エンデ『モモ』解説|時間とは何か?それは生命である

スポンサーリンク
スポンサーリンク

主要登場人物について

モモ

大都会の南の外れ、市街地もつきて原っぱや畑が続くなかの小さな円形劇場の廃墟に、ある日、住みつく。背が低くやせっぽちの10歳位の女の子で髪はくしゃくしゃで真っ黒な巻き毛。目は大きくて、美しく真っ黒。足は裸足で、スカートはつぎ切れを縫い合わせ、ポケットのたくさんついた古ぼけただぶだぶの男ものの上着を着ている。モモは身寄りのない子として施設に入れられていたが、格子がはめられ、毎日ぶたれる生活から逃れて、ここにやってきたようだ。ミヒャエル・エンデは年齢不詳、出自不詳の不思議な存在の主人公のモモに、全身全霊で人々の話に耳をかたむけ、真実を浮かび上がらせるという人間ばなれした霊力を授けながら、時間の概念を解き明かさせようとする。ここで現れたモモとは、人間の自我の象徴であり、魂である。ゆえにモモは現実世界と精神世界を往還する。

道路掃除夫のベッポ

モモの仲の良い親友の一人、思慮深く無口な老人で円形劇場の近くの小屋に住んでいる。内気なベッポは、朴訥な言葉の中に、自らの体で覚えた哲学を持っている。白髪が立つように生え鼻に小さなめがねをかけ、小柄で背中をまるめモモと同じくらいの背丈に見える。いつもニコニコ笑っていて、口数が少なく、答えるときもじっくりと長い時間、考える。ベッポは、世のなかの不幸は、皆が嘘をついたり、正しくものを見極めずうっかり口にするせいだと考えている。掃除をとても大事な仕事と考え、ゆっくり丁寧にすることで、意味深い考えが心に浮かんでくる。とても長い道路を掃くときも、一歩ずつ、ひと掃きずつ気持ちを込めることが大切だとモモに教える。モモを助けるため時間銀行に貯蓄した後は、せっかちに働き自分を失ってしまう。

観光案内のジジ

モモの仲の良いもう一人の親友の一人、本名はジロラマだが、ジジと呼ばれる。ベッポとは正反対の若者で外交的で楽天家。夢見るような目をした器量よしで口達者で冗談を振りまく。お話が得意で、自分とモモを王子と姫に見立てた話を作り誰にも内緒にしている。ジジには、いつかは有名になり、金持ちになりたいという夢があった。庭園に囲まれた美しい家に住み、金の皿で食事をして、絹の布団で寝たいと思っている。ジジはモモと一緒にいることで素晴らしい物語を作ることができた。しかし時間銀行に貯蓄した後は、有名にはなれたが、想像力を失くし、生きる屍のようになっていく。現代の人間たちの目指す夢とその末路のような設定である。

灰色の男たち

人間の暮らしの上昇志向につけ入り、生産性や効率性を説きながら将来のためという名目のもとに時間を盗む。次第に人間は生の活力を失い虚無の淵に落ちていく。彼らは人間ではなく近代の生んだ効率の産物であり合理的精神の賜物である。常に拡張的で、病原菌のように伝播性が高く、その奪った時間が自分たちの生きる糧であるとして、拝金主義や物質主義にまみれた資本主義社会の文明批評となると同時に、近代人の功利主義が剥き出しになっている状態。エンデは、この生き方は精神の死と直結していると考えている。

マイスター・ホラ

時間の国に住み、宇宙の時間を司っている。ホラは人間ではなく、超越存在としての観念の主体のようなもの。よって精神世界に棲んでいる。時間の花から生まれた時間たちを人間一人ひとりに配っている。モモに時間の概念を解き明かし、時間とは個人の所有する命であり、個人を離れると時間は死んでしまうことを伝える。ホラは「現在」「過去」「未来」という三つの時間を往還することができ、老い(未来)から若さ(過去)までを変幻自在に移動し肉体の外観を変えることができる。正式な名前は、<マイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ>。マイスターは賢者の尊称、ゼクンドゥスは秒、ミヌティウスは分、ホラは時間を意味する。

カシオペイア

モモの道先案内をする亀。モモの自我を、日常が支配する物質世界から時空の境界を超えて、マイスター・ホラの棲む観念の精神世界(モモの潜在意識)へと導いていく役割を担う。甲羅の模様が光って文字を浮き出し、30分先までの未来が見える能力を持ちモモの冒険を助けながら伴をする。カシオペイアもまた五感の感覚世界ではなく、時間の圏外の叡智界に存在し、自分だけの時間を持っており、現実世界が停止してもカシオペイアの世界は止まらない。現実世界と精神世界の2つの世界を往還することができ、僅かながら予知能力がある。

https://amzn.to/3SJiEwi

作品の背景

ミヒャエル・エンデはドイツの児童文学作家。世界的な大恐慌が発生した1929年、ミュンヘンの南西80Km、ドイツとオーストリアの国境近くにあるガルミッシュ=パルテンキルヒェンに生まれ、ナチス・ドイツの台頭のなか第二次世界大戦という未曽有の殺戮の時代に青春期を送ります。

第1作目は1960年に『ジム・ボタンの機関車旅行』が刊行され、61年にドイツ児童文学賞を受賞。1971年からローマ南東25km ネミ湖畔のジェンツァーノに居を構え、41歳から56歳まで15年を過ごし、名作を世に送り出していきます。

人間から時間を盗む「時間泥棒」である<灰色の男たち>に奪われてしまった町の人々の時間を取り戻すために、不思議な力を持つモモが活躍する冒険ファンタジーの中に、形而上的な<時間>の概念を哲学的に説いており、近代以降の物質主義や科学万能主義の現代社会に対する文明批判でもあり、人間の心の精神世界の重要さを訴えます。

全体は、詩的世界に人生の真実を吹き込むメルヘンの世界です。1974年に『モモ』で再び児童文学賞を受賞。さらに「ファンタ―ジェン」を救うために大冒険を繰り広げる79年の『はてしない物語』を発表、ベストセラーになります。

1986年にはイタリア=西ドイツ合作で映画が制作され、冒頭にエンデ自身も登場しています。先妻の病死を経て、89年9月に翻訳者の日本女性と結婚。この年の11月に「ベルリンの壁」が市民によって壊され、東西ドイツが統一されます。

この2つの物語で世界中の人々にエンデの名は記憶されています。エンデは65年の生涯を通して、ファンタジー作家としてだけではなく、現代社会の政治・経済・文化・環境・芸術など幅広い分野で発言を残しています。

発表時期

1973(昭和48)年、ドイツのシュトゥットガルドの出版社ティーネマン社から刊行。ドイツからローマ郊外に移住し、ミュンヘンの喧騒から解放され明るく暖かなイタリアの雰囲気に魅了される。エンデは、ローマへの感謝のしるしとして本作『モモ』を執筆、自ら挿絵も描きます。

全世界30以上の言語で翻訳される。日本では1976年に岩波書店から刊行。77年には初めて日本にも訪れ、東京や京都に滞在する。能や歌舞伎を観賞し、禅など東洋思想に関心を持っていたエンデは、禅寺で老師との対談などを行い、物語の構想に大きな影響を受けます。