江戸川乱歩『屋根裏の散歩者』あらすじ|節穴から覗く、完全犯罪。

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何をするのもつまらない郷田は、ある日、下宿の天井を上り屋根裏を歩く。そして持ち前の犯罪嗜好癖から完全なトリックを計画し遠藤を自殺に見せかけ殺害する。そこに現れた明智小五郎、些細な事実から謎を解く。江戸川乱歩の明智小五郎篇の名作。

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登場人物

郷田三郎
どこか精神を病んだ男で、犯罪嗜好癖を持っておりやがて完全犯罪を計画する。

明智小五郎
素人の探偵で遠藤の自殺を怪しみ、現場の状況から推理を重ね完全犯罪を暴く。

遠藤
歯科学校の卒業生で、三郎と偶然一緒に下宿に越してきた饒舌で虫の好かない男。

あらすじ

精神を病む郷田は何も興味がわかず、犯罪嗜好癖を楽しむ。

郷田三郎は二十五歳。どんな遊びも、どんな職業も、何をやっても、一向に此の世が面白くない。

彼は職につかず、その日暮らし。遊びも退屈で「女」にも「酒」にも興味を感じない。とはいえ死ぬこともできず、ただ生き長らえているだけだった。

頻繁に下宿を変える彼の新しい住まいは、新築の東栄館とうえいかんの部屋。そして三郎は素人探偵の明智小五郎と知り合いになり「犯罪」という事柄に興味を覚えるようになっていく。

三郎はあるカフェで友人を通して明智を紹介されたのだが、明智の聡明らしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに惹きつけられお互いに行き来するような仲になる。

明智から魅力に富んだ犯罪談を聞く。例えば、同僚を殺害し死体をかまどで灰にしようとしたウェブスター博士の話、ユージン・エアラムの殺人罪、ウェーンライトの話、多くの女を女房にしては殺していったブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪の話を聞き極採色の絵巻物のように眼に浮かび喜ぶのだった。

さらに三郎は様々な犯罪の書物を買い込んで読みふけった。そして物語の主人公のような目覚ましい、けばけばしい遊戯をやってみたいと考えるようになる。

三郎は「犯罪」の真似事を始める。浅草に足を運び、空き地の壁に印を書いて廻ったり、金持ちらしい通行人を尾行してみたり、妙な暗号文を書いた紙きれをベンチの板の間に挟んだり、そんな遊戯を独りで楽しんだ。

彼は又、変装をして町から町をさまよい歩いた。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たりした。彼の病癖を喜ばせたのは、女装して妲己だっきのお百だの蟒蛇うわばみのおよしだのいう毒婦になった気持で、男たちを翻弄する有様を想像しては喜んだ。

ところが三か月も経つと、この楽しみからも飽き、明智との交際も鬱陶うっとうしくなっていった。

三郎が東栄館とうえいかんに引っ越したのは明智と交遊を結んだ時分から一年以上も経っていた。「犯罪」の真似事にも興味が無くなり、彼は又しても底知れぬ倦怠の中に沈み込む。

三郎は屋根裏を歩き廻りながら、各部屋の様子を覗き見して楽しむ。

東栄館に移って十日ばかりたったある日のこと。

彼の住まいは二階の一室にあり、部屋の押入れの上下二段ある上の段に蒲団を載せ、そこで寝ることを考える。新築で何となくそこが船の中の寝台に似て予想以上に感じが良かった。

部屋は内部から鍵がかかるので女中が無断で入ることもないし、探偵小説の中の人物になったような気持で愉快で、泥坊が他人の部屋を覗くような感じでもあった。

この奇行を続けるうちに、ふと天井板が動くのに気づく。それは漬物石を小さくしたような石ころが重しとなって乗っているだけで、はねのけることができた。

彼は天井の穴に首を入れて天井裏を眺めると、そこは鍾乳洞の内部を見るようだった。病的な彼は云い知れぬ魅力を覚える。

その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まった。

東栄館の建物は、中央に庭を囲んで、まわりに桝型ますがたに部屋が並ぶ造り。屋根裏もその形なので行き止まりがない、また開放的で誰の部屋の上を歩き廻ろうとも自由自在なのです。他人の秘密を隙見すきみすることもできます。天井には到る所に隙間があります。稀には、節穴さえもあるのです。

郷田三郎の頭には、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上がって来るのでした。

彼はかってのように「犯罪の真似事」に興味を持ち、「屋根裏の散歩」を興深くするために泥坊のような身なりをして本物の犯罪者らしく装います。

天井からの隙見は、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下ろすのですから、随分異様な景色に感じられます。

またそこには、滑稽な、悲惨な、或いは物凄い光景が展開されます。

平常ふだん過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、昇給の辞令を折鞄おりかばんから出したり、しまったりして眺めて喜んでいる光景、豪奢振りを示す相場師が無造作に着こなす着物を丁寧に畳んで床へ敷いたり、何々大学の野球選手が女中への附文つけぶみを膳の上へ出したり引っ込めたり、中には、大胆にも淫売婦を引き入れたり。誰憚らず、見たいだけ見ることが出来るのです。

又、止宿人ししゅくにんと止宿人の間の感情の葛藤を研究することにも興味を持ちました。

同じ人間が相手によって様々に態度を変えていく有様、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋に来ては罵っているものもあれば、蝙蝠こうもりのように都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。

三郎は虫の好かない遠藤を、犯罪嗜好癖から殺そうと計画します。

ある夜更けに、三郎は自分の部屋の向かい側に大きな木の節から光線が漏れているのを見つけます。さかずき形に下側が狭くなっているその節をはがすと大きな覗き穴になりました。

その節穴から下を覗いてみますと部屋の全景が楽々と見渡せます。そこは偶然にも、三郎の一番、虫の好かぬ遠藤と云う歯科学校卒業生でどこかの歯科医の助手を務めている男の部屋でした。

馬鹿に几帳面な男と見えて部屋の中はきちんと整頓しています。遠藤自身の寝姿も実に行儀がいいのですが、この光景にそぐわないのは彼が大きな口を開いて雷のようにいびきをかいていることでした。

三郎は何か汚いものでも見るように、眉をしかめて、遠藤の寝顔を見ました。彼の顔は綺麗といえば綺麗なのでしょうが、遠藤の顔を見ると、何だか背中がムズムズしてきて、彼ののっぺりした頬っぺたをいきなり殴りつけてやりたい気持になるのでした。

彼は思わず屋根裏の暗闇の中で何の恨みもない遠藤を殺害する考えがひらめきます。

何故、遠藤を殺そうと思ったのか、それは彼の容貌や言動が虫が好かぬということもありましたが、主たる動機は殺人行為そのものに興味があったのです。三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持っていました。

さらに三郎はこれまでは殺意を生ずることはあっても、罪の発覚を恐れて実行しようとは思わなかったのですが、遠藤の場合は疑いなく、発覚の心配なしに殺人ができそうに考えたのでした。

その理由は、

・遠藤は、惚気話のろけばなしを繰り返しながら女にもてることを自慢していたこと。

・かつて女との情死をしかけたことがあり、我々に話をしていたこと。

・医学校卒業だから容易に手に入るといい 莫児比涅モルヒネを見せられ、その場所を三郎は知っていること。

・その茶色い瓶に入った 莫児比涅モルヒネは、楽に死ねる分量があること。

莫児比涅モルヒネの所持は違法なので、遠藤はだれにも秘密にしていること。

「天井の節穴から、毒薬を垂らして、人殺しをする!なんと奇想天外な素晴らしい犯罪だろう」

彼は 妙計みょうけいに、すっかり有頂天になってしまいました。

節穴から毒薬をポトリと落とし、遠藤はあっけなく死んでしまいました。

三郎はそれから四五日たった時分に遠藤の部屋を訪問します。

顔を見てさえ虫唾むしずの走る遠藤と長い間、雑談を交えました。話し込んでいる間に、案の定、遠藤が便所に立ちました。三郎は素早く押し入れを開けて行李こうりの中から例の薬瓶を探し出しました。

三郎は自分の部屋に帰り、莫児比涅モルヒネの瓶を電燈にかすと、僅かの白い粉が綺麗にキラリキラリと光っています。彼は砂糖や清水と調合をします。

MURDER CANNOT BE HID LONG,A MAN’S SON MAY,BUT AT THE LENGTH TRUTH WILL OUT

シェークスピアの不気味な文句が、目もくらむような光を放って脳裏に焼きつくのです。この計画には絶対に破綻がないと信じながらも、増大する不安を彼はどうすることもできないのでした。

何の恨みもない人間をただ殺人の面白さで殺すとは正気の沙汰か。お前は悪魔に魅入られたのか、お前は気が違ったのか。自分自身の心を空恐ろしく思わないのか。彼は物思いにふけります。

ところが三郎はあの遠藤の大きく開いた口が例の節穴の真下に次にも同じようにある訳はないことに気づき、一方で甚だしく失望しましたが、もう一方で「恐ろしい殺人罪を犯さなくても済むのだ。ヤレヤレ助かった」という思いでもありました。

それでも「屋根裏の散歩」をするたび未練らしく、例の節穴を開けて遠藤の動静を探りました。そしていつもポケットには、かの毒薬を離したことはありませんでした。

ある夜のこと、丁度、遠藤の口が節穴の真下に来ていました。

遂にその日が来た喜びと、云い知れぬ恐怖が交差した異様な興奮の為に、暗闇のなかで真青になってしまいました。彼はポケットから毒薬の瓶を取り出すと、栓を抜きポトリ、ポトリ、ポトリと数滴落として、遠藤を観察しました。

二十分くらいたって遠藤は、フツと目を開き、半身を起こし、首を振り、目を擦り、狂気めいた仕草をして盛んに寝返りを打ち雷のような鼾声かんせいが響き、顔色が赤く、鼻さきや額には汗が噴き出て、そして顔色が白くなり青藍色せいらんしょくに変わり、いびきがやみ胸のところが動かなくなり、くちびるがピクピクして動かなくなりました。彼はついに所謂「仏」になってしまったのです。

とうとう彼は、殺人者になってしまったのです。

彼は節穴から数滴の毒薬が残った薬瓶を放り出すと、穴を塞ぎ痕跡が残っていないかを調べ、自分の部屋へ引返しました。

セットされた目覚まし時計から、明智小五郎の謎解きが始まります。

彼は翌日、朝食をすませて下宿を出て、時間を過ごすために町から町へ歩きました。

計画は見事に成功しました。外から帰った時には遠藤の死骸は片付けられ、警察の臨検も済んでいました。だれ一人、遠藤の自殺を疑うものはいませんでした。

自殺の原因は痴情の結果だろうということになっていました。

入口も窓も内部から戸締りがしてあり、毒薬の容器が枕許まくらもとにころがり、疑いもないようでした。

遠藤が死んでから三日目に明智小五郎が訪ねてきました。

明智が訊ねるので、三郎は遠藤の為人ひととなりや、死因について、自殺の方法について、問答を続けました。

三郎は段々横着になり明智をからかい「ひょっとしらたら、これは他殺じゃあるまいか。ナニ別に根拠がある訳じゃないけれど」と、流石の名探偵も分かるまいと心の中で嘲りながら云うのでした。

すると明智は「その遠藤君の部屋を見る訳には行くまいか」というので、「造作ないよ」と答え、遠藤の同郷の友達に頼み二人は部屋へ行ってみました。

遠藤の友達というのは北村といって、遠藤が失恋したことを証言した男です。

明智は遠藤の目覚まし時計が朝の六時に鳴るようセットされているのを、「妙じゃありませんか。その晩に自殺をしようと決心した者が、明日の朝の目覚ましを捲いて置くというのは」と云います。

明智は三郎の所に戻り「君はさっきからちっとも煙草を吸わないが、やめたのかい」と訊ねます。

三郎が「すっかり忘れてたよ、もう二三日吸ってないようだ」と云うと、明智は「じゃ丁度、遠藤君が死んだ日からだね」と云いました。

完全犯罪の謎を解いた明智小五郎は、三郎に自首を薦めて立ち去ります。

ある日のこと、三郎は外で夜更かしをして十時ごろに家に帰って、何気なく押し入れのふすまを開いたときに、遠藤の首が 頭髪かみのけをふり乱して薄暗い天井から逆さまにぶら下がっているのに驚愕します。

その首がニッコリ笑ったかと思うと「郷田君、郷田君」と三郎の名を呼び始めます。

それは遠藤の声ではなく、以外にも明智小五郎でした。

「驚かせて済まなかった、ちょっと君の真似をしてみたのだよ」と明智が云います。

明智はきっと、何もかも悟ってしまったのに相違ありません。

「早速だが、これは君のシャツのボタンだろう」と明智が云います。三郎は二番目の釦が、いつとれたのかを少しも気づきませんでした。「形も同じだし、間違いないね、ところで、この釦をどこで拾ったと思う。天井裏だよ、遠藤君の部屋の上でだよ」そして「君が殺したのではないかね」と明智は云います。

それから二時間ばかり後、「有難う、よくほんとうのことを打開うちあけてくれた」僕は君のことを警察へ訴えたりなどしないよ。僕の興味は『真実を知る』という点にあるので、それ以上のことはどうでもいいんだ。君はちゃんと自首する決心をしているしねと云います。

「シャツの釦は僕のトリックさ。この前、君を訪ねた時に二番目の釦がとれていることに気づいたものだから、ちょっと利用したのさ」と明智は云いました。

僕が遠藤君の自殺を疑い出したのは、あの目覚まし時計からだ。そしてモルヒネの瓶が煙草の箱の中にころがっていて、几帳面な男にしては不自然だと思ったこと。さらに、君は遠藤の死んだ日から煙草を吸わなくなっていることだ。

そして君には変態的な犯罪嗜好癖があったことを知っていたからだ。

僕はあれからたびたび、君に知られないように遠藤の部屋を調べていたのだよ。そして犯人の通路は天井のほかにはないということが分かったものだから、君の『屋根裏の散歩』で止宿人の様子を探ると、君のあのイライラした様子を隙見してしまっていたのだよ。

探れば探るほど君が疑わしい。だけど確証がない。そこでボタンの芝居を考え出したのだよ。

三郎は毒薬の瓶を節穴から落としたときに、どこに落ちたかを見なかったように思っていましたが、実は巻煙草に毒薬がこぼれたことまで、ちゃんと見ていたのです。

それが意識下に押籠おしこめられて、精神的に彼を煙草嫌いにさせてしまったのでした。

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