買い物途中の「黄色」が、夜の商店街をふらふらと歩く「むらさき」を見かけるという場面。目の焦点が合わない彼女を見て、「黄色」は一体何があったんだと心配になってしまう。後日「むらさき」がチーフ達と飲み過ぎた帰りだった、と判明する。「黄色」の仮面を被った権藤だが、実際には酒を飲まない彼女は、「むらさき」が単に酔っぱらっていただけ、というのが見て取れなかったのだ。
「権藤が下戸であること」をさらに2回も職場のスタッフのセリフによって、知らせている。
「だって権藤チーフは下戸だもの」
「ばかね!その人は下戸なのよ!」
この2回の間に「黄色」は飲酒をしている。所長とデート中の「むらさき」が居酒屋で飲み食いするのを尾行しながら、「黄色」も「生ビール三杯とえのきバターとホタルイカの沖漬けを頼み、会計をせずに出て来た」とある。これが現実ならば、会計をせずに出てこられるはずが無いのはもちろんだ。
全てが権藤の創作では無く、彼女が実際に見聞きした現実、現実を反映した想像、現実から飛躍した空想が合体した物語であり、権藤と「黄色」の境目も分かりにくいので、何度も読まなければいけない。少なくとも3回は、読んだほうがいいと思う。コントのようなユーモアと皮肉も楽しめる。
【例①】 ホテルの客室清掃の職場の同僚たちは、客が手を付けずに部屋に残した高級果物をこっそりくすねているのだが、権藤チーフだけは「果物が嫌い」という建前で、この行為に参加しない。権藤は潔癖かつ小心、小さな罪悪で連帯感を持つような関係は、苦手なのだろう。が、黄色いカーディガンの女の仮面を被った権藤は、大胆だ。肉屋のショーケースにぶつかって壊してしまい、その弁償のために経済的に困窮すると、ホテルの備品を盗み小学校のバザーで売る、という小銭稼ぎを単独でやっている。この犯罪の容疑は「むらさき」にかけられる、という展開になっている。実際の真犯人は不明。
【例②】 「むらさき」のコミュニケーション能力の高さが、「黄色」を圧倒する場面があった。彼女は公園で、子供たちと一つのリンゴを分け合い、鬼ごっこをして仲良くなってしまうのだ。あのシーンが現実かどうかは分からない。職場でチーフ達と、ジョークを使って打ち解けた日野まゆ子のやり方を見た権藤の想像か。ただ人間関係には、きっかけを掴む、冗談、間合いを図る事なども必要だと、知ったように思う。そこで「黄色」は、バスの中で「むらさき」の肩についたご飯粒を取ってあげようとするが、タイミングが悪く、彼女の鼻をつまんでしまう。
大部分が”作中作”だなんて、つまらないと思う人もいるかもしれない。だが、物語だって人を変える。権藤は、日野まゆ子に関心を持って観察したこと、彼女ならばどう振る舞うだろうと想像したこと、窮地の友人を手助けした挙句に裏切られること、を物語の中で経験した。どうすれば他人と関る事ができるのか?どうすれば親しく成れるのか?その結果起こる可能性について。そこまで具体的に想像することによって、ほんの少し変化してみる心の準備が出来たのだ。
最後の段落で商店街へ出かける「わたし」は、黄色いカーディガンの女ではなく、素顔の権藤なのだろうか。二人は融合したのかもしれない。「黄色」は、権藤の分身でもあったのだから。
ドラッグストアと酒屋とパン屋を回っている。たぶんドラッグストアでは、あのフレッシュフローラルの香りのシャンプーを買っただろう。酒屋では、飲めないアルコールを試してみようと、サワーの缶でも買ったのか。最後はいつものクリームパンを買って、公園のベンチに座った。
クリームパンの袋を取り出して、パンの温かさを感じると、なんと初めにパンを半分に割ったのだ!これまでは、クリームやアーモンドがこぼれ落ちないよう食べることばかりに気を取られていたのに。
今、彼女の膝の上には、二つに割ったクリームパンの片割れが置かれている。そして彼女の心は開かれている。すべての準備は整った。それは、子供達に伝わったのだ。
絶妙なタイミングでわたしの肩を叩いた子供が、キャッキャッと笑いながら逃げて行った。
『むらさきのスカートの女』今村夏子
そうだ!権藤チーフ、今こそ絶妙なタイミング。
今なら、子供達とクリームパンを分け合える。
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