芸術至上主義の精神を描いたとされる代表作『地獄変』を解説する。その至上の果て、高みに向かう姿が、現世の権力の支配に対抗し、人間の道徳的な規範さえも突き破ってしまう。その先に到達した芸術の最高の価値と、死によって贖われ、晒された苔蒸す誰とも知れぬ墓。それこそが芥川の目指す精神だったのか。
あらすじと解説
支配者の大殿様の残酷性と絵師 良秀の残酷性、ふたつの対立
語り部の追想で物語が進むが、そこには独裁者と芸術家のどちらが残酷かの闘いがある。
大殿様の権力による支配力>
独裁者とは堀川の大殿様のことである。しかしその人物の細かな描写はない。
この世に二人といない人物で「大威徳明王の御姿が母君の夢枕に立った」という。大威徳明王とは五大明王の一つ、西方の守護神。大殿様は、始皇帝や煬帝のような自己本位の栄耀栄華ではなく下々の事まで考えている。
大腹中の器量があったとする。度量の大きなりっぱな御方、壮大で豪放で徳があり、世の人々から尊ばれる人物である。
そんな人物ゆえ妖怪に遭っても何事もなく、幽霊も叱りとばすほどの威光があり、洛中の老若男女は、大殿様を権現の再来のように尊ぶ。
エピソードにも事欠かない。大饗の引き出物に白馬を三十頭、賜わったり、寵愛している童を橋柱に立てた事もある。医術を伝えた僧に、腿の腫物を切らせたこともある。
語り部の大殿様の描写は、独裁者で大衆に尊崇され、残酷性が垣間見える。絶対の権力を誇る支配者の姿である。人物描写がないのは普遍性を持たせるためか。
良秀の画力による支配力>
語り部は、続いて良秀と云う絵師の話に及ぶ。こちらは細かな人物描写がある。
絵筆をとると、良秀の右に出るものはいないと云われるほど、高名な絵師。
年は五十の坂、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪そうな老人、人柄は卑しく、年に似ず唇が赤く獣めいている。立居振舞が猿のようで、猿秀と云う渾名すらあり、大殿様の邸の者には嘲笑されていた。
邸の中ばかりでなく僧都様のほうでも、良秀を悪魔の障りにでも遭ったように憎んでいた。
良秀には悪い癖があった。吝嗇で欲深く、恥知らずで怠けもの、とりわけ横柄で高慢で、いつも天下一の絵師と偉そうである。そして、世間の習慣とか慣例とかを莫迦にしている。
或日、名高い巫女に御霊が憑いても、その物凄い顔を丁寧に写し、霊の祟りも子供だましと云ったり、吉祥天を描くときは、卑しい傀儡の顔を写し、不動明王を描くときは、無頼の放免の姿を像ったりする。
人が詰ると「良秀の描いた神仏が、その良秀に天罰を当てられるとは、異なことを聞くものじゃ」と馬鹿にした態度をみせる。傲慢で、自分ほど偉い人間はいないと思っている。
語り部は、大殿様の権力による支配と、良秀の画力による支配を対置させており、大殿様は立派な為政者と世間の評判だが残酷な面を持ち、良秀は高名な絵師で芸術に生きているが、唯我独尊で傲慢と酷評し、世間の不評判と紹介している。
良秀の一人娘の平穏を見守る、良秀の化身の猿と大殿様の覚えめでたき様①
十五になる良秀の一人娘が、大殿様の邸に小女房に上がっていた。
この娘は、生みの親には似つかない愛嬌のある娘で、母と早く別れ、思いやり深く、利巧で、気がつき、正室はじめ外の女官からも可愛がられた。
ここで、「地獄変」の屏風絵の中心となる良秀の一人娘が登場する。
そして娘の身を守りたい良秀を投影する一匹の猿が登場してくる。予め、良秀の立居振舞が猿のようだと描写してあり、愛する娘を思う親心が小猿に投影され監視的な役割となっている。
良秀の化身となった小猿の存在が、物語に不思議な味わいをそえる。
大殿様に献上された一匹の猿に、悪戯盛りの若殿様が良秀という渾名をつけ、皆がこの猿を笑い、いじめた。或日の事、この小猿の良秀が「柑子(蜜柑)盗み」をして、若殿様に追いかけられる。良秀の娘が「父が折檻を受けているようで」と願い、お許しを請う。
小猿がなつき、良秀の娘と仲良くなり、御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい深紅の紐に下げて、猿の頭に懸けてやり、猿も娘の身のまわりを離れず、気のせいか見守っているようである。
このことで小猿は、逆に可愛がられるようになり「良秀の娘は孝行な奴」と大殿様から褒められ、紅の内着を褒美に頂く。この内着を猿が押頂き、大殿様の機嫌はさらによくなり、良秀の娘を可愛がり、そして小猿も可愛がられた。
このくだりは、権力に従順なる下々の姿であり、大殿様の覚え目でたき出来事だろう。
地獄変を描けとの云いつけは、良秀に最高の芸術と死を予感させる。
当時の名匠は、優美な評判が立ったが、良秀は気味の悪い妙な評判しかたたない。
五趣生死の絵には天人の溜息や啜り泣き、死人の腐った臭気すら嗅ぐほどだった。大殿様の云いつけで描いた、似絵に書かれた女房たちは、三年と経たず、皆、魂の抜けたような病気になって、死んだ。それが良秀の絵が邪道に落ちている証拠だという。
そうして、話が思いもよらぬ方向へ、あるいは予想された方向へ、転回していく。
大殿様が冗談に「その方は醜いものが好きと見える」と仰ったとき、良秀は年に似ず、赤い脣で気味悪く笑いながら「さようでござりまする」と答える。
そして凡庸な絵師には醜いものの美しさは分からないと、横柄に高言を吐く。
ここで、運命が決まってしまう。従順でない者を自由に操る支配者の愉しみと、如何なる力の前にも屈しない芸術家の矜持。対立の構図を意図してか、あるいは対立は無意識に、良秀の性癖が作り出してしまったものか。
良秀は、梅の花や、月の夜毎の匂い、大宮人の笛吹く姿など優美なものを芸術とは認めていない。
芸術は苦悩のなかにあり、苦悩を描くことが、良秀にとっての画道なのだ。
ところがこの良秀、一人娘の小女房をまるで気違いのように可愛がっている。娘が大殿様の御声がかりで小女房に上がったのも大不服なのである。良秀は子煩悩で、始終、娘の下がることを祈っていた。大殿様の邸の務めから父親の元へ返して欲しいのである。
大殿様言いつけの稚児文珠を描き、ご寵愛の童の顔を見事に完成させ、大殿様も満足で「褒美には望みの物を取らせるぞ」とありがたいことを言われると、「私の娘を御下げ下さいまするように」と申し上げ、大殿様は機嫌を損じ「それはならぬ」と云う。このようなことが四.五遍あった。
大殿様の良秀を見る目は冷ややかになった。そうすると娘も心配になり涙する。
地獄変の屏風絵の由来も、大殿様が娘を恋慕したが、娘が大殿様の御意に従わなかったからとの噂が立った。
語り部は、大殿様がお下げにならなかったのは、娘の身の上を哀れに思し召し、頑なな良秀よりも御邸において何不自由なく自由に暮らせてやろうとの考えだと云う。色を好んだと評するのは、道理に合わない嘘だと噂を否定する。
娘の事から良秀の御覚えが大分悪くなってきたときに、大殿様は「地獄変」の屏風絵を描くように良秀に云いつける。
語り部の追想のなかで、完成した「地獄変」の屏風絵が紹介される。
それは構図からして独特で、一帖の屏風の片隅に、十王を始め眷属の姿を描き。一面に紅蓮大紅蓮の猛火が剣山刀樹も爛れる渦を巻き、火焔の色で卍のように黒煙と金粉を煽った火の粉が舞う。
特徴的なのは、業火に焼かれて上は月経雲鶴から下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間が描かれているー殿上人、青女房、念仏僧、侍学生、女の童、陰陽師―が火と煙りが逆巻くなかを牛頭馬頭の獄卒に虐まれ四方八方に逃げ惑う様である。
この絵は、通例の地獄の絵ではなく、現世のあらゆる身分の人々、すべてが描かれる。
ひと際、目立って凄まじく見えるのは、中空から落ちてくる一輌の牛車だった。車の簾の中には、女御、綺麗びやかに装った女房が、丈の黒髪をなびかせて、白い頸を反らせながら、悶え苦しんでいる。
その恐ろしさが、この一人の人物に集中し、物凄い叫喚の声が伝わるほどの入神の出来映えである。
愛する者を犠牲に、苦しみ喘ぎ、支配者に立ち向かう芸術家の精神
あの男はこの屏風絵を仕上げた代わりに、命さえも捨てるような、無惨な目に出遭う。
云わばこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分で何時か堕ちていく地獄だったのでございます。
「何時か堕ちていく地獄」つまり、絵師良秀の芸術の生き方は、この地獄に墜ちていくことが必然であったとする。
あれ程の子煩悩が絵を描くという段になると娘の顔を見る気もなくなる。ここに良秀の芸術は日常から離れていくことを証明している。良秀が画道で成功したのは、霊狐の姿が前後左右に群がっているようで、特に地獄変の屏風絵を描くときの夢中になり様は甚だしかった。
良秀は悪夢にうなされる。
「なに、己に来いと云うのだな。―どこへ―どこへ来いと?ー奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。―誰だ。そう云う貴様は。―貴様は誰だー誰だと思ったら」
弟子が師匠の顔を覗くと、皺だらけな顔が白くなり大粒の汗を滲ませ、脣の渇いた、歯のまばらな口を喘ぐように大きく開いている。
「誰だと思ったらーうん、貴様だな。己も貴様だろうと思っていた。なに、迎えに来たと?だから来い。奈落へ来い。奈落にはー奈落には己の娘が待っている」
「待っているから、この車に乗って来いーこの車に乗って、奈落へ来いー」
良秀は、この時点で娘と自分の死を予感している。自分が見たものしか描けないこと、そして娘が大殿の恋情に従わないことで、その後に起こることを予知している。
良秀は、弟子を鎖で縛り上げ、皮膚の色が赤み走るのを描いたり、壺から出た蛇が弟子を噛みそうになったり、耳木兎が両脚の爪を張り弟子の頭をとびかかる有様を描いたり狂人さながらである。
或日、良秀が人のいないところで泣いている。そして又一方、良秀の娘がだんだん気鬱になって涙を堪えている様子が目立ってきた。
そして、大殿様が御意に従わせようとしている評判が立って、誰もが忘れた様に、あの娘の噂をしなくなった。
耳木兎に真っ黒な蛇が、頸から片方の翼にかけて、きりきりと巻きついている。
この苦しく絡み合っていく様子。良秀は「地獄変」の屏風絵の中心がなく、その最も残酷な地獄を描く必要があること、良秀の娘は大殿様に従う恥辱に苦悩していること、そして大殿様は権力の赴くままに良秀とその娘の自由を奪おうとすること。
を暗示している。
良秀の一人娘の危機を救う、良秀の化身の猿と大殿様の残酷な仕打ち②
或夜、あの小猿の良秀が、語り部の袴の裾を頻りにひっぱり、けたたましく啼き立てる。唯事ではないと思い、猿の引っぱる方へ行くと、どこかの部屋から争いらしい気配がある。
部屋から出てきたのは良秀の娘だった。目を輝かし頬も赤く燃え、乱れた袴や袿が艶めかしい。誰の仕業か?と尋ねると、娘は脣を噛みしめながら、黙って首を振る。そして睫毛の先に涙をいっぱい浮かべている。すると、
あの猿の良秀が人間のように両手をついて、黄金色の鈴を鳴らしながら、何度となく丁寧に頭を下げている。
この意味は何なのでしょう?
猿の良秀は、娘の安否を気遣う絵師の父親、良秀の化身です。啼き立て騒ぎ立て、語り部を伴なうことで、大殿様から言い寄られる娘を救うことができた。それで頭を下げているのです。
この抵抗する娘は、支配者である大殿様を怒らせます。拒めば死を意味するものと分かっていた。そこで良秀は地獄変の屏風絵の中心となる、牛車の話をする。愛する娘を芸術の最高の場所に据えることになります。
現世の権力の支配に良秀の芸術は勝るが、死をもって道徳を贖う
その晩の出来事があって、半月ばかり後、良秀は大殿様に御目通りして、地獄変の屏風絵の作業状況を申し出る。精を尽くして筆を執った甲斐があり、あらましは出来上がったが、唯一つ、描けぬ場所がある。
良秀は「見たものでなければ描けぬ」と云う。大殿様は「地獄を見なければなるまいな」と嘲るように微笑む。
良秀は「屏風の唯中に、檳榔毛の車が一輌空から落ちて来る所を描こうと思っておりまする」こう云って、鋭く大殿様の顔を眺める。「その車の中には、一人のあでやかな上﨟が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでいるのでございます」それがどうしても描けぬ。
大殿様は、妙に悦ばしそうな御気色で良秀を促す。良秀は突然、噛みつくような勢いで「どうか檳榔毛の車を一輌、私の見ている前で、火をかけて頂きとういございまする、そうしてもし出来まするならばー」
大殿様は「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上﨟の装いをさせて乗せて遣わそう。炎と黒煙に攻められて、車の中の女が、悶え死にする。それを描こうとするのは流石に天下第一の絵師じゃ」と云う。
この二人のやりとりで、車の中の女が良秀の娘になることは双方が分かっています。
こうして洛外の山荘で車の焼ける所を見せる。大殿様は白地の錦の縁をとった円座に、あぐらをかいて座る。前後左右に御側の者が五六人、恭しく居並ぶ。
御庭に檳榔毛の車が、牛はつけずに黒い轅を斜に榻をかけ、金物の黄金を星のように光らせている。
大殿様は云う。
「その内には罪人の女房が一人、縛めた儘、乗せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるだろう。その方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本じゃ。雪のような肌が燃え爛れるのを見のがすな。黒髪が火の粉になって、舞い上がるさまもよう見て置け」
それそれ、簾を揚げて、良秀に中の娘を見せて遣わさぬか。
中にいたのは、きらびやかな縫いのある桜の唐衣に黒髪が艶やかに垂れて、黄金の釵子も美しく輝いた、身なりこそ違え、良秀の娘でした。
「火をかけい」大殿の言葉で松明の火を浴びて炎々と燃えあがり、見る見るうちに、車蓋をつつんだ。火の粉が雨のように舞い上る。
良秀の顔つきは、満身に浴びた火の光で、皺だらけの醜い顔が見え、大きく見開いた眼、引き歪めた脣の辺り、絶えず引き攣っている頬の肉の震え、心に交々に往来する恐れと悲しみと驚きは、歴々と顔に描かれた。
何と云う惨たらしい景色。地獄の業苦を目のあたりに写し出したものでした。
すると良秀の渾名のある小猿が、どこからか現れて炎のなかに飛び込み娘の肩に縋る。
このとき、父親としての良秀の思いも、娘とともに火にかかり炎に燃やされます。そして絵師としての良秀だけが姿を現します。
一輌の火の車が凄まじい音を立てながら燃え沸る。火の柱が、星空を衝いて煮え返る。
さっきまで「地獄の責苦」に悩んでいた良秀は、今は云いようのない輝きを、「恍惚のような法悦の輝き」を、皺だらけの満面に浮かべながら佇む。
それは娘の悶え死ぬ有様が映っていないようで、唯、美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿が限りなく心を悦ばせる。炎熱地獄に苦しむ女人に見入り、絵を完成させようとする。
語り部に導かれる世の中の常、そして芥川の考える芸術への決意
そして語り部は、この恐ろしい風景を以下のように伝える。
不思議なのは、あの男が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺め、その時の良秀は人間とは思われない、獅子王の怒りに似た、怪しげな厳かさがあった。男の頭上に、円光のように懸っている不可思議な威厳が見えたのです。
私たちは、まるで開眼の仏でも見るように、目も離さず、良秀を見つめた。
空一面に鳴り渡る車の火、魂を奪われて、立ちすくむ良秀ー何という荘厳、何という歓喜。
ここで始めて、語り部の良秀と大殿様の評価が逆転する。
その中でたった一人、大殿様だけが御顔の色も青ざめて、口元に泡をおためになり、喉の渇いた獣のように喘ぎ続けていた。
ここで良秀の芸術の力が、大殿様の現世における支配の力に勝った。
語り部は「なぜ大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすったかーかなわぬ恋の恨み、あるいは人を殺してまでも屏風を描こうとする絵師根性の曲なのを懲らすおつもりだったのに相違ございません」と云った。
「画の為には、親子の情愛も忘れてしまう人面獣心の曲者」と云う者もいた。僧都は「如何に一芸一能に秀でようとも、人として五常を弁えねば、地獄に墜ちる以外ない」と仰った。
いよいよ「地獄変」の屏風絵が出来上がり、恭しく大殿様にご覧に供えると、僧都様も居合せた場で「出かしおった」と仰り、それ以来あの男を悪く云うものは、少なくとも邸のなかには一人もいなくなりました。
あの屏風を見るものは、不思議に厳かな心持ちに打たれる、それは炎熱地獄の大苦艱を如実に感じたからでしょう。
良秀は屏風の出来上がった次の夜に、自分の梁へ縄をかけて、縊れて死んだ。
一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらえるのに耐えられなかったのでしょう。屍骸は今でもあの男の家の跡に埋くまっている。
尤も小さな標の石は、その後何十年かの雨風に晒されて、とうの昔誰の墓とも知れないように、苔蒸しているにちがいございません。
こうして良秀は、大殿様の怒りを誘い、犠牲者を請う言動で、愛娘を死に導いてしまう。近寄りがたい気魄を漂わせ画に向かう。そして道徳心の無い我が身は縊れて自殺する。 しかしその「地獄変」の屏風絵は、後世に残り語り継がれる素晴らしい一大絵巻となる。