三島由紀夫『金閣寺』あらすじ|世界を変えるのは、認識か行為か。

概要>「金閣寺ほど美しいものは此の世にない」と父に教えられ、金閣の美に憑りつかれた学僧の私は、生来の重度の吃音症で苦悩する人生を送る。脳裏にたびたび現れる金閣の美と呪詛の中で、やがて金閣を放火するまでの心理や観念を戦中戦後の時代を映しながら描写する。

登場人物

私(溝口)
生まれつきの吃音で、引っ込み思案。人生に金閣の美と呪詛がいつも立ちはだかる。
鶴川
溝口と同じ徒弟、裕福な寺の子で修行に金閣へ、私(溝口)の良き理解者である。
柏木
大谷大学で知り合った内反足の障害を持つ男で、女扱いに詐欺師的な巧みを持つ。
田山道詮和尚(老師)
金閣の住職で、溝口の父とは起居を共にした禅堂の友人で私を徒弟として預かる。

あらすじ(ネタバレあり)

吃音の自分の負い目が、何か自分は選ばれたものと考えるようになった。

私は東北の、日本海に突き出た成生岬なりゅうみさきの寺に生まれた。僧侶である父は、“金閣寺ほど美しいものは地上にはない”といい、私の心が描きだした金閣は、遠い田の面がきらめいたり、山あいの朝陽のなかなど、いたるところに見えた。

私を、生まれつきの吃音きつおんで引込み思案だった。最初の音がうまく出ないことは私の内界と外界の妨げになった。こうした少年は二種類の権力志向を抱く。ひとつは、無口な暴君、もうひとつは諦観に満ちた大芸術家になる空想を楽しんだ。

何か拭いがたい負い目が、自分は選ばれたものだと考えるのは当然ではあるまいか。私は、私自身が知らない使命が、私を待っているような気がしていた。

ある日、中学の先輩で海軍機関学校の生徒が、若い英雄として母校に遊びに来て生徒たちと話をしていたが、彼は、吃音である私をなじった。私は彼の美しい短剣に、錆びついたナイフで醜い切り傷をつけた。

また、舞鶴海軍病院の看護婦である美しい娘の有為子に、思いを寄せるあまり私は待ち伏せをしたのだが、そのことを嘲笑され軽蔑された。私は有為子の死をねがった。私の受けた恥が消え、太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬと思った。数か月後に呪いが成就して有為子は死んでしまった。

ある時、海軍の脱走兵に恋をして妊娠した有為子が、憲兵に詰問されている。やがて頑なに拒んでいた有為子の顔は、裏切りを決心し隠れ家を知らせた。その透明な美しさは私を酔わせた。「裏切ることで、とうとう彼女は、俺をも受け入れたんだ。彼女は今こそ俺のものだ」と感じた。脱走兵は、有為子を拳銃で殺してから、自分も自殺した。私は呪うということに確信をいだいた。

父は、「金閣ほど美しいものは此の世にはない」と私に教えた。

父は、重い肺患だったが、自分の命のあるうちに私を金閣寺の住職に引き合わせた。

実際に訪れた金閣寺は、美しいどころか不調和な落ちつかない感じを受けた。一階の法水院の義満像も、二階の狩野正信かのうまさのぶの筆と云われる天人奏楽てんにんそうがくの天井画も、頂上の究竟頂くきょうちょうの金箔にも美しいと思うことはできなかった。

金閣の住職の田山道詮和尚は、私の父と禅堂における友であった。失望した金閣寺だったが帰ってくるとまた美しさを蘇らせた。「地上でもっとも美しいものは金閣だと、お父さんが言われたのは本当です。」と、私ははじめて父に手紙を書いた。折り返し、母から電報が届いた。そして父は夥しい喀血をして死んでいた。

父の死を私は少しも悲しまなかった。私は、父の遺言どおり金閣寺の徒弟になった。

数か月ぶりに見る金閣は、晩夏の光の中に静かである。「心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ。そして何故、美しくあらねばならないのかを語ってくれ」と私は呟いた。

その夏の金閣は、戦争の暗い状況を餌にして、いっそういきいきと輝いているように見えた。戦乱と不安、多くの屍とおびただしい血が金閣の美を富ますのは自然であった。三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して自然にそうなったものに違いない。

同じ修行の徒弟に鶴川という少年がいた。私の吃音を気にしない優しい少年だった。

やがて金閣は空襲の火に焼き亡ぼされるかもしれぬ。このままいけば金閣が灰になることは確実なのだ。

今までは金閣寺が私を圧していたのに、やがて焼夷弾の火に焼かれる運命は、金閣は、あるいは私たちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は、私たちと同じ生をいきているように思われた。

終戦までの一年間、私が金閣と最も親しみ安否に気遣いその美に溺れた。

このときが、金閣を私と同じ高さまで引き下げ、怖れげもなく金閣を愛することができた時期である。私と金閣の共通に戦争という危難があることが私を励ました。

私のもろい醜い肉体と同じく、金閣は燃えやすい炭素の肉を持っていた。

金閣が焼ければ、頂の鳳凰は不死鳥のようによみがえり飛翔し、形態が失われた金閣は、湖の上にも、暗い海の潮の上にも、微光をしたらして漂いだすだろう。

戦争末期、私と鶴川は南禅寺を訪れ、天授庵の茶室で、若く美しい振袖姿の女が、軍服の若い陸軍士官に薄茶を薦めていた。男が何か言い、女は深くうなだれていたが、女は姿勢を正したまま、俄かに襟元から白い豊かな乳房の片方を出し両手で揉むようにして鶯いろの茶の中へ白いあたたかい乳を滴り納めた。男は、その茶を飲み干した。

それは士官の子を孕んだ女と、出陣する士官との別れの儀式であった。私は、その女に有為子を重ねた。

鶴川は、私の善意な翻訳者でかけがえのない友人だった。写真でいえば、私は陰画で、鶴川は陽画だった。彼の心に濾過されると、私の混濁した暗い感情が透明な光を放つ感情に変わる。

父の一周忌で、母が父の位牌をもって住職のところへやってきた。かつて私が十三歳の時、蚊帳の中で病気の父と私が寝ている傍で親戚の男と交わっている母を見た時以来、私は母に嫌悪感があった。母は、成生岬なりゅうの寺の権利を人に売り田畑を処分し、父の命日が済んだら、身一つで伯父の家に身を寄せるという。私の帰るべき寺はなくなった。

母は、京都にもう空襲はないという。もし金閣が空襲を受ける危険がなければ私の生甲斐は失せる。一方、母の野心は、田山道詮師は独身ゆえ、私も心がけ次第で師の後継者になるかもしれない。そうなれば金閣が私のものになるのを願っていた。

敗戦によって、金閣と私との関係は絶たれてしまったのだと考えた。

戦争が終わった、終戦の詔勅の朗読を聴くあいだ、私が思ったのは金閣のことである。

敗戦の衝撃、民族的悲哀などから金閣は超絶し、空襲で焼かれず、もうそのおそれがないことで「昔から自分はここに居り、未来永劫ここに居る」という表情を取り戻させた。

「金閣と私との関係は絶たれたんだ」と私は考えた。これで私と金閣が同じ世界に住んいるという夢想は崩れた。

敗戦は、人々が言う価値の崩壊とは逆に、金閣が未来永劫存在するという永遠が在った。その晩は、老師は陛下のご安泰、戦没者の霊を慰めるためのお経と私たちへ無門関第十四則の南泉斬猫なんせんざんみょうを講話された。

終戦後は、想像もつかない新しい時代となった。

士官は、闇屋になり悪へ向かって駆けだした。世間の人たちが、生活と行動で悪を味わうなら、私は内界の悪に、できるだけ深く沈もうと思った。私の考える悪は、老師にうまく取り入って、いつか金閣を手に入れようというものだった。

叡山のほとりから暗い夜空にかけてときおり稲妻がひらめいた「戦争が終わって、人々は邪悪な考えにかられている。死のような行為の匂いを嗅いでいる。どうぞわが心の邪悪が、繁殖し、無数に殖え、きらめきを放ちますように」と、私のこころの暗黒が夜の暗黒と等しくなるように願った。

戦後に占領軍が到着し、金閣寺には俗世のみだれた風俗が群がった。

今までの金閣の拝観者は、つつましいまばらな客でしかなかったが、占領軍が到着し、俗世のみだらな風俗が金閣のまわりに群がった。

戦後最初の冬、雪に包まれ金閣の美しさは比べるものがなかった。

明くる日の日曜の朝、外人兵の見物が来た。米兵はジープの中の女に「出て来い」といい、女は外人兵相手の娼婦だった。私は金閣を案内した。私の気づかぬうちに口論が起こっていた。雪に倒れた女に、米兵は「踏め。踏むんだ」と私に命じ、私は抵抗しがたく女の腹を踏んだ。そして米兵は、サンキューと言って米国煙草を私の腕に押しつけた。

私はこれを煙草好きの老師にさし出した。自分の不可解な悪の行為、褒美に貰った煙草、それと知らずに受けとる老師。この一連の関係に痛烈なものがあるはずだった。気づかぬ老師を私は軽蔑した。部屋を退こうとする私に老師は「卒業次第、大谷大学へやろうと思う」と言った。回りからは、よほど嘱望されている証拠だと言われた。

あの雪の米兵と娼婦の出来事から一週間後、娼婦がやって来て流産をしたので金を貰いたいと老師に言い、くれなければ鹿苑寺ろくおんじの非行を世間に訴え表沙汰にするといった。老師は金を渡して女を帰した。そして老師はすべてを不問にした。

老師の無言に対抗して告白をせずに過ごしてきた来た私は「悪が可能か?」を試してきたのだと思われる。最後まで懺悔しなければ、悪は可能になったのだ。

このようなことがありながら私は、昭和二十二年の春、大谷大学の予科へ入った。

大学で柏木と会い、彼の詐術にみちた哲学は誠実の証明だと思った。

大谷大学は、私が生涯ではじめて思想に親しむことになった。

私は、柏木という内反足ないはんそくの障害を持つ少年に出会う。彼は、いつもぬかるみを歩くような不自由な歩行だった。しかし、女の扱いに詐欺師的な巧みさを持っていた。

肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持っている。柏木は、光の中に自足していた。彼の主張する影には、日光は滲みいらないのにちがいなかった。彼は臨済宗の禅家の息子だった。

柏木は、生来の内反足の障害ゆえ、並の人間よりも数倍贅沢な仕組みが要るはずで人生はそうでなければならぬと思った。そんな彼に、檀家の子で裕福な娘が愛を打ち明けた。彼女の愛の原因は並外れた自尊心だった。そんな時に彼は「俺は愛していない」と答えることで、彼女はますます彼を愛しているという錯覚に溺れ、彼の前に彼女は身体を投げ出したが、彼は不能だった。そして彼女は彼を離れた。

彼は、肉体の自覚という時に、「物」に関する自覚ではなく、「風」になることだった。内反足が、彼の生の条件であり、理由であり、目的であり、理想であり、生それ自身なのだから。そもそも存在の不安など、贅沢な不満から生まれるものなのだ。

「人の苦悶と血と断末魔のうめきを見ることは、人間を謙虚にし、心を繊細に明るく和やかにする。逆に残虐に殺伐になるのは、うららかな春の午後、刈り込まれた芝生の上に、木漏れ陽の戯れを眺めているような瞬間だと思わないかね。」と柏木は言う。

そうして柏木は「内反足ないはんそく好き」は、飛び切りの美人で、鼻の冷たくとがった、口もとのいくらかだらしない女だといった。そのときスペイン風の邸から歩いてくる女がいた、私は有為子の面影を見た。柏木は、女の前に崩れて巧みに骨折をよそおった。

「女は俺に惚れかけている」という柏木に対して、私は柏木の詐術を見たように思ったが、彼の哲学が詐術に満ちていればいるほど、彼の人生に対する誠実さが証明されたように思えた。鶴川は、私と柏木の間を好い目で見ておらず、友情に充ちた忠告をしたが私にはうるさく感じられた。

女を抱こうとしたときに、目の前に金閣の幻影が立ち現れ不能に終わった。

五月、柏木は嵐山に遊びに行く計画をたてた。柏木と例のスペイン風の洋館の令嬢と私と彼の下宿の娘。

下宿の娘が、近所の生花のお師匠さんの話をした。「戦争中、お師匠さんの恋人が戦地に行くことになり、南禅寺で別れの対面をした。ややができたが死産だったので、別れのしるしにお前の乳を飲みたいといって薄茶に入れて飲み、一か月で恋人は戦死、お師匠さんは一人で暮らしている」というもので、私は戦争末期に鶴川と南禅寺で見た信じがたい情景が甦った。

柏木は、突然「痛い!痛い!」と身を屈してすねを押さえてうめきだした。彼女は、柏木の脛を抱いて、頬をすすりつけて、脛に接吻した。すると柏木は「治った!ふしぎだなぁ。痛みだしたとき、きみがそうしてくれると、いつも痛みがとまるんだからな」といい、狂気にちかいほど陽気になった。

そして二組別々に身を隠すことになり私は下宿の娘と共に連れ立ち、永い接吻のあとようやく手を女の裾のほうへすべらせた。

そのとき金閣が現れたのである。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。

私は、幻の金閣に抱擁されていた。

その夜に電報が老師あてに届き、鶴川が死んだことが報告された。事故だった。

私と明るい昼の世界をつなぐ一縷いちるの糸が、絶たれてしまった。純血種の動物の生命がもろいように、鶴川は生の純粋な成分だけで作られていたので死を防ぐ術がなかったのかもしれない。

二度と私の邪魔をしないよう、必ず金閣をわがものにしてやると思った。

私は、鶴川の喪に一年近く服していた。柏木とも疎遠だったが、彼の方からやってきた。彼は、私に伯父の形見という尺八をくれた。尺八を教えてもらったり、禅問答の南泉斬猫なんせんざんみょうの解釈を聞きながら、私は柏木を怖れた。

柏木は、尺八の御礼に金閣に咲くかきつばたや木賊とくさを求めた。その花で観水型の盛花が出来上がった。柏木は生花の女師匠さんを私に紹介するという。南禅寺で鶴川と見た女は、今日、柏木を媒介にして現れる。確実なのは柏木によって、つまり認識によって汚されているということだ。

有為子の生まれかわりとさえ思われた女が、今、不具者の学生に捨てられた女として現れる。さて、女がやってくると私の心には何も波立たなかった。

柏木は女と言い争いをして女の髪をつかみ平手打ちを頬にくれるのが見えた。女は顔を覆うて出て行った。「さぁ追っかけていくんだ。慰めてやるんだ。さぁ、早く」。

彼女は、柏木の残忍性、計画的な遣り口、裏切り、冷酷、金をせびるさまざまな手を語ったが、それは彼に魅力を語っているに過ぎなかった。

私は南禅寺の話を女にすると、女はあのときのように乳房を掻き出して私の前に示した。

ただそれは肉そのものであり一個の物質にすぎなかった。無意味な断片に変貌し、又、そこに金閣が出現した。こうして又しても私は、乳房を懐へしまう女の冷め果てた蔑みの、眼差しに会った。

寺へ帰り、ほとんど呪詛じゅそにちかい調子で金閣にむかって荒々しく呼びかけた。「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」

私の目が金閣の目に変わるとき、絶対的な金閣が出現するのが分かった。

昭和二十三年の暮れまで、女と私の間、人生と私の間に金閣が立ち現れる。

私はある日、蜂が菊の花を訪れるさまを見ていた。私は蜂の目になって、菊を見ようとした。菊は端正な花弁をひろげ金閣のように美しく完全だった。蜂の目を離れて私の目に還ったとき、丁度、金閣の目の位置にあるのを思った。私と生との間に金閣が現れるのであった。

絶対的な金閣が出現し、私の目がその金閣の目に成り変わるとき、金閣だけが美を占有しその余のものを砂塵に帰してしまう。

昭和二十四年の正月のこと。

私は新京極の雑踏の中で、芸妓を連れ歩く老師と行き会った。そのとき一匹の黒い犬がまぎれて歩いていた。私はなぜか犬に導かれいるうちにハイヤーに乗り込む女と老師にまた会った。「馬鹿者!わしをつける気か」老師は誤解して私にそう叱咤した。

明くる日、老師は私を叱責せず放任した、米兵に命令され娼婦を踏み、女からお金をゆすられた事件のときと同様、無言の拷問が始まった、私には日々、のしかかる不安になった。

私は、愛人の芸妓の写真を老師の読む朝刊に挟み、老師の憎しみを期待しながら、人間と人間が理解しあう熱情にあふれた場面や、あるいは、つまらぬ愚行で後継住職の候補から私の名前が抹殺され金閣の主になる望みを永久に失うかもしれぬ老師の荒々しい怒りと大喝だいかつを待った。次の日、何気なしに私の机の抽斗ひきだしをあけると写真は戻されていた。

荒い北風に向かい「金閣を焼かねばならぬ」という想念が浮かんできた。

その年の十一月、老師は「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今は、はっきりそういう気持ちがないことを言うて置く」と明言した。目に見えて私は学業をおろそかにした。

老師は私に、芸妓のことについて「知っておるのがどうした」と、現世を完全に見捨てた人の顔になった。生活の細目、金、女、あらゆるものに手を汚しながら、現世を侮蔑していた。

私は、自分の回りの凡ての無から遠ざかりたいという痛切な感じになった。金閣はその凡ての無の根源だった。私は柏木から借金をして、寺から出た。私は舞鶴湾から由良に行こうとした。由良川から海へ、それは裏日本の海だった。私の不幸と暗い思想の源泉、私の醜さと力との源泉だった。

ふと私は、柏木が言った言葉を思い出した。「我々が残虐になるのは、うららかな春の午後、刈り込まれた芝生の上に、木洩れ日の戯れるのをぼんやり眺めているような瞬間だ」といったあの言葉を。

舞鶴湾。私は波に向かい、荒い北風に向かっていた。うららかな午後も、刈り込まれた芝生もなかったが、もっと私の心に媚び、存在に親密だった。突然、私に浮かんできた想念は、たちまち力を増し、大きさを増した。それは「金閣を焼かねばならぬ」ということだった。

由良の宿で、私はなぜ先に老師を殺そうという考えに達しなかったかを自ら問うた。もし老師を殺しても、あの坊主頭とあの無力の悪は、次々と現れてくる。生あるものは金閣のような一回性を持っていなかった。

金閣のような不滅なものは、消滅させることができるのだ。金閣を私が焼けば、人間の作った美の総量の目方を確実に減らすことになる。

宿から一歩も出ない私は不審に思われて警官に保護され金閣寺に戻された。

冬が来た、決心は強固になった。

金閣がいずれ焼けると思うと、寺の生活が楽になった。私の愛想は良くなり、応対は明るく、何事につけ和解を心がけるようになった。老師への恨みも忘れ、母からも朋輩ほうばいからも自由の身になった。

私は大学の予科を卒業し、満二十一歳になった。

柏木は、私に貸した金の返済が滞っていることを老師に相談した。老師は私を呼び、「今後こういうことがあったら、もう寺には置かれんから、そのつもりでいなさい」と言った。突然事態は明瞭になった、私の放逐がすでに老師の念頭にあった。決行を急がねばならぬ。

私は柏木を部屋に呼んだ、私と柏木は和解した。柏木は、君は何か破滅的なことをたくらんでいるなといい、鶴川から死の直前に届いた手紙を見せられた。私と柏木の交遊を非難しながら、これほど密な柏木との付き合いを隠していた鶴川に、私は妬みを抱いた。

それは許さぬ相手との不幸な恋愛で鶴川が自殺をしたというものだった。

変貌させるのは「認識」ではなく「行為」だと考え、そして金閣は燃えた。

鶴川の死は事故死ではなく失恋だったとの理由が変貌したが、私は記憶の意味よりも、記憶の実質を信じるに至った。柏木は「君の中で何かが壊れたろう」と言い。「この世界を変貌させるのは認識だ、認識だけが世界を不変のまま変貌させるんだ、認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永遠に変貌するんだ」と言った。

柏木は、この生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったという。

私は、「世界を変貌させるのは行為なんだ、それだけしかない」と言い返した。

老師が訓戒を垂れる代わりに恩恵を施してきた。老師は私に第一期分の授業料、通勤電車代、文房具購入代を、私を呼んで渡した。

私は金を懐にして、五番町の遊郭へ行った。私は、確かに遊郭「大滝」のまり子に、初めて快感に達したが、その快感を味わっているのが私だとは信じられなかった。あらゆるものから置き去りにされたような感じに襲われた。私は老師から貰った金を凡て使い果たした。あとは老師が、授業料の使途に気づいて私を放逐することが残っているだけだ。

六月二十五日、朝鮮に動乱が勃発した。世界が確実に没落し破滅するという私の予感はまことになった。急がねばならぬ。

数日後、私はカルモチン(睡眠薬)と小刀を死の準備のために買った。

小刀を舐めてみる。舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。私の肉が、この甘いほとばしりに酔う日のことを考えた。この世には苦痛は存在しないのだ。

その日が来た、昭和二十五年七月一日である。

その夜は、寺に福井県龍法寺の桑井禅海和尚が来ていた。外見も性格も男性的な、荒削りな禅僧の典型だった。 私の父が、この和尚に敬愛の心を寄せていたことがよくわかった。 私は和尚に「私を見抜いてください」と言うと、和尚は「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」とそう言った。

私は隈なく理解されたと感じた。行為の勇気が新鮮に沸き立った。

老師が帰ってきて和尚と酒を酌み交わし、午前一時、寺は静かになった。私は鹿苑寺に沈殿する夜を計った。最期の別れを告げるつもりで金閣の方を眺めた。金閣は雨夜の闇におぼめいていた。

しかし私の美の思い出が強まるにつれ、隈々くまぐままできらめいて眼前に現れた。美が金閣そのものであり、美は金閣を包むこの虚無の夜と等質のものである。細部であり全体でもあり、金閣でもあり金閣を包む夜でもあった。虚無がこの美の構造だった。

胸は陽気に鼓動を打ち、濡れた手はかすかにふるえていた。

わらにつけた火は、枯野の色を浮かべ四方に伝わった。私は、頂上の究竟頂で死のうと考えた。しかし扉があかない、私は懸命に戸を叩いた。金色こんじきの小部屋に達したかった。

ある瞬間、拒まれているとの確実な意識が生まれ、私は階段を駆け下りて戸外に出た。

私は、金閣を守っている左大文字山ひだりだいもんじやまの頂に来て夜空を見た。そしてはるか谷間の金閣を眺め下ろした。金閣の形は見えず、おびただしい火の粉が飛び、金砂子きんすなごを撒いたようである。

私は膝を組み永いことそれを眺めながら、小刀とカルモチンを捨て、煙草をんだ。

ひと仕事を終えて一服している人が、そう思うように、私は「生きよう」と思った。

解説(ここを読み解く!)

●美の象徴としての金閣を、私が、焼かねばならないと思う心理の流れ。

金閣寺が、普遍的な美の象徴であるのに対して、私は醜い要素を持っています。吃音症で、外の世界とうまく繋がれないことからくる内面的な劣等感です。

この内面的な劣等感のある私には、現実よりも観念として美の象徴である金閣寺が、いつも存在します。女性との関係を持とうとすると、必ず金閣寺が 現れて私は不能になります。やがて金閣寺の美の魔力に魂を奪われ、金閣寺と伴に心中をはかろうとします。その心理の流れを以下に、追ってみます。

・いつも美しいものを見るときに、金閣寺の幻影が私の前に現れます。

日本の伝統美の象徴としての金閣寺、昔から父に「金閣寺ほど美しいものは此の世にない」と私は教えられます。私は見たことは無いのですが、田の面のきらめきや朝陽の輝きなど、美しいものには金閣寺の幻影が現れます。外の世界とうまく繋がれない私にとって金閣寺は心の中の美の象徴そのものです。

・戦争で、金閣寺も日本人と共に焼かれてしまうという同じ運命を抱きます。

戦時下の非日常だからこそ、金閣は、いっそう輝いて見えます。そして、金閣寺も日本も自分も焼かれて無くなってしまうのではという現実の中にいると感じます。同時に吃音症の私と人との交遊、人間の苦悩。戦争が、失われていく金閣の「永続的な伝統美をひときわ魅力的なもの」にしています。

・戦後に、日本人が退廃し、金閣寺だけが美しさを残したことへの焦燥。

敗戦による断絶、頼るべきものを失った日本人。伝統美の象徴である金閣寺では、米兵と娼婦が訪れたり、不道徳な参観者がいたりと退廃し大切なものが失われていきます。自信回復のための唯一の手掛かりだった金閣寺。それが逆に内的呪縛の象徴ともなります。美はそこにいて、自分はこちらにいて、向こうは永遠に拒み続けている感情、金閣と学僧の関係は断たれていきます。

・そして、金閣寺の美と共に死んでいくことで虚無を失くそうとします。

虚無の根源こそが、金閣の美の構造だったと知ります。伝統に対する愛憎共存の相反する態度、相手を壊してもいいから、その中に没入していきたいという感情、人間や社会への厭世と、永遠の美の金閣寺。金閣と自身を失くすことで虚無を失くそうとします。

●世界を変えるのは、「認識」ではなく「行動」においてのみである。

柏木は「世界を変貌させるものは認識だ」と言い、そして、この生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだといいます。それに対して、<私>は「世界を変貌させるのは行為なんだ」と言います。すると柏木は、君の好きな金閣は、認識に守られて眠りを貪っていると思わないかと返してきます。

金閣という永遠の美を失くすという行為、それは美の総量を失わせる行為、金閣寺の幻想と共に心中する<私>が強く芽生えます。

実際の金閣寺の放火事件が起こった時に、文芸評論家の小林秀雄は「悲しいかな、現代は狂気に充ちている。彼は意志を病んでいる。人間を信じないことをまず欲した。厭人えんじんによる退屈は、発作なしには済まぬ。これは自殺を思っていた青年期の経験で、私は知っている」「金閣を焼いた青年は、動機は、美に対する反感にあったと言っている」「金閣寺放火事件は、現代における、まことに象徴的な事件」と云います。

小林秀雄は、放火僧の体験を自分で生きていると同時に、かつて覚えのある狂気が、現代では常識化してしまったことに戦慄せんりつを覚えています。小林は、刻苦こっくして「正気」を保つ者の憤りと悲しみを謳い、三島は、それを確実に所有するために、この「象徴」を芸術によって再現することを願います。

三島は、正気を保つ方法は、その狂気を芸術的に生きてみることだった。この主人公の犯罪を、同時代の連帯感として、挫折した英雄の行為として三島の倫理に代替します。

三島は、この事件を素材として独自の人物造型と自身の人生の主題である「認識」と「行為」を文学的に現しました。そして戦後社会に違和感を持っていた三島の抱えた日本の命題は、この後の思想や政治的な行動に裏づけられていきます。

作品の背景

三島は、昭和24年、大蔵省入省後わずか9か月で退職、執筆活動に入り文学に専念する、そこで書き上げた「仮面の告白」に続く長編小説が「金閣寺」である。1950年(昭和25年)7月2日の未明、実際に起こった「金閣寺放火事件」を題材にしている。国宝の舎利殿が全焼し、足利義満の木像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財も焼失した。当時21歳の金閣寺の見習い僧侶であり太谷大学の学僧が犯人とされた。左大文字山の山中で薬物のカルモチンを飲み切腹してうずくまっていた。動機は、「社会への復讐」などとしており重度の吃音症であり実家の母から過大な期待を寄せられていたことや厭世観からとされている。現在の金閣寺は国や京都府、経済界の浄財で1955年に再建されたものである。

発表時期

1956年(昭和31年) 文芸雑誌『新潮』1月号から10月号に連載。当時、31歳。三島の年齢は昭和の年数と同じである。近代日本文学を代表する傑作とみなされ海外でも評価が高い。大きなテーマとなる「認識」と「行為」は、三島の政治への発言や民兵組織「楯の会」を結成。1970年11月25日の自衛隊総監室のバルコニーからの決起を促す演説と割腹自殺はセンセーショナルな出来事は、社会に大きな衝撃として今現在もその思想やその行動の真意について語り継がれ、作品について多くの研究がなされている。

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