村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』解説|閉ざされた自己の行方、心の再生は可能か。

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作品の背景

「ハードボイルド・ワンダーランド」の<私>も、「世界の終り」の<僕>も、同一人物であり、表層の意識を失っていく過程を「ハードボイルド・ワンダーランド」、そしてその無意識の核を「世界の終り」で描いている。

巻頭のエピグラフに「THE END OF THE WORLD(世界の終り)」の詩が添えてある。表層では離婚歴があり、二人の女の子と過ごし、料理が上手で、音楽やファッションが好きで、お洒落で楽天的な生き方の独身男のライフスタイル。しかし深層には、固く閉ざされた自我が潜み、決して心を開かない。その楽観と厭世の入り混じる自己から無意識の核が現われる世界。

そして僕は「心」を喪失した壁に囲まれた「世界の終り」で希望を信じて愛のために生きようと決意する。世界の不条理を認めつつも、さらにその不条理な世界の中で、自己の核のなかに自らが作り上げた閉ざされた世界からもう一度、心の再生を試みるために淡い希望の光を見出そうとする爽やかな読後感がある。

発表時期

1985年(昭和60年)、新潮社より刊行。4作目の長編小説。第21回谷崎潤一郎賞を受賞。村上春樹は36歳。1988年10月5日、新潮文庫の上下巻で文庫化。全40章からなり『ハードボイルド・ワンダーランド』の奇数で構成される20章と、『世界の終り』の偶数で構成される20章が交互に進行する。

『世界の終り』は、1980年、文學界の9月号に掲載、習作とされる『街と、その不確かな壁』を受けて発展したものとされている。

一人称視点で奇数章では「私」、偶数章では「僕」となり同一人物である。絶望の中にこそ希望の光が見えるという啓示をこめている。文学が時代に寄り添うとすれば、その対象は自己の殻にこもる現代人である。

豊かさの歪みは、弱肉強食な社会、崩壊するコミュニティ、断絶した家族の結果、漂流するバラバラな個人となってしまった。等身大に襲いかかる科学技術に覆われた欲望の資本主義。だからこそ村上春樹の文学は世界の人々に共振する。