坂口安吾『堕落論』解説|生きよ堕ちよ、正しくまっしぐらに!

歴史のなかに日本人の本質を紐解き、披瀝しながら、ひとりひとり自らが真理を追究する態度を求めている。初出は、終戦から僅か半年余り後である。天皇を現人神とした戦時中と民主主義を強要された戦後の一大転換期に、まだ無名に近かった安吾は、新潮社の依頼を受けて小説は締め切りに間に合わなかったのでこのエッセイを書き、その後、小説『白痴』を書き上げる。

解説

敗戦の翌年、社会が大きく混乱しているなか、坂口安吾のエッセイ『堕落論』は発表される。

批判を浴びること必至の強烈な内容が記され、安吾の強い意思と覚悟とともに、真理へ向かう求道的な姿勢を感じさせる。

そこには日本社会への批判精神が旺盛である。深い洞察で戦後の日本人を見つめる。

東京をはじめ主要都市はどこも焼け野である。頽廃、虚脱、廃墟。武士道は滅び、社会は混沌として、人々は生きるために畜生道や餓鬼道がまかり通る。

世相は180度変わった。天皇万歳と叫び、散華した若者達。しかし生き残った同じ若者は闇屋となる。けなげな心情で、男を送った女達も半年が経ち夫君の位牌を拝むことも事務的となり、新しい恋を求めている。

忠誠心や道徳心は無くなり、人々はただただ堕ちて汚れていく。

安吾はその姿を見て、戦争という大きな喪失と惨劇を経験したが、戦争に負けたから堕落するのではなく、人間だから堕落するのだという。

人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

この戦争をやった者は東条であり軍部だが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史の抜き差しならぬ意志、抗うことのできない運命だとしている。

安吾は、日本の武士階級の統治機構を歴史に訪ね、その背景を考察する。

武士道とは人間の本来の性質や本能に対する禁止条項であること、ゆえに非人間的・反人性的なものであるとする。しかしそれは人間の本来の性質や本能に対する洞察の結果生まれたもので、その点において全く人間的である、という逆説的な解釈を加える。

そして人間を縛りつけた規則や観念を捨てることで、真の現実を見ることを促す。

忠君愛国や七生報国や滅私奉公など、既成概念や押しつけのタテマエや偽善を捨てよ、偽善を捨てて堕落して、その果てに生きる道を、人間再建の道を探せという。

さらに、当時もっとも繊細な問題であったであろう天皇について言及する。

天皇という制度は、極めて日本的で独創的な政治的作品だと安吾は認識している。

天皇制は天皇によって生みだされたものではなく、その存立の理由は政治家達の嗅覚によるもので、日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見したとする。

時の貴族や将軍たち為政者が、自己の永遠の隆盛の手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけており、藤原氏も秀吉も歴史のなかでそうであったとする。

確かに武家政治を担う者、幕府の代表者は鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。それぞれ征夷大将軍で、朝廷の政治を代行している。

一転、戦後の風潮は「生きていればこそ」となり、さらに「死んでしまえば身もふたもない」である。
敗戦して、結局気の毒なのは戦歿せんぼつした英霊達だ、という考え方に安吾は同意しない。

しかし勇ましかった六十すぎた戦争指導者達がなお、生に恋々れんれんとして法廷にひかれる姿を思い、何が人生の魅力なのか分からないともしており、恐らく自分も、同じ立場なら生に恋々として法廷にひかれるだろうと正直だ。

その意味において、生という奇怪な力にただ茫然としている

安吾は、生の不可思議さを思う。人間という生き物の不思議を深く強く感じている。

さらに安吾は、私は偉大な破壊が好きであった という。

爆弾や焼夷弾しょういだんおののきながら、狂暴な破壊にはげしく亢奮こうふんしたが、このときほど人間を愛し懐かしんだ時はないと述懐している。

廃墟に生き残ることで、その先の予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心が、最も新鮮だったという。破壊に身を委ねる人間の運命を賛美してみせる

私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。

それは米人達が言う虚脱や放心ではなく、驚くべき充満と重量をもった無心であり、運命に素直な子供であったとし、常に笑っていた十五六、十六七の娘達の笑顔はさわやかだったという。未来への夢か、高い虚栄心か。虚無のなかに美しい笑顔を探すのを楽しんだという。

あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。

偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎないという。

そして世相を覆ってしまった堕落の日常に比べ、あの偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという。

助命を退け、切腹を強要されたことで四十七士の堕落は防げても、人間自体が義士から凡俗へ、又、地獄へ転落しつづけることを防げない。節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定しても人間の転落は防ぎ得ない。

日本は負け、武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生した。

特攻隊の勇士はただ幻影で、人間の歴史は闇屋となるところから始まる。未亡人が使徒たることも幻影で、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるという。

あるいは天皇もただの幻影で、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。

歴史という生き物の巨大さと同様に、人間自体も驚くほど巨大であり、生きるという事は実に唯一の不思議だとする。

生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。

人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことで人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外に人間を救う便利な近道はない。

戦争に負けたから堕ちるのではない。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

安吾は、堕落することは人間が真に自己にかえることの唯一の手順であるとしている。

しかし人間は永遠に堕ちぬくことはできないという。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かだが、堕ちぬくためには弱すぎるという。

安吾は、強く人間を信じている。人間は道徳や倫理に悩んだすえに、ふたたび生きていく活力を自ら見いだしていくことを信じている。

だからこそ安吾は、「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要」なのだという。

それは戦争のせいでもなく、時代のせいでもなく、政治のせいでもない。現実を乗り越えるために、堕落することでそこから自己の賦活作用が起こることを信じている。

だから逃げださず、責任を転嫁せず、正しく堕ちきってしまえ、と迫っている。

自己のあるじは、自分である。自分以外にはいないのだ。安吾は、もっと純粋に嘘いつわりの無い自己の精神に照らして、徹底的に自己を内省することを薦めているのだ。

そして人の如くに日本も堕ちることが必要だとする。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないという。

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