エンデ『モモ』解説|時間とは何か?大人たちへ心の在り方の箴言。

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時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語-そう要約されたミヒャエル・エンデ『モモ』、物質文明の現代にあって時間とは何か?時間とは貨幣の代替ではなく、命そのものである。この物語は、生きるとは何か?死ぬとは何か?を問う大人たちへ贈るファンタジー。

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あらすじと解説

都市から遠く廃墟となった円形劇場跡に、モモという少女が現れる。

ローマの古代遺跡を思わせる廃墟となった円形劇場が、大都会のはずれに在ります。それは現在にあって過去に繋がる時空の象徴です。過去と現在が続いています。

円形劇場とは古代の人間の営みを劇として演じたトポスであり、繰り広げられる悲劇や喜劇を、人々は真実のように観劇する。エンデは、舞台となる円形劇場跡をこのように紹介し、『モモ』の物語を人間の人生に問いかける<生命いのちの真実>として感じてほしいと前置きします。

都会で忙しく働いて成功した人々とは異なり、この辺りの人々は、お金はあまりなく、仕事もそこそこですが、楽しく語らったり、笑いあったり、ささやかな喧嘩をしたり、生きる活力にみなぎっています。

劇場跡の舞台下の洞穴に、くしゃくしゃの巻き毛、つぎはぎだらけのぶかぶかのボロの上着をまとい、足は裸足のままの浮浪児の少女が住んでいました。

彼女の名前はモモ。どこから来たのか、名前はほんとうなのか、なぜここにいるのかは分かりません。

この設定は、いったい何を意味するのでしょう。不思議な名前のモモという主人公は、人間の魂の象徴であり、古代から続く<あなた自身>であり、<あなたの心>は宇宙のひとつで、満天の星空と悠久の時間に繋がっていることを暗示します。

モモは超越的な能力を持っています、それは「相手の話を聞く」こと。相手をじっと見つめながら、心を開いて、耳を傾けるのです。聞く力は、見抜く力でもあります。

すると、迷っていた人は意志がはっきりし、引っ込み思案の人は勇気が出て、悩みがある人は希望が湧いてきます。人々は、心がなごみ、自分自身をもう一度、見つけ出し、勇気や元気や希望が湧き、気持ちが晴れ晴れするのでした。

そこで周囲の人々はモモの世話を焼きながら、モモに話しを聞いてもらおうと次々に集まってきます。

人々の<ほんとうの心><本来の自分>を呼び醒ましてくれる。大きな瞳を輝かせ話を聞くモモは、外見の見すぼらしい姿形ゆえに神秘的でもあります。

モモにはまるで、星の世界の声を聞く大きな耳たぶの底にいるようで、ひそやかな、壮大な、不思議と心に染み入る音楽が聞こえてくるように思えるのです。

この描写は、満天の星を宇宙に、その下の円形劇場跡を耳に、洞穴を知覚の源として喩えています。

ミヒャエル・エンデは、モモという不思議な少女に、子どもゆえの無垢さ、人に気づきを与え、真実を告白させる。そんな透き通った精神の世界、霊魂を宿したような霊性を授けています。そして時間という抽象概念を、宇宙の調べを聞き、星々の声に耳を傾けることで解き明かせないかと考えます。

さぁあなたも、内なるモモを呼び起こし人々や自然に耳を傾け、心の内側から世界を観ることで、この物語に参加してください!という導入部になっています。

時間を貯蓄しては如何か?と囁き騙す、時間泥棒の罠に嵌る人々。

どこからか灰色の車に乗った、灰色の男たちが現れる。灰色の服装で、灰色の鞄を持ち、灰色の葉巻をくゆらせている、顔まで灰色です。

彼らはもちろん人間ではありません。きっとモモと敵対する近代社会の象徴です。

都市からやって来たのか、未来から来たのか不明ですが、この町を侵食していきます。   

「時は金なり!」―灰色の男たちは合理的に人々に時間の節約をすすめます。無駄な時間を、時間貯蓄銀行に預けて蓄える。そして後で使ったほうが良いと囁く。そのために、“もっと効率的” に、“もっと生産的” に、“感情” を棄て、“無駄” を省くことの損得勘定を説得していきます。

例えば理髪店のフージー氏は、42歳になりちょうど自分の半生を振り返っている時期でした。ハサミとおしゃべりと石鹸の泡に縛られた人生は、何だったのかと自問自答していました。

そんなふとした虚無の隙間に、灰色の紳士が現れます。男は時間貯蓄銀行からやってきた外交員で、個性の無い XYQ/384/bという認識番号で表されています。

灰色の男は、時間の節約をフージーに説明し、これまでの時間を秒に換算して示します。

フージーの消費した仕事時間、睡眠時間、食事時間、耳の遠い母親の世話、恋人との語らい、趣味のひととき、小鳥の飼育などの時間を見直させ、いかに人生の浪費があるかを証明し、効率を追求し、余った時間を貯蓄させようとします。利子まで払うとそそのかし、年をとった時に蓄えた時間を自由に使うように勧めるです。

こうしてフージーは客と会話することも無くなり、母親は養老院に入れ、恋人とも疎遠になり、小鳥は捨てて、目まぐるしく働き、お金を貯めていきました。

灰色の男は、フージー氏に「これであなたは、現代的、進歩的な人間の仲間になれました」と褒めたたえます。

しかしどうしたことでしょう。フージーは次第に怒りっぽく、落ち着きがなくなり、仕事への誇りは完全に失せてしまい不機嫌になっていきます。そして、何故か節約した時間は手もとに残らず魔法のように消えて行きました。毎日がますます早く過ぎていき、ますます死に物狂いになるのでした。

フージー氏と同じようなことが、すでに大都会の大勢の人たちに起こっていました。<時間節約>をする人々が増え、次第に周囲も同調し、その塊はさらに大きくなります。

人々はいい服装をして、お金をよけいに稼ぎましたが、使うのもよけいです。そして、不機嫌で、くたびれた、怒りっぽい顔をして、とげとげしい眼つきになっていきました。

大人だけでなく子供にも影響が及びます。雷雨の天候のなか、円形劇場跡を船に見立てモモと一緒に航海ごっこを楽しんだ子供たちは、再び集って来ましたが様子が変ってしまいました。今では逃げてきているのです。

親から高価な機械仕掛けのおもちゃを与えられ、想像力を失っています。そして次第に、円形劇場跡に来ることも禁じられ始めました。

モモは友達が心配になり尋ねて行きます。腕の良かった左官屋のニコラは、卑劣なインチキ工事を金のために甘んじて受けていました。

居酒屋のニノの店は、これまでの気の置けない客を追い出し、安酒で居心地の良い昔の雰囲気はなくなって、なじみの客から効率優先の金払いの良い客へ乗り換えようとしていました。

世界を征服しようとする灰色の男たちと、モモが向かった時間の国。

それでもモモに話すことで、何とか仲間たちは元に戻ろうとします。そこで灰色の男たちは、目標を邪魔するモモを排除することを考えます。

廃墟の石段に、人間と見まがうほど精巧にできたモモと同じ背丈の高価なお人形が置いてあります。

何か欲しがる人形に、モモは自分の宝物を上げようとします。バラ色の貝、綺麗な色の羽根、素敵な斑点のついた石、金色の釦、色ガラスのかけら。でも人形は「もっといろいろなものが欲しいわ」と定型化されたいくつかの言葉を繰り返すだけです。

そこに灰色の紳士が現れます。豪華な着せ替え人形に次々とモノを繰り出します。

イヴニングドレス、ミンクの毛皮のコート、絹のナイトガウン、テニスの服、スキーの服、水着、乗馬服、パジャマ、ネグリジェ。うず高く服の山ができました。

さらに小さいハンドバック、本物の口紅、粉白粉のコンパクト、小さな写真機、テニスのラケット。人形用のテレビ。ブレスレッド、ネックレス、イヤリング、絹の靴下、皮の帽子、麦藁帽子、香水の瓶、入浴剤、マッサージ用スプレー・・・・

それからビビガールのお相手としてビビボーイ、さらにそのお友だち、そしてそのまたお友だちを与え、モモを取り込もうとします。

限りない欲望に答える消費文明の象徴です、それは気味悪く嫌悪するだけの光景です。

溢れるモノにうずくまるモモは、心に何も感じることができずに、何も楽しくありません。

すると灰色の男が自慢します。「人生で大事なことはひとつしかない」 それは「成功し、偉くなり、金持ちになること」そうなれば、友情も愛も名誉もついてくる。

しかしモモの話を聞く力は、灰色の男から内心の本当の声を吐き出させてしまいます、灰色の男は、ほんとうの企みを告白してしまうのです。

時間銀行の仲間たちは、人間から時間をむしりとり、人間の節約した時間を奪い、自分たちが消費する。灰色の男たちは人間に寄生して病原菌のように広がっていくことを告げてしまいます。

高い効率、生産性、無駄の排除、付加価値の向上・・・もっともらしく言葉巧みに囁きかけ骨までしゃぶりつくす。すべての到達の先は、金であり、モノです。彼らの正体と存在を生む構造が、モモの前で暴かれてしまいました。

現代でいえば、株主利益優先の社会であり、利益追及の旗印のもとに、働く人々の人件費は抑えられ、非正規はモノと同じ材料原価として損益参入される。

気がつけば、仲間意識は無くなり、足の引っ張り合い、ヒラメ人間が増え、ひいては働く人々の家族やその生活周辺まで感情の無いのっぺら棒の競争社会を作り上げていく。そして社会もコミュニティも分断され崩壊していく。

灰色の男たちの価値が浸透し、功利を追求するだけの社会となっていく。

モモはジジやベッポと相談し、「時間泥棒に時間を盗まれないように気をつけよう!」と町の子どもたちによるデモ行進を計画しました。ブリキ缶や笛を賑やかに鳴らし、シュピレヒコールを叫び、歌をうたい、大人に呼びかけました。

でも大人たちは集会にひとりも現われませんでした。すべて無駄だったのです。

灰色の男たちは、子どもたちの親に時間を与えず計画された集会を潰したのでした。

掃除夫のベッポも特別勤務・・・・を理由に立ち去りました。観光ガイドのジジもアルバイトのかけもちで夜警の仕事に行きました。二人とも時間泥棒に次第に時間を盗まれていたのです。

ひとり円形劇場跡に残されたモモ、夜空に星は無く雲がたれこめています。気味の悪い風が吹き始めました。まるで灰色の風のようでした。

その夜、ベッポは作業現場である裁判・・・・の光景を目撃します。そこには、たくさんの灰色の男たちが集まり、モモに告白したあの外交員 BLW/553/cの重罪裁判の法廷で、男は有罪とされ、灰色の葉巻を奪われた途端に、みるみる透明になって消えて無くなくなってしまったのです。

灰色の男たちは世界の時間を奪おうとしている。こうしてモモは灰色の男たちにとって、最も存在することが都合の悪いターゲットになってしまいます。

円形劇場跡では一人佇むモモの前に不思議な亀、カシオペイアが現れます。カシオペイアは<ツイテオイデ>と甲羅に光る文字を表し、モモを連れ立ってゆっくりと歩き出します。モモを捕らえようと大勢の灰色の男たちが灰色の車に乗ってやってきますが、すんでのところで逃れることができました。

モモに危険を報せようとベッポは、円形劇場跡に駆けつけますがモモの姿はありませんでした。ベッポは急いでジジのところに報告へ行きます。

カシオペアが案内してくれる道は、奇妙にややこしく、いくつもの庭を通り、橋を渡り、トンネルをくぐり、門や建物の廊下を抜け地下室まで通り抜けます。

そして時間の境界線際にある誰も知られていない地区に向かっていきます。

時間の国、そこでは時間が作られ、マイスター・ホラが人々に時間を配る。

突然、あらゆる方角からいっせいに金色の光が降りそそぎ、目が眩むほどです。

そうです、この描写はモモがカシオペイアに連れられて時間の圏外に出たことを意味しています。そこで不思議な光景を見ます。

向こうの記念碑には、黒い四角の石の台の上に、大きな卵が在ります。これは一体何なのかは分かりません。小宇宙を意味する全ての起源なのかもしれません。

この不思議な地区は時間の領域を離れたところだったのです。それは時間と空間を超えた異次元の世界です。この地区の外側の夜の町では灰色の男の乗った車が走っています。モモを追ってきた先頭の車が、アクセルを踏むのですが前に進みません。灰色の男たちにはこの境界は越えられないのです。

曲がり角を曲がると路地になっていて、ガラスの宮殿のようで、塔や張りだし窓やテラスがたくさんついていて、建物全体が真珠貝のように七色に光り輝いています。

壁にかかっている道路標識には金の文字で<さかさま小路こうじとあります。

不思議な圧力でモモは動けません。カシオペアに言われて後ろ向きに歩くと、何の苦も無く進めました。そして頭で考えることも、息をするのも、何かを感じるのも逆向きになりました。

道の奥の建物の扉が開き、白い一角獣の頭にのった表札には<どこにもない家>と記されていました。天井の高い、長い廊下。左右には男と女の裸像。カシオペイアの甲羅に「ツキマシタ」の文字が浮かびました。

ドアの名札には<マイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ>とありました。

大きな広間には、幾種類ものチクチク、タクタク、カチカチ、ブンブンという時計の音、宝石に飾りのついた小さな懐中時計、金属の目覚まし時計、砂時計、人形の踊るオルゴール時計、日時計、木の時計、石の時計、ガラスの時計。壁にはハト時計、など時計がいっぱいです。ここは<時間の国>です。

全部の時計が別々の時間を指していますが、音全体は不愉快な騒音ではなく、夏の森で聞こえるような気持の良いざわめきです。そこに銀髪のほっそりとした老人が現れます。モモの方に近づいていくと若返ってしまいました。「ようこそ」とマイスター・ホラは自己紹介します。

マイスター・ホラは<星の時間を表わす時計>を持ち、宇宙の時間を司っています。

モモに食事をもてなします。金褐色に焼けたパン、金色のバター、金の液体のような蜂蜜、そして飲めるチョコレート。食べるにつれ疲れも消え、さわやかな元気な気分になれました。

カシオペイアには、30分だけ先の未来を予知できるので、灰色の男たちからモモを守ることができたことを知りました。ホラは時間を司る大いなる宇宙なのでしょう。人間それぞれに時間を配っています。一方、灰色の男たちは人間たちの時間を奪います。正反対の関係になります。

モモは「灰色の男たちがなぜあんなに灰色の顔をしているの」とホラに尋ねます。

するとマイスター・ホラは「死んだもので、いのちをつないでいるから。人間は一人ひとりが自分の時間を持っていて、この時間は自分のものである間だけ、生きた時間でいられる」と答えます。

そして「灰色の男たちは人間ではない。ほんとうはいないはずのもので、人間が発生を許す条件を作り出し、今では、支配させる隙間を与えている」と言います。

さらに「彼らを肥らせているのは、ほかならぬ私たち自身」であり、そして「人間は自分の時間は、自分でどうするかを決めなければならない」と言います。

人間は時間を感じるために心がある。心が時間を感じとらないようなときは、時間は無いのも同じなのです。