひとつは、島の頂きにある八代神社である。二百段の石段を昇って一双の唐獅子のある鳥居から見返ると古代さながらに伊勢の海が眺められた。綿津見命わたつみのみことまつって、この海神は漁夫たちの生活から自然と生まれた。

もうひとつは島の東山に頂に近い燈台である。歌島燈台の下には伊良湖水道の海流の響きが絶えない。伊勢海と太平洋をつなぐ開門は、風のある日は渦を巻いた。渥美半島のはなには伊良湖崎の小さな無人燈台が立っていた。

歌島の一人の漁師の若者が、一人の見知らぬ少女と出逢う。

日が暮れはてたころ、一人の漁師の若者が、手におおきな平目をぶら下げて、燈台へ向かう山道を急ぐ。まだ十八で、背丈は高く、体つきも立派で、顔はおさない。日焼けした肌とこの島のひとたちの特徴である形の良い鼻、ひびわれた唇、黒目がちな目は澄んでいた。

浜づたいに帰りながら、多くの漁船を浜へ引き上げる掛け声でさわがしいなか、一人の見知らぬ少女が、作業を終えて休んでいた。額は汗ばみ、頬は燃えていた。健康な肌いろで、目元が涼しく、西の海の空の夕日をじっと見つめていた。

若者が燈台長のところへ魚を届けに行くのは、恩義を感じているからで、若者は新制中学校を落第しそうなところを、校長と親しかった燈台長の口利きのおかげで卒業することができたからだった。

学校を出て、若者は漁に出て、ときどき燈台へ獲物を届けたり、買い物の用を足してあげたりして可愛がられていた。

その晩、寝つきのよい新治は、床に入っても目がさえ病気ではないかと怖れた。その不安は朝も続いたが、海を見ると日々の親しい労働の活力が身内にあふれて来て心が安まるのだった。

新治は初江のことで心がざわめき苦しくなり、八代神社に祈った。

歌島の年間漁獲量の八割は蛸であった。十一月にはじまる蛸の漁期は春の彼岸頃に終わる。

魚撈長ぎょろうちょうの大山十吉が指図をして、新治ともうひとりの若者龍二は力業ちからわざにいそしむ。

十吉が、「宮田の照じいのところは四人が女で、男が一人だったが、息子が死んで養女に出していた末娘の初江を呼び戻し、籍を戻して婿取りさせるつもりだ。初江はえらい別嬪べっぴんに育ったので若いもんが婿になりたがってえらいことになるだろう」と言う。

新治の心の中で、この話の娘と、きのう浜辺で見た娘の象が、しっかり結ばれた。

同時に自分の財力の乏しさを思い自身を失った、新治は着実な考えを持っていた。

都会とは違って歌島には、一軒のパチンコ屋も、一軒の酒場も、一人の酌婦もなかった。

新治の空想は将来自分の機帆船を持って、弟と一緒に、沿岸輸送に従事する事だった。

とはいうものの、水平線上の夕雲の前を走る一そうの白い貨物船の影を若者は不思議な感動を以って見た。世界が大きな広がりを以って迫って来る。

青年会の部会で皆がめいめいに語りあうなかで、支部長の安夫は、早々に議題を片付けて照爺の娘が帰った祝いの宴会に向かった。新治は、一人、八代神社に向かい二百段の石段を一気に昇り十円玉を賽銭箱に入れ祈る。

「海の平穏、漁獲ゆたかに、村が繁栄すること。自分はまだ少年だがいつか一人前の漁師になり何事も熟知し熟練した優れた者になるように、やさしい母と幼い弟をお護りくださるように。そして筋違いだが、照吉のところへ帰って来た娘のような気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように」というものだった。

観的哨で偶然に初江と会うが、それは二人の秘密となった。

新治は、母親に頼まれて観的哨かんてきしょう粗朶そだを取りに行く。歌島の最も高いところである。白い廃墟の観的哨は、自然の静寂の中に妖しく見えた。

三階に昇ると、人の啜り泣きのような声が聞こえた。屋上へ駆けのぼると向こうが驚いた。下駄ばきの少女は、泣き声をやめて立ちすくんだ。それは初江だった。新治は思いがけない幸福な出会いに目を疑った。初江は道に迷っていたのだった。

新治は松葉の束を背負って、少女に先立って燈台に帰る道で名前を名乗った。それからあわてて付け加えて「自分の名前もここで出会ったことも人に言わないでくれ」と頼んだ。

噂好きの村人を憚る尤もな理由が、偶然な出会いを、二人の秘密に変化させた。

しかし一方で、川本の安夫が初江の入婿になるという噂があった。

新治は四千円の旬間毎の支払いを受けて、途中、浜での船の引き上げを手伝い、家で母に渡そうとしたところ落としてしまったことを知る。船の引き上げのときに一緒だった初江が拾って新治の母親に届け、それから浜に戻り、金の包みを探す新治を見つける。

初江は新治に金を母親に届けたことを伝えると、新治は初江に安夫の入婿のことを確認し、大うそであることを知った。むせながら笑う初江を押さえようとして二人の頬は近くなった。ひびわれた乾いた唇が触れ合った。二人は休漁日に観的哨で会う約束をした。

「その火を飛び越してこい。その火を飛び越してきたら」

新治は、嵐の中を雨合羽を羽織って海に会いに行く。海だけが彼の無言の対話に答えてくれるような気がした。足許あしもとに小さな美しい桃色の貝が落ちていた。贈り物にしようと思い、かくしにしまった。

新治は初江との約束を信じて観的哨に向かう。大きな窓が三方にあいた廃墟は、すこしも風を防がなかった。二階の窓から見る太平洋の広大な景観は、無限の荒々しい広がりを想像させた。新治は一階の風を防ぐところで燐寸マッチで枯松葉や粗朶そだに火をつけた。そしてそのうちに彼は眠り込んでしまった。

新治が目を覚ますと、目の前に白い肌着を火に乾かして、一人の裸の少女がうつむいて立っている。初江の体はあまりに美しかった。目をあいちゃいかんぜ!」忠実な若者はきつく目を閉じた。しかし目が覚めたのは誰のせいでもないので、この公明正大な理由に勇気を得て、彼は再びその黒い美しい目をぱっちりとひらいた。

「目をあいちゃいかんぜ!」「なんだって逃げるんじゃ」「だって恥ずかしいもの」「いのも裸になれ、そしたら恥ずかしくなくなるだろ」

「初江!」と若者が叫んだ。

「その火を飛び越してこい。その火を飛び越してきたら」

少女は清らかな弾んだ声で言った。裸の男は躊躇しなかった。

「今はいかん。わし、あんたの嫁さんになることに決めたもの。嫁さんになるまで、どうしてもいかんなァ」

新治の心には道徳的な事柄に対する敬虔さがあった。若者は、浜で拾った美しい貝を少女へ渡した。

燈台長の娘で、大学の休みで島に帰省していた千代子は、初江と寄り添い嵐の吹きつける石段を下りてくる新治の姿を偶然に見た。新治に好意を抱く千代子は初江に嫉妬した。

新治と初江のことが、島中の噂になっていく。

千代子から、新治と初江のことを聞いた安夫は、初江をものにしようと自分に誓った。安夫は、初江が夜中二時に水くみ当番となっているところを狙った。

安夫は外燈のうしろに身をひそめる。二時をややすぎて初江があらわれ襲おうとするところを、安夫の夜光時計に蜂が飛び移った。そして手首を針で刺した。それでも安夫は、初江をおさえつけて頬に顔をおしつけたが、また蜂がうなじを刺した。そのすきに初江は逃げた。

それでも安夫は初江をつかまえ押し倒したが、蜂は今度は尻にとまってズボンの上から尻の肉を深く刺した。その隙に逃げた初江は石をふりあげた。

父親に言いつけられるのが怖い安夫は、初江の言う通りに水桶に水を汲みなおし、二つの桶の棒に縄をとおして、肩に担いで運ぶことで許しを得た。

宏も、新治と初江が一緒に寝た話を友達から聞く。母親は新治に直接、確認するが新治は否定した。

あくる晩、女たちの集会である庚申様こうしんさまの集いに新治の母親が行くと、そこでも噂していた。しかし年配の海女たちは初江のまだつぼみのような乳房を見て、初江は処女だと見抜き、二人の噂は嘘だと知る。

あくる晩、青年会へ出た新治の顔を見て連中も一瞬沈黙した。龍二が、「安兄やすにいんののこと、えらく悪く言うとるが」という。新治は男らしく黙って笑った。すると寡黙な十吉が「そら安夫のやきもちやなァ」と言った。

そしてついにその噂は、照爺てるじいの知るところとなった。

あの人は私に美しいと言ってくれた、償いをしなくてはと千代子は思う。

照吉の監視下に置かれ外出ができない初江であったが、手紙を書いて新治に伝えようとする。手紙を取りにゆく役目は龍二が進んで買って出た。第二の手紙には安夫が初江を襲った次第、脅迫の文句、安夫が腹癒はらいせに噂を村中にふりまいたこと、照吉は安夫には何の処置もしないことなどが綴ってあった。

十吉は「正しいものが結局強いのやよって」と安夫のことはほっておくように言った。

村の噂は、燈台の人たちの耳に届いた。照吉が初江に、新治に会うことを禁じたという噂は、千代子の心の罪の思いを真暗にした。新治は噂の出所が千代子だということを知らない。千代子は東京の寄宿舎に帰る日が来たが、新治の寛恕かんじょを仰がなければ東京へこのまま行けないという気持ちになった。

「新治さん、あたし、そんなに醜い?」と千代子は訊ね、「なあに、美しいがな」と新治は答えた。

「私は何て悪いことをしたんだろう。何というひどい不幸にあの人を陥れてしまったんだろう。その私の裏切りにあの人は私を、美しいと言って報いてくれた。償いをしなくては」と千代子は思う。

新治と安夫は甲板見習いとなって、歌島丸に乗り込む。

新治の母親は、宮田の家を訪れる。照吉に会って息子の無辜むこを訴え、真情を披歴して、二人を添わせてやろうとする。親同士の話合いのほかに解決のみちはない。しかし「会わん」という照吉の返事にすっかり勇気の挫けた母親は屈辱感で激情にかられた。

八つ当たりをして、初江を憎み、初江の悪口を言って息子と衝突し、母子はあくる日一日、口をきかなかった。次の日には和解した。新治は、初江との手紙で全てを知っていた。

照吉の持船の機帆船歌島丸の船長が島にやって来て、十吉の承諾を得て、新治と安夫を甲板見習いとして船員修行をさせることになった。

安夫の見送り人は数多く、そのなかに初江もいた。新治のほうは母と弟だけだった。初江は新治の母親に小さな紙包みを託し、母親はそれを息子に渡した。

小雨の中を神風丸は進んでいく。船長と安夫が眠ったとき新治は紙包みの中味をあらためた。そこには八代神社のお守りと、初江の写真と、手紙が入っていた。

手紙には「新治さんの無事を祈って、八代神社におまいりします。私の心は新治さんのものです。どうぞ元気でかえって来て下さいね」とあり、「新治さんと安夫さんを自分の舟に乗せたのは父さんに考えがあるように思う」と書いてあった。

新治の心には、不安と哀しみと、一縷の希望が湧いた。

男は気力や、気力があればええのや。家柄や財産は二の次や。

歌島丸は沖縄へ材木を運んで、往復約一ト月半で神戸港に帰る予定だった。船の仕事は忙しかったが、安夫の怠け方は目に余るようになった。「どうせ島へ帰ったら照爺の入り婿になって船は自分のものになると」と言った。

歌島丸は那覇に着いた。運天港に入り鉄屑スクラップを積みおわる。颱風たいふうの襲来が報じられ、圏外へ逃れるため早朝に港を出た。波が高まり気圧が低下し船長は運天港に引き返す決意をする。午後九時には、鰹船と歌島丸は風速二十五米の颱風に包まれた。

午後十一時からの当直ウォッチは、新治と安夫と若い水夫の三人だった。彼らの任務はロープを見つめていることである。そこで船をつなぎ止めていた一本のワイヤーが切れた。

命綱を向こうの浮標ヴイにつなげなければならない。颱風のなか皆、尻込みした。安夫は唇をふるわせて首をすくめていた。「俺がやります」新治は朗らかで明快な声で叫んだ、そして荒海に飛び込んだ。新治は、波と風に立ち向かいながら力の限り泳ぎ、命綱を浮標ブイに巻き付けた。歌島丸は救われた。新治は甲板に戻って深い眠りに落ちた。

千代子から手紙が届いた。そこには、「安夫にいらぬ告げ口をして、新治と初江を苦境に陥れてしまったことを母親に告白し、新治と初江が幸せにならなければ自分は島へ帰ることができない。母親が仲介の労をとり照吉を説得して二人を結ばせてくれたら島に帰る」と綴ってあった。

台長夫人は、新治の母親の承諾もえて照吉に会いに行った。五人の海女たちも義侠心にかられてついていった。なんとか新治と初江の仲をとりもってやろうとした。

すると意外にも照吉は「新治は初江の婿になる男や」と言った。照吉は、「新治が成人したら式を挙げさせようと思う」と言う。照吉は、新治と安夫を、どっちが見処みどころのある男か試すように船長に頼んだのだった。新治は沖縄で、えらい手柄も立てて来たし、わしも考え直して婿に貰おうと決めたという。

「男は気力や。気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財産は二の次や。そやないか、奥さん。新治は気力を持っとるのや」

道徳の中で自由であり、神々の加護は一度もかれらの身を離れなかった。

二人は八代神社と燈台へ、婚約の報告とお礼に行く。

「神々はおねがいしたことをことごとく叶えて下さった」と若者は心に幸福を呼びかえした。二人は永く祈った。そして一度も神々を疑わなかったことに、神々の加護を感じた。それから新治は初江と手をつないで燈台へ向かう。

燈台長は燈台へ二人を案内し、頂上の小部屋には燈台の光源がひっそり住っていた。

この小さな島が、幸福を守り、恋を成就させてくれた。

初江は、袂から小さな桃いろの貝殻を出す、新治はシャツの胸のかくしから初江の写真を出した。

少女の目にはほこりがうかんだ。自分の写真が新治を守ったと考えたのである。しかしそのとき若者は眉をそびやかした。彼はあの冒険を切り抜けたのは自分の力であることを知っていた。

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