坂口安吾『夜長姫と耳男』あらすじ|好きなものは、呪うか殺すか争うか。

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解説

妖しい女の美しさに男は狂い、弄ばれることが恋愛のかたち。

安吾はエッセイ「恋愛論」の中で

恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なものが恋愛なのだろうと私は思う。

人間には「魂の孤独」という悪魔が口をひろげて待っている。強者ほど、大いなる悪魔を見、争わざるを得ないものだ。

ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

と書いている。

この夜長姫は黄金をしぼらせた露を産湯に使い、その露がしみて身体は生まれながらに黄金の光り輝く香りがする。すこぶる気高い姫君である。その姫君は人々が見入ってしまうほどに美しく、さらに無垢で残酷な笑顔を持っている。その残酷な笑顔は人間が死ぬことでますます美しく輝いていく。

この夜長姫に飛騨の匠の若い青年である耳男は、最初は向こう見ずな負けず嫌いであったが、姫の人間離れした振る舞いに、逃れられないほどの魅力に吸い込まれ思いのままに動かされていく。

女が残虐で美しければなおさら、その血みどろの無気味な中に透明感を漂わせる。そして、男はもてあそばれながら狂っていく。

好きなものは呪うか殺すか争うか 、その意味を探る。

耳男は両耳を失うが、どちらも夜長姫が発端である。さらに姫は十六の正月に耳男の家を焼き払い、バケモノの像に倣い疫病が流行ると蛇の血を飲み、高楼に吊るしながら村人の死を祈りキリキリ舞を楽しむ。匠の誇りを踏みにじり、蛇の血と死骸を吊るした高楼の上から村人を呪い殺す。

耳男は神経症的な不安のなかで自分をも失い、姫を殺さなければ人間世界はもたないと考えるに至り、夜長姫の胸をキリで刺す。

殺すときは、サヨナラの挨拶をして」と言いながらヒメは、つぶらな瞳を耳男に向け、微笑みかけている。最後にニッコリとささやいて「好きなものは呪うか殺すか争うか」といい、目が笑ってとじる。耳男にとっては、もがき苦しんだ果ての行為だった。

そして姫は、恋愛とは、そして芸術とは、呪うか殺すか争うかのなかで生まれるものと言い残し、耳男に期待の言葉をかけて息絶える。

バケモノがすばらしいのは呪いがあり、ミロクがつまらないのは戦いがなく安らぎしかないからという。夜長姫は耳男に好意を持つのだが、姫の美しさは<冷血>で<残酷>で<傲慢>な中に潜んでいるのだ。

その美しさを奪うためには、呪いのなかで、争いのなかで、そして最後は殺すことで、その<美しさ>を無きものにするしかない。しかし同時にそれは、自身もまた<空虚>なものに変えてしまう。

姫は<美>への殺意の気配を知っていたはずだ。耳男は狂気のあまり姫を殺し、放心して気を失い倒れる。<美>への出逢いに礼を尽くし、せめて別れの挨拶をして欲しいと姫は考える。

魔性の女の恋を描く幻想的な安吾の世界である。

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作品の背景

飛騨の匠の耳男が美しく無邪気で残酷な夜長姫に翻弄されていく奇怪な物語。作品の舞台となった飛騨は安吾の関心の高い場所だった。飛騨の土地と風土のなかで、ヒダ王朝を「夜長の里」、耳男たちは「飛騨」の名人で、こちらは匠の住む場所となっている。この境は乗鞍山で分かれている。

『夜長姫と耳男』は、この王朝と匠の2つの部族の物語を説話形式でオレという一人称で描いている。同じ説話形式の『桜の森の満開の下』に見られる男女の関係に似て、美しく残酷で階級の高い女と、その魔性に狂い惑い倒錯していく男。作品は共に女は異界に住み、男を魅了し幻想の世界へ誘っていく。

発表時期

1952年(昭和27年) 雑誌『新潮』6月号に掲載される。坂口安吾は当時45歳。戦前から戦後にかけて活躍した作家で太宰治と並ぶ無頼派とされている。戦後、『堕落論』と『白痴』の二作で流行作家となる。安吾文学は神経症的な不安と狂気を描くことが多い。『夜長姫と耳男』は説話形式の小説で、『桜の森の満開の下』と共に傑作として評価され、安吾の芸術観や恋愛観も描かれている。カタカナの多用が目立つが、現在では逆に読みやすさもある。安吾の代表的な幻想作品である。