三島由紀夫『憂国』あらすじ|大儀に殉ずる、美とエロティシズムと死。

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解説

死とエロティシズムを主題に、大儀に殉ずる武士道とその様式美を描く。

三島は、幼少の頃は青びょうたんと言われ病弱な体質でした。二十歳の春、徴兵検査を受けるも肺病の疑いで落とされてしまう。その後、官僚として大蔵省に入省する。戦争が激しくなる中、遺書のつもりで小説を書いていった、と自ら語ります。本作品は一九三六年(昭和十一年)の二・二六事件を題材にした外伝的なものとなっています。

三島は、自身に余分なものは感受性で、欠けているものは肉体的な存在感だという。

美、エロティシズム、死という図式は、最高の秩序、絶対者の中にしかエロティシズムはない。エロティシズムと名のつく以上は、体を張って死にいたるまで快楽を要求する。

そこには、「切腹」という武士道の様式美が細やかに描写されます、葉隠れの「武士道」を好んだ三島は、作品の中で「命を守るために、命を捨てる」「生を輝かせるために、死ぬ」ことを尊厳とする。そして、青年将校のように戦いの場で死ぬのではなく、新婚ゆえにとの理由で、ともに決起することから外された身という設定で、自らも同志と死を共にし愛するものと最後の契りを結ぶ。

これを三島は、「至上の肉体的快楽と至上の肉体的苦痛が、同一原理の下に統括され、それによって至福の到来を招く状況である」として、美、エロティシズム、死という関係を描きます。

実際の歴史の中の二・二六事件は、三日後の二九日に陸軍によって収拾されます。東京陸軍軍法会議で十九名が処刑されます。一審、即決、非公開、弁護人なし。彼らが死を前に叫んだのは「われらは逆賊にあらず」。青年将校たちのクーデターとして歴史に収められた事件の外伝です。

自身の文学と現実の行為、戦後日本に影響を与え続ける三島の思想。

肉体改造を行い、武道に励み精神と肉体を鍛え上げていく。日本の敗戦を受けた戦後の民主主義に大いなる疑問を持ち、この『憂国』そして『英霊の聲』。さらには遺作となった『豊饒の海』へと繋がっていく。文と武、菊と刀、その実践として「楯の会」を結成し、バルコニーの上から自衛隊に決起を促す。

隊員たちの怒号とヘリコプターの音にかき消されながらも「天皇を中心とする歴史と文化を守る」こと、「自身の命よりも大切なものは、自由でも民主主義でもない、日本だ」という。「作家」の考える思想を、作品の 『憂国』 に投影し、最後には身をもって「現実に表現」したことになる。

三島の死の行為は、決してテロルではないことを了解しなければならない。自身が益荒男ますらおとして、戦後の日本に問いかけたことは何であったのか。

一九七〇年七月七日、サンケイ新聞に『果たし得ていない約束ー私の中の二十五年』と題されたメッセージの最期の部分を引用する。

私はこれからの日本に対して、希望をつなぐ事ができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目がない或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

三島の死後、半世紀が経った今、日本や日本人は、その独立心や尊厳を持っているのであろうか。

Bitly

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作品の背景

物語は、二・二六事件を題材に捉えており、三島自身は「ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、人生に期待する唯一の至福である」として、「三島の良いところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいなら『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と言っている。

「死」と「 エロティシズム 」を通して人間の至高のあり方を追求したフランスの思想家・哲学者であり作家であるジョルジュ・バタイユやニーチェの影響を受けている。作品と同じ自身の自決という行動において、人生そのものを作品にしてしまったとも言える。日本の保守論壇や保守層において、その死とその思想に敬慕する「憂国忌」なる追悼の集会が命日の11月25日に毎年行われている。

発表時期

1961年(昭和36年)1月、『小説中央公論』3号・冬季号に掲載される。三島由紀夫は当時36歳。この「憂国」と昭和41年「英霊の聲」、戯曲「十日の菊」と共に二・二六事件三部作として纏められた。小説発表の4年後の1965年(昭和40年)には、三島自身が監督・主演などを務めた映画も公開されている。

三島は、昭和24年、大蔵省入省後わずか9ヵ月ほどで辞めて文学に専念する、そこで書き上げたのが「仮面の告白」少年期から青年期にかけての特異な性的な目覚めを扱う。昭和31年、31歳で「金閣寺」で作家として頂点にたつ。

以降、肉体改造を貪欲に行っていく。36歳で「憂国」を発表、以後「英霊の聲」「葉隠れ」そして昭和43年に楯の会を結成、「文化防衛論」で天皇中心の国体を唱え、「豊饒の海」の最後の原稿の日付は11月25日、その日の午後1時に自決する。戦争、敗戦、安保、戦後民主主義と45歳の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での割腹自決まで、激動の昭和と共に生きてきた天才作家の生涯である。