志賀直哉『城の崎にて』解説|生から死を見つめる、静かなる思索。

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作品の背景

志賀直哉の中期の作品である。明治、大正、昭和と日本が目まぐるしく動いた三つの時代を生きた小説家。自由主義と人間愛を指向する白樺派の代表的な一人で、その作風は写実的で、余分なものを省いた極めて簡潔なもので理想的な文章とされる。

山手線の事故に遭い、怪我の後養生に訪れた城崎にて書かれた『城の崎にて』は、自然や生き物たちを細やかに観察し、そのなかに死生観が描かれます。

1910年に『白樺』を創刊し、12年に実父との対立から広島県尾道に移住。13年に上京し素人相撲を見ての帰りに山手線の電車に跳ね飛ばされる重傷を負います。東京の病院にしばらく入院して、その後、療養に兵庫県にある城崎温泉を訪れる。その事故の自らの体験を3年半後の16年に作品化、療養中に目に映る自然から生と死を観察しながら執筆します。

発表時期

1917年(大正6年)5月、白樺派の同人誌『白樺』にて発表。志賀直哉は当時34歳。長い父との不和があり、14年に武者小路実篤の従妹と結婚をする。この結婚は父との対立を極限とし、志賀直哉は自らすすんで除籍され別の一家を創設する。そして17年の10月に実父との和解が成立している。それまでの心の生動は反抗と無関係ではなかったが、この事故で死と直面し、心静かな描写となっています。