夏目漱石『草枕』全ての謎と物語の構造を解く「謎解き草枕」その1

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『草枕』は文系ミステリーである

 『草枕』の主題は、冒頭に説明されています。
一行目「山道を登りながら、こう考えた。」いきなり「智に働けば・・・」と始めたほうが格好良いけれど、一行目が大切です。「草枕」がどんな小説なのか、どんな旅が始まるのかを示しています。一行目から最後まで、考え続ける小説です。事件らしい事件は起きないけれど、主人公の頭の中では様々な事件が起きます。『草枕』は思索の旅です。では、何について考えるのでしょうか?

 山路を登りながら、こう考えた。
 ()に働けば(かど)が立つ。(じょう)(さお)させば流される。地をとおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる

夏目漱石『草枕』1章

「智・情・意」と芸術の関係 です。夏目漱石の真面目な芸術論です。
でも、それではあんまり面白くありませんので、作者はさまざまな仕掛け、謎かけを施しました。ですから、作品の趣旨を汲んで、こう言いましょう。
草枕は、文系ミステリーです。
 ミステリーのジャンルに、理科系の知識を使う”理系ミステリー”というのがありますが、草枕は、古典、海外文学、哲学、芸術等の文系の知識を使って解く”文系ミステリー”です。ミステリーですから「探偵」も出てきます。主人公の画工は、探偵に、屁の勘定をされるのを嫌って、旅に出ました。

「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、しりの穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」
「はあ、やはり衛生の方かな」
「衛生じゃありません。探偵の方です

夏目漱石『草枕』11章

 漱石先生は、読者に「探偵になってみろ」と言っているのです。
東京から逃げ旅に出た、画工の後を尾行してごらん。
そして、画工の屁の勘定をして、彼の尻の穴が三角なのか、四角なのか分析してみろ。
と、読者に挑戦状を突き付けています。

「尻の穴が三角か、四角か」とは、いったいどういうことなのでしょうか?
草枕は、この謎を解く推理小説です。
草枕の謎を解くと、『三四郎』もより一層楽しく読めます。
『三四郎』は『草枕』のペアとして生まれた作品であり共に「三と四」の物語
「三と四」は謎かけであり、ヒントでもあり、漱石の芸術論の大切な要素でもあるのです。

 草枕は難しそうだから、そもそも読む気は無い方
 読んだことはあるが、ぼんやりとした印象しか残らなかったという方

 『草枕』こそ、天才夏目漱石が遊び心をたっぷり込めて楽しみながら、自分自身のために書いた最高傑作です。謎を解きながら、あらすじを詳しく説明致します。拙文を踏み台にすれば、草枕の魅力がまだまだ発見できるでしょう。全6回シリーズです。長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

『草枕』登場人物と「謎解き草枕」目次

「謎解き草枕」その1

①「非人情」な男と「不人情」な女

 語り手は、東京に棲む30歳の画工 洋画を描く画家です。この小説は、彼の視点と彼の主観で描かれています。一度も名乗らず「余」と自称します。教養があり、俳句、漢詩も作れる、世の中の事分かってますという感じのスカした態度で、非人情」という言葉がお気に入りです
 けれども彼は、神経質で世間の視線とか評判が気になってしまう人です。彼の悩みは、東京に居ては画工になりきれない、ということ。画家としてやっていく自信が有りません。そんな彼が、熊本の山奥にやって来ます。

 画工が宿泊する温泉宿には、二十代半ばの若くてきれいな女将、志保田那美しほだなみが居ます。
5年前、熊本城下一番のお金持ちと結婚したのですが、破産してしまった夫と離婚して、実家に戻って来た”出戻り娘”です。村の人々は、彼女のことを薄情者不人情」な女だと噂しています。

 「非人情」な男が「不人情」な女に出会う旅
一度読めば分かる、表面的なあらすじをざっくりまとめると・・・

 画工が山奥の温泉宿に向かって山道を歩く。途中茶店で休憩して、婆さんと話をする。温泉宿に到着する。温泉宿では、女将の那美と話をしたり、温泉に浸かったり、地元の床屋に行ったり、お茶会に招待されたり、近所のお寺の和尚さんと話をしたりする。その間に、俳句を詠み、漢詩を作り、スケッチをする。最後は、那美の従弟いとこが日露戦争に出征するので、那美の父や兄と一緒に小舟に乗って山を下り、汽車の駅で見送りをする――終わり。

 いったいどこがミステリーなのか?と思われるかもしれませんが、草枕には普通の小説とは全く違う特徴がありますので、謎解きを始める前に、まずその点について説明します。
 それは「一回読んだだけでは、絶対に解らないように書かれている」ということです。