ジョン・アーヴィング『ガープの世界』解説|死のその時まで、ひたむきに命を生きる。

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解説

『ガープの世界』とは、作家の実生活と虚構を描いた人生の物語化である。

ジョン・アーヴィングの半自伝的な小説とされている。

母ジェニーには、半生を描いた『性の容疑者』という個を貫いた生き方があるが、作家を目指すガープは、私生児ゆえ父子の継続性は無く、年若く経験もない。彼には想像力だけしかなかった。

ガープの作法には、洞察力、創造の苦しみ、強い自己主張がうかがえる。妻のヘレンは小説を読むのが好きな文学部の大学教授の設定である。つまりガープの作品の良き読者であり批評家なのだ。

十八歳のガープは、オーストリアを作家の原点とする。ナチス占領の開始からソ連占領が終わるまで「死んだ都市を収めてある博物館」のようなウィーン。ガープは年齢不相応に老成する。

そして実生活の経験から想像を加えて作品を創造していく。『ガープの世界』には四つの作中作が挿入されており、その分量も多い。巧妙なメタフィクションの構造となっているが、それはあたかも作家の創作手法やアプローチを読者に開示してくれているようだ。

八十年代、日本のみならず現代小説は終わりとされポストモダン文学がもてはやされたころ、ジョン・アーヴィングはその風潮に抗った。彼の目指すのは主題とプロットに基盤を置いた<小説の面白さ>なのだ。

編集者のジョン・ウルフが選定基準にしたのは、出版社に働く掃除婦ジルシ―・スローパーの鑑識眼だった、ジルシ―は「次がどうなるか、知りたいから」読むという。そしてそれが「いかにもほんとうのこと」が書いてあるという。彼女こそが現代の読者が求めるものなのだ。

ジョン・アーヴィングは、ガープの言葉を借りて「小説は人生よりもよく造られたものでなくてはならない」としている。

マルクス・アウレリウスの自省録から、<生>と<死>を主題に据える。

その中核となるのが<生>と<死>で、ここで第十六代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウスの思索や内省の言葉を綴った「自省録」の一節が全編を通して投影される。

それは「人生をいかに捉え生きるべきか」「厳しい現実や困難にどう向き合うか」そして「死とは何か、真の幸福とは何か」というような哲学的な問題だ。

これを読み、ガープは作品の違いはテーマではなく、知性と洗練度にあり、その違いこそが “芸術” だと確信する。

ヘレンとマイケルの不倫問題に端を発し、ダンカンを失明させ、ウォルトを失うという大惨事に見舞われる。夫婦の信頼は無くなり、傷つけあうが、ジェニーを媒介に、お互いを許し合う。

ジェニー亡き後は、ガープはドッグズヘッド港の不幸な人たちに対しても寛大になる。ガープは「寛容に生きる」ことに到達するのだ。

そして人間に訪れる「絶えざる変化」を受け入れる。ウォルトの喪失からの立ち直り、隻眼となったダンカンの克服、ヘレンとの和解、ガープの想像力の回復、さらに寛容が生み出す人々との生命力あふれる関係、それはロバータにも、エレン・ジェイムズにも、その他のたくさんの登場人物との関係においても起こる。

そして「死とは何か」―死は自然の欲するもののひとつであるーだから死に対する恐れの感情も死を忌避する感情も必要ない。

『ガープの世界』は「死」が充満している。ガープは死の直前に自己の内面を見て、「死後の世界がなくたって、どうだというんだい?ぼくの後も世界はあるじゃないか。たとえ死後に死しかなくても、小さな良きものに感謝しようじゃないか」と言う。

それは「真の幸福」を見つけた、充実した人生だったことの証なのだろう。

ガープの意見ではこの世界では、自由への最大の敬意が込められている。

想像好きで小説家を目指したガープは、多様なマイノリティに囲まれ大人になっていき、死をテーマにした作品が多い。しかしそこにどこか明るいユーモアがある。人間賛歌である。

喜劇と悲劇が交差する人生、しかしガープは悲劇を喜劇へと転回させていく。『ガープの世界』と同じように、あなたの人生の前に繰り広げられていく世界は、あなたの意思によって変えられる。

原題は、The World According to Garp。「ガープの意見ではこの世界では」となる。“according to”には、第三者的な響きがあり、逆の言い方をすれば代替できない個人の意見ということになる。

ガープの暗殺に対して、妻のヘレンは “ガープの死は結局は一種の自殺だった” と言い「あの人の全人生が自殺だったという意味」だと謎めいた言葉を残し、「あの人はだれでも怒らせすぎてしまう」と後に説明した。

ガープの人生、それは交換不能なDNAや運命で、時間軸としての伝統や慣習と断絶し、社会の価値や大義に踊らされることなく、彼が感じた自由意志によって拓かれていった。

固有の人生は如何なる他者―配偶者や恋人、家族や血族―であっても、代替できないのだ。ひとつの生き方を生き、ひとつの生き方に殉ずる。

ここに自由(Liberal)への最大の敬意が込められているのだろう。

あなたというただ一人の人間の生と死の現実は、いかに数奇で波乱万丈であっても、悲劇をも喜劇として感慨深く終わっていく。それこそが個人の尊重であり、物語つまりは歴史である。

自由に生きるとは、前進するエネルギーで人生の悲喜劇を生き抜けること。

自由(Liberal)は、共同体より個人。個人の自由を制限する伝統や慣習は取っ払ってしまえという考え方。革新的であり、進歩的だ。自由は尊く守られるべきだが、勝手し放題の放縦ほうしょう状態となれば、収拾はつかなくなる。

ジェニー・フィールズを母として、不思議な方法でこの世に生を受けたガープと、そのの家族と周辺の人々の物語。母とガープの愛、ガープとヘレンの夫婦愛、ガープと子供たちの愛、そして侵入する暴力や強姦や暗殺。最期にすべての人間に訪れる死。

『ガープの世界』には<自由を愛する>人々の様々な出来事が連続する。非婚出産、性的マイノリティ、フェミニズム運動・・・。それでも自由の精神は何にも代えがたく、何者にも侵されない。真の自分を発見し、自己に忠実に生きていく。

ジョン・アーヴィングは  “この世界では、われわれはすべて死に至る患者なのである” (P474)という。

人間にはエネルギーが必要である。生きる活力を失わなければ、素晴らしい人生にできる。人生とは自らが選択した物語をエネルギッシュに生きることなのだ。そこには<自由に生きて死ぬ>という満足感が漂っている。

唯一無二の『ガープの世界』は、また一方で唯一無二の『あなただけの世界』でもある。

二〇二二年、広がるリベラリズム(Liberalism)の世界は、アイデンティティ・ポリティクスとキャンセル・カルチャーの高まりのなかにある。だからこそ一九七八年に書かれたこのミリオンセラー『ガープの世界』を一読することをお薦めします。

終章の<ガープ亡きあと>の章では、ガープの死後、残されたそれぞれの人々のその後の人生、そして<死>が綴られる。そこには、生きる人々への愛が充満する読後感がある。真の自己を発見し、忠実に生きることの生命の輝きがある。

発表時期

1978(昭和53)年、刊行。ジョン・アーヴィングの4作目の小説。アメリカで大ベストセラーとなる。ポストモダン文学を否定し、ディケンズ流のプロットを重視し物語の復権を目指し、人間喜劇のような波乱万丈の人間物語を展開する。

主人公ガープの作家としての経歴が、アーヴィング自身を彷彿とさせる。作中作と符合させると、動物園つながりで『熊を放つ』と『遅延』、『一五八ポンドの結婚』と『寝取られ男の巻返し』、『ホテルニューハンプシャー』と『ペンション・グリルパルツアー』そして全体を包む世界として『ガープの世界』と『ベンセンヘイバーの世界』と解説されている。