「恥の多い生涯を送ってきました」の始まり、残酷な「無垢の信頼心は、罪の源泉なりや」の出来事。裕福な家に生まれながら人間関係に適応できない大庭葉蔵の人生は、破滅の道を歩みます。それは甘えであり、脆く、弱く、自分だけが傷ついていく情けない生き方。太宰自身を半自伝的に投影した弱者への慈悲の眼差しでもありました。あなたはこの感受性を「人間失格」と切り捨てることができますか。
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登場人物
大庭葉蔵
裕福に育つが道化をすることで唯一、人間と繋がることができる。
竹一
葉蔵の中学時代の同級生、葉蔵の道化を見破り将来を予言をする。
堀木正雄
画塾で知り合い葉蔵とは六つ年上の画学生、世間ずれした遊び人。
マダム
京橋にあるバーのマダムで、二階に葉蔵を住まわせる。
ツネ子
銀座の大カフェの酒池肉林(キャバクラの名前)で働く女給。
シゲ子
雑誌社に勤め、夫と死別して母娘で暮らすたシングルマザー。
ヨシ子
京橋のバーの向かいにあるタバコ屋の純朴な娘で葉蔵を気遣う。
ヒラメ
父親の部下で命によって葉蔵のもとを訪ね、身元引受人となる。
あらすじ
はしがき:その男の三枚の写真の印象を語る。
・一枚目は、
十歳前後の写真で、女の人に囲まれて首を左に曲げて醜く笑っている写真。美醜についての訓練を経た人ならひとめ見て「なんて、いやな子供だ」と不快そうに呟きそうな写真。
・二枚目は、
学生の頃の写真で美貌である。かなり巧みな微笑だが、生きている人間の感じがしない。人間の笑いとは違って気味悪く感じられ、こんな不思議な写真を見たことがない。
・三枚目は、
奇怪で年齢もわからない。髪は白髪で表情もなく、死んでいるような不吉な写真。「死相」もないくらい印象がなく、ぞっとさせ嫌な気持ちにさせる写真。
第一の手記:皆と同じ考えができず、そこで考え出したのが道化。
葉蔵は自分が思ったり考えていることと、世間が思ったり考えていることが、違うことを知ります。
つまり自分は “人間の営みというものが何もわかっていない” と感じます。“めしを食べなければ死ぬ” だから人は働くという話などは、脅迫めいた響きに聞こえてしまいます。
そこで道化をすることで、わずかに他の人間と繋がることができることを知ります。
葉蔵は本当の事を言わない子になります。いつも恐怖におののき、自分の言動に自信が持てず、悩みを隠して無邪気を装い、道化た変人として完成されていきます。
笑わせておけば人間は本性を発揮しないと考え、夏に浴衣の下に姉のレギンスを両腕にして家中を笑わせたり、厳格で恐い父の機嫌を損ねないように出張の土産に欲しいものを尋ねられ、欲しくもない獅子舞のかぶりものをこっそり父の手帖に書き記したりして注意深く振舞います。
葉蔵は道化のたびに可愛いと言われ、学校に行ってもお茶目と言われるのに成功します。
葉蔵は幼少の頃、女中や下男に犯されます。しかし父や母に訴えません。
訴えても無駄だと思っています。世渡りに強い人に言いまくられるだけだ。だったら道化をするしか無いという気持ちでした。それは人間不信からではなく、キリスト主義でもなく、殻を固く閉じているからでした。
この葉蔵の孤独の匂いが、多くの女性に本能によって嗅ぎ当てられていきます。
第二の手記:葉蔵の道化が竹一に見破られ、2つの予言をされる。
中学になる頃には、道化の演技は完璧でした。
ところがある時、体育の鉄棒の練習で意図的に失敗してみせたことを、クラスで最も貧弱で勉強のできない竹一という生徒に、「ワザ、ワザ (=ワザとでしょう)」と見破られ震撼します。
葉蔵は道化の演技がバレるのを恐れ、竹一を手なづけます。
ある日の午後、夕立になり傘を貸してあげると竹一を誘い家に連れてきます。「耳が痛い」という竹一を、葉蔵は優しく手当てをします。
「お前は、きっと女に惚れられるよ」と竹一に予言されます。
葉蔵は「惚れられる」よりも「かまわれる」方で、女性は道化にはとても寛ぐようで、自分もそれを理解していました。
竹一はゴッホの自画像を「お化けの絵」と言い、モジリアーニの裸婦を「地獄の馬」と言います。その感性を信じて、葉蔵は陰惨な自画像を竹一に見せます。
「お前は、偉い絵描きになるよ」と竹一に予言されます。
葉蔵は美術学校を希望しますが、父の意見に従い高等学校に入ります。 東京では葉蔵の道化は役に立ちませんでした。
葉蔵は画塾に通い、堀木正雄という画学生と知り合います。六つ年長者で、酒と煙草と淫売婦と、質屋と左翼思想のことを教えてくれました。
葉蔵は堀木を与太者とみますが、人間の営みから完全に遊離している点では同類でした。また、彼も自分とは違う意味での道化でした。堀木は遊び上手で気を遣わずに付き合えました。葉蔵は酒と煙草と淫売婦は、人間の恐怖を紛らわすことのできる良い手段だと考えます。
堀木は葉蔵を共産主義運動にも誘います。葉蔵にとっては、暗く非合法な人たちを気に入り、合法の方が寧ろ恐ろしく不可解でした。
やがて父は引退して東京を引き払い故郷に隠居します。それまではツケで買えた物が買えなくなり、急に金に困りはじめます。
そんな中、銀座の大カフェ酒池肉林(キャバクラの名前)の女給ツネ子と知り合います。
ツネ子も孤立した侘しい女性でした。故郷は広島で、亭主は詐欺罪で刑務所にいます。
葉蔵はツネ子といると落ち着き、恐怖や不安から離れることができました。ツネ子と一夜を過ごしますが、幸福さえも恐れ、傷つけられないうちに別れたいとあせります。やがてツネ子と会うのも億劫に思い、銀座から遠のきました。
ある時、堀木と安酒を飲み、勢いで酒池肉林に繰り出します。
堀木からツネ子を貧乏くさい女と言われ、葉蔵ははじめて恋をしたツネ子への辱めと、お金が底をついた惨めさでいっぱいになります。
そして「死」という言葉がツネ子の口から出たときに、葉蔵も世の中の恐怖や煩わしさを考え「死のう」と同意し、鎌倉の海に飛び込みます。
女は死に、葉蔵だけ助かりました。
葉蔵は自殺幇助罪で起訴猶予となり、身元引受人として父の部下のヒラメの監理下に置かれます。
第三の手記:疑うことを知らないヨシ子、無垢の信頼心は罪の源泉。
竹一の予言で「女に惚れられる」は当たり、「偉い絵画きになる」は外れました。
自分はわずかに無名で下手な漫画家になることが出来ただけでした。葉蔵は堀木に会いに行きます。そこに雑誌社の女性が仕事の要件で堀木を訪ねてきました。
シズ子という名前で甲州生まれ、二十八歳で夫と死別し高円寺のアパートに住んでいました。
葉蔵はシズ子の家へころがり込み、男めかけの生活でシゲ子という五歳の女児と二人留守番をします。
やがてシズ子と同棲をはじめ、シズ子の奔走のおかげで葉蔵の漫画もお金になります。しかしヒモのような暮らしの侘しさに、葉蔵は飲酒が増え、金に窮してシズ子の持ち物を質屋に入れます。
それでも幸せそうなシズ子とシゲ子をみて、いたたまれなく葉蔵はアパートを去ります。
その夜には、京橋のスタンドバーの二階にころがり込むのでした。
そのころ、バーの向かいのタバコ屋の一七、八歳のヨシ子に出会います。
葉蔵はある日、酒に酔ってマンホールに落ちます。怪我を手当てしてくれたヨシ子に、“酒を止めたら結婚を” との約束を冗談にします。翌日も葉蔵は酒を飲むのですが、禁酒の誓いを信じるヨシ子。
葉蔵は無垢なヨシ子とほんとうに結婚します。
ヨシ子との結婚生活は小さなアパートに二人で住み、酒も止め、自分を信頼する小さな花嫁を見るのが楽しく、自分も人間らしくなっていると思いました。
そんなとき堀木がやってきます。高円寺のシズ子から “たまには顔を出して” との伝言でした。
堀木とアパートの屋上で飲みながら、遊戯をします。それは対義語(アントニム)と同義語(シノニム)を答える遊びです。“罪” のアントニムは、“法律”、いや違う、それは “罰” だろうなどと話し、ヨシ子から酒のつまみをいただこうと堀木は階下へ降りて、びっくりして引き返してきます。
葉蔵も降りると、部屋の小窓からヨシ子が犯されているのを目撃します。
この時から、この世のいっさいの期待、よろこび、共鳴から永遠に離れるようになります。
無垢の信頼心は、罪の源泉なりや。
ヨシ子が汚された事より、ヨシ子の信頼が汚された事が、葉蔵に生きていけない程の苦悩となります。唯一の人間の美質にさえ疑惑をいだき、葉蔵は多量の睡眠剤を飲み倒れます。気がつくと、ヒラメと京橋のバーのマダムがいました。葉蔵はマダムに “女のいないところに行く” と告げます。
ある雪の日、葉蔵は喀血します。
薬局でもらった薬の中にモルヒネがあり、その作用で不安や焦燥は除かれ昂揚します。モルヒネを大量に使用しました。もう死のうと思ったときに、ヒラメが堀木を連れてやってきて、葉蔵は施設に入れられました。
サナトリウムに入院させられると思いましたが、ガチャンと鍵を降ろされそこは脳病院でした。
葉蔵は狂人となりました。
人間失格、もはや自分は、完全に、人間で無くなりました。
その後、父が死に葉蔵は長兄の計らいで、病院を出て東北の温泉地に療養し廃人のように暮らします。
阿鼻叫喚で生きた「人間」の世界で、葉蔵がたった一つ、真理に思われたのは、“ただ、いっさいは過ぎていく” ということでした。
私はことし、二十七歳ですが、白髪がめっきりふえて四十歳以上に見られます。
あとがき:私たちの知っている葉ちゃんは、神様みたいないい子。
「あとがき」として、作者の「私」が、物語に出てくる京橋のバーのママらしき人物と千葉で再会し語らうシーン。
彼女は三冊のノートと三葉の写真を持ってきて、小説の材料になればと見せます。それは現代の人たちが読んでも、かなり興味を持つに違いないものでした。
昔を懐かしみながら、マダムは葉蔵のことを話す。「あの人のお父さんが悪いんですよ。葉ちゃんは神様のようにいい人でしたよ。」こうして物語は閉じられる。