夏目漱石『私の個人主義』解説|漱石の語る、個人主義とは何か。

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明治の時代、国を開き近代化を急ぐ日本。諸外国から技術や知識を取り入れ工業化により産業を振興。自由主義と資本主義が発展していき、都市化と思想としての個人主義が流行ってくる。しかし西洋かぶれの外発的、皮相だけの理解のなかで日本人の価値観は平衡感覚を失っていく。ここに自らの煩悶のさきにその答えを導いた漱石の個人主義がある。

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解説

現在の日本では、「個人主義」を声高こわだかに語ることはなく、寧ろ、当然のこととされています。しかしそれは本当の意味での個人主義なのでしょうか。今から100年以上も前の明治の時代、西洋から入ってきた個人主義の概念を、いかに旧来の日本の道義と融合させるかという問題がおこります。これは漱石が大正3年、1914年11月25日に学習院の生徒たちに行った講演が活字となったものです。以下、

・悩むことの大切さ
・自己本位とは何か
・権力と金について
・人格ある個として生きる
・個人主義と国家の関係


の5つに分けてお話しします。

悩むことの大切さ

講演は始めに、若き頃の挫折と煩悶の話から始まります。

漱石は帝国大学に入学します。当時は大学といえば東京帝国大学だけです、大学の進学率は1%程度。いかに優秀で未来を約束された若者だったかがわかります。当然、漱石自身も明治という時代に大いに貢献する気概に充ちていたわけです。

英文科に入り、文学を究めようとします。特待生にも選ばれ、ジクソンという教師の指導を受けます。朗読させられたり文法を学んだり発音を訂正させられたりと夢中に学びます、試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、スコットの書いた作物を年代順に並べてみろなどの問題ばかり出ます。

漱石は、これでは英文学はおろか文学とは何かなど解らないという問題意識にぶちあたるわけです。
かといって自力でそれを究めることもできずに、どうにもならない苦しみを抱きながら3年間を過ごし、結局、文学はわからずじまいでした。

煩悶の第一はここに根差していたというのです。負けず嫌いな漱石ですから、たいへん悩み苦しんだ訳です。

こんな状況で卒業をして、研究を続けながら英語教師となります。教師になりたかったのではなく、そうさせられた感じがしています。ただ英語が話せるだけという感覚でしかないのです。教師という仕事が空虚で、不愉快な漠然とした煮え切らないものを感じます。

教師の仕事は、自分の仕事ではないと思い、自分の持っている才能や特質の分野へ変わりたいが、その本領があるようで、ないようで不安定なのです。つまり自分にふさわしく、得意な分野は何かと考えると、そんなものがあるのかどうかが自分でわからないのです。

何かしなければと思っても何をしたらよいかがわからない。まさに煩悶ですよね。もだえ苦しんでいる状態です。

そして「自分は霧の中に閉じ込められた孤独な人間」と比喩します。視界不良で先が全く見えない状況ですね。

漱石ほどの人物が挫折をするさまです。その挫折の背景には、自分との葛藤があります。ここで私たちは、漱石だから・・・とか、文学という高尚な悩みだから・・・と話をずらしてはダメです。思春期の悩みだろうと、社会人になっての仕事の悩みだろうと、恋や人生の悩みだろうと、生きていくうえで悩みは避けることができません。

大切なことは、本質を見極めたいという強い意志も持つこと、同時に、他者に従うのではなく自らに向き合う態度だと思うのです。

 こうして不安を抱えて、松山から熊本、そして国費で外国に渡ります。文部省より英国留学を命じられるのです。漱石はその責任を自覚し努力します。 それでも英文学の研究は、ふくろに閉じ込められたようで、嚢を突き破るきり倫敦ロンドン中探して歩いても見つかりそうになかった、と告白します。

つまり英国まで行っても文学とは何か解らなかったというのです。

大学の授業でも、教師となっても、東京でも地方でも、さらに外国まで探し求めても、その手立ては見いだせなかったというのです。

ここでも大切なことは、その前提に、あきらめない頑固さがあります。煩悶には漱石の問題意識の深さがあり、納得して腹落ちするまで進むしかないとする覚悟があることです。

小説『こころ』のなかに「あなたは真面目ですか」という言葉が出てきます。真摯に向き合う姿勢に、他者に従うという外発的ではなく、自分事として悩み、そして解決しようとする態度。その覚悟のなかに、自然で内発的な思考をもつことができるのです。

この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。

今までは全く他人本位であった事にようやく気がついたというのです。漱石の言う他人本位とは、「人真似ひとまね」のことを指すのだと断言しています。

例えば、西洋人がベルグソンやオイケンの哲学が今流行りというと、尻馬に乗って日本人も騒いでいる。ただカタカナを並べて吹聴し得意がっている。本人ではなく、それを評した人のものを読んで、その当否を考えずに、自分が腑に落ちようが、落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかす。

それが当時の学者や知識人の姿だったのでしょう。当の漱石も自分自身がそうであったと認めています。これを人真似としています。鵜呑みといっても良いし、機械的な知識といっても良い、自分の血や肉となっていない。よそよそしいものを我物顔わがものがおにしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれをめるのです。

いいですねぇ、この漱石の言葉。誰よりも世界の流れをいち早く捉え、カタカナ言葉を使用し、もっともらしい解釈を吹聴する自称知識人。エリートを装う人間こそが、最も軽薄だと皮肉っていますよね。これって今でも変わっていないというか、同じなんじゃないと思います。

けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。

現在では、実際は間違えても訂正さえしない厚顔無恥さまで加わり、その意味では軽薄度が増しているとさえ思われます、普通の人々には耐えられません。

手もなく孔雀くじゃくの羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華ふかを去って摯実しじつにつかなければ、自分の腹の中はいつまでったって安心はできないという事に気がつき出したのです。

浮華ふかとはうわべだけの華やかさ、つまり実の無さですね。こういうのをやめて心からの真面目で誠実なさま、そんな態度でなければいつまでも心の安らぎはないのだといいます。

どうでしょうか。漱石先生のお言葉。多くの情報が溢れ、表層に押し流されていく自分を反省することしきりです。そのためには一本の鶴嘴つるはしを持ち、鉱脈にぶつかるまで掘り続けなければならないとしています。探求し続けることの大切さを知れば、決して威張ったりする暇はないのです。

結局、真面目な態度が問われているのですね。さらに、

私が独立した一個の日本人であって、けっして英国人の奴婢どひでない以上はこれくらいの見識は国民の一員としてそなえていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。

当時の先進国でお手本は英国なのでしょう。それでも一個の日本人としての尊厳の次元として説明しています。プライドがあるだろう、自分の頭で考えなさいと言っているわけですよね。

悲しいかな、現実は欧米から新しい考えがカタカナとして押し寄せる。それを、あたかも新しい時代の新しい規範のように感じる。そして時々に、唯々諾々いいだくだくと受け入れる政治や学問の世界。これって指導者層の劣等性じゃないでしょうか。

そして庶民的な感覚を持つ国民の実感から程遠いことを無理やり下に降ろしたりします。そうなると、まさに国家と国民の関係にもなっていきます。

さらに「世界に共通な正直という徳義を重んずる点」から見ても私は私の意見を曲げてはならないと、漱石は言っています。これは決して画一的な普遍主義のことではなく、寧ろ哲学的に共通な道徳観のようなものだと思います。

この調和と隷属の問題は、100年以上も前の漱石の講演から現在にいたるまで続いているのではないでしょうか。しかし一方でこうも認めています。それでも矛盾が起こると気が引けるもの現実であると。

ではどうして西洋と日本の違いが起こるかという点の前提を説いています。

そこでこうした矛盾がはたしてどこから出るかという事を考えなければならなくなる。風俗、人情、習慣、さかのぼっては国民の性格皆この矛盾の原因になっているに相違ない。

つまりその違いは、私たちが西洋人ではなく、日本人だからだというのです。

日本人は日本人としての風俗、人情、習慣、そして国民の気質がある。日本人が劣等なのではなくて、日本独自の文化に根差しているからだと言います。

文学は科学ではないので、国や文化と関係のない普遍や必然が存在しているのではない。

さらに漱石は、この矛盾を融和ゆうわする事が不可能でも、つまり西洋と日本が調和できなくても、その違いを説明する事はできると考えたのです。ここに漢学かんがくに造詣が深い漱石は、西洋文学においても言文一致というかたちで日本独自の近代文学の礎を築いていったのでしょう。