「金閣寺ほど美しいものは此の世にない」と父に教えられ、生来の重度の吃音症に苦悩する人生を送る学僧の私は、金閣の美に憑りつかれた。脳裏にたびたび現れる金閣の美と呪詛の中で、やがて金閣を放火するまでの心理や観念に辿り着く過程を戦中・戦後の時代を反映しながら描く。
登場人物
私(溝口)
学僧で生まれつきの吃音で引込み思案。人生に金閣の美と呪詛がいつも立ちはだかる。
鶴川
溝口と同じ徒弟。裕福な寺の家柄の子で金閣で修行し、私(溝口)の良き理解者でもある。
柏木
大谷大学で知り合った内反足の障害を持つ男で、独自の哲学と女扱いが詐欺師的に巧い。
田山道詮和尚(老師)
金閣の住職だが世俗的、私の父とは起居を共にした禅堂の友人で私を徒弟として預かる。
あらすじ
吃音の負い目を、自分は何か選ばれし者と考えるようになる。
私は東北の日本海に突き出た成生岬の寺に生まれた。僧侶の父は “金閣寺ほど美しいものは地上にはない ”といい、私の心が描きだす金閣は遠い田の面の煌きや、山あいの朝陽など、至る処に見えた。
私は生まれつきの吃音で引込み思案だった。最初の音がうまく出ないことは私の内界と外界の妨げになった。こうした少年は二種類の権力志向を抱く。ひとつは無口な暴君、もうひとつは諦観に満ちた大芸術家になる空想を楽しんだ。
何か拭いがたい負い目が、自分は選ばれた者だと考えるのは当然ではあるまいか。私は私自身が知らない使命が、私を待っているような気がしていた。
ある日、中学の先輩で海軍機関学校の生徒が、若い英雄として母校に遊びに来て、生徒たちと話をしていたが、彼は吃音である私をなじった。私は彼の美しい短剣に、私の錆びついたナイフで醜い切り傷をつけてやった。
また舞鶴海軍病院の看護婦である美しい娘の有為子に、私は思いを寄せ待ち伏せをしたが、そのことを嘲笑され軽蔑された。私は有為子の死を願った。私の受けた恥が消え、太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬと思った。
数か月後に呪いが成就して、有為子は死んでしまった。
ある時、海軍の脱走兵に恋をして妊娠した有為子が、憲兵に詰問される。やがて頑なに拒んでいた有為子の顔は、裏切りを決心し脱走兵の隠れ家を憲兵に知らせたのだった。
その透明な美しさは私を酔わせた。「裏切ることで、とうとう彼女は、俺をも受け入れたんだ。彼女は今こそ俺のものだ」と感じた。脱走兵は有為子を拳銃で殺してから自分も自殺した。私は呪うということに確信をいだいた。
「金閣ほど美しいものは、此の世にはない」という父の教え。
父は重い肺患だったが、自分の命のあるうちに私を金閣寺の住職に引き合わせた。
実際に訪れた金閣寺は美しいどころか不調和な落ちつかない感じを受けた。一階の法水院の義満像も、二階の狩野正信の筆と云われる天人奏楽の天井画も、頂上の究竟頂の金箔にも美しいと思うことはできなかった。
金閣の住職の田山道詮和尚は私の父と禅堂の友だった。失望した金閣寺だったが帰ってくるとまた美しさを蘇らせた。「地上でもっとも美しいものは金閣だと、お父さんが言われたのは本当です」と、私は始めて父に手紙を書いた。
折り返し、母から電報が届いた。その後、父は夥しい喀血をして死んでいた。父の死を私は少しも悲しまなかった。私は父の遺言どおり金閣寺の徒弟になった。
数か月ぶりに見る金閣は晩夏の光の中に静かである。「心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ。そして何故、美しくあらねばならないのかを語ってくれ」と私は呟いた。
その夏の金閣は、戦争の暗い状況を餌に一層、いきいきと輝いているように見えた。戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が金閣の美を富ますのは自然であった。三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して自然にそうなったものに違いない。
同じ修行の徒弟に鶴川という少年がいた。私の吃音を気にしない優しい少年だった。
やがて金閣は空襲の火に焼き亡ぼされるかもしれぬ。金閣が灰になることは確実なのだ。
今までは金閣寺が私を圧していたのに、やがて焼夷弾の火に焼かれる運命、金閣はあるいは私たちより先に滅びるかもしれないのだ。すると金閣は、私たちと同じ生をいきているように思われた。
終戦までの一年間、私は金閣に親しみ安否を気遣いその美に溺れた。
この時が金閣を私と同じ高さまで引き下げ、怖れげもなく金閣を愛することができた時期である。私と金閣の共通に、戦争という危難があることが私を励ました。
私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は燃えやすい炭素の肉を持っていた。
金閣が焼ければ、頂の鳳凰は不死鳥のように蘇り飛翔し、形態が失われた金閣は、湖の上にも、暗い海の潮の上にも、微光を滴らして漂いだすだろう。
戦争末期、私と鶴川は南禅寺を訪れ天授庵の茶室で、若く美しい振袖姿の女が軍服の若い陸軍士官に薄茶を薦めていた。男が何か言い女は深くうなだれていたが、女は姿勢を正したまま俄かに襟元から白い豊かな乳房の片方を出し、両手で揉むようにして鶯いろの茶の中へ白い温かい乳を滴たり納めた。男はその茶を飲み干した。
それは士官の子を孕んだ女と、出陣する士官との別れの儀式であった。私はその女に有為子を重ねた。
鶴川は私の善意な翻訳者でかけがえのない友人だった。写真でいえば、私は陰画で、鶴川は陽画だった。彼の心に濾過されると、私の混濁した暗い感情が透明な光を放つ感情に変わる。
父の一周忌で、母が位牌をもって住職のところへやってきた。かつて私が十三歳の時、蚊帳の中で病気の父と私が寝ている傍で親戚の男と交わる母を見た時以来、私は母に嫌悪感があった。母は成生岬の寺の権利を人に売り田畑を処分し、父の命日が済んだら身一つで伯父の家に身を寄せるという。私の帰るべき寺はなくなった。
母は京都にもう空襲はないという。もし金閣が空襲を受ける危険がなければ、私の生甲斐は失せる。一方、母の野心は田山道詮師は独身ゆえ、私も心がけ次第で師の後継者になるかもしれない。そうなれば金閣が私のものになるのを願っていた。
敗戦によって、金閣と私との関係は絶たれてしまったと考えた。
戦争が終わった、終戦の詔勅の朗読を聴くあいだ、私が思ったのは金閣のことである。
敗戦の衝撃、民族的悲哀などから金閣は超絶し、空襲で焼かれず、もうその惧れがないことで「昔から自分はここに居り、未来永劫ここに居る」という表情を取り戻させた。
「金閣と私との関係は絶たれたんだ」と私は考えた。これで私と金閣が同じ世界に住んいるという夢想は崩れた。
敗戦は人々が言う価値の崩壊とは逆に、金閣が未来永劫存在するという永遠が在った。
その晩は、老師は陛下のご安泰、戦没者の霊を慰めるためのお経と私たちへ無門関第十四則の南泉斬猫を講話された。
終戦後は想像もつかない新しい時代となった。
士官は闇屋になり悪へ向かって駆けだした。世間の人たちが生活と行動で悪を味わうなら、私は内界の悪にできるだけ深く沈もうと思った。私の考える悪は老師にうまく取り入って、いつか金閣を手に入れようというものだった。
叡山のほとりから暗い夜空にかけてときおり稲妻がひらめいた「戦争が終わって、人々は邪悪な考えにかられている。死のような行為の匂いを嗅いでいる。どうぞわが心の邪悪が、繁殖し、無数に殖え、煌きを放ちますように」と、私のこころの暗黒が夜の暗黒と等しくなるように願った。
占領軍が到着し、金閣寺には俗世のみだれた風俗が群がる。
今までの金閣の拝観者は慎ましいまばらな客でしかなかったが、占領軍が到着し俗世のみだらな風俗が金閣のまわりに群がった。
戦後最初の冬、雪に包まれ金閣の美しさは比べるものがなかった。
日曜の朝、外人兵の見物が来た。米兵はジープの中の女に「出て来い」といい、女は外人兵相手の娼婦だった。私は金閣を案内した。私の気づかぬうちに口論が起こっていた。雪に倒れた女に、米兵は「踏め。踏むんだ」と私に命じ、私は抵抗しがたく女の腹を踏んだ。そして米兵はサンキューと言って米国煙草を私の腕に押しつけた。
私はこれを煙草好きの老師にさし出した。自分の不可解な悪の行為、褒美に貰った煙草、それと知らずに受けとる老師。この一連の関係に痛烈なものがあるはずだった。気づかぬ老師を私は軽蔑した。部屋を退こうとする私に老師は「卒業次第、大谷大学へやろうと思う」と言った。回りからはよほど嘱望されている証拠だと言われた。
あの雪の米兵と娼婦の出来事から一週間後、娼婦がやって来て流産をしたので金を貰いたいと老師に言い、くれなければ鹿苑寺の非行を世間に訴え表沙汰にするといった。老師は金を渡して女を帰した。そして老師はすべてを不問にした。
老師の無言に対抗して、告白をせずに過ごしてきた来た私は「悪が可能か?」を試してきたのだと思われる。最後まで懺悔しなければ悪は可能になったのだ。
このようなことがありながら私は、昭和二十二年の春、大谷大学の予科へ入った。
柏木と会い、詐術にみちた哲学は誠実の証明だと思った。
大谷大学では私は生涯ではじめて思想に親しんだ。
私は柏木という内反足の障害を持つ男に出会う。彼はいつもぬかるみを歩くような不自由な歩行だった。しかし、女の扱いに詐欺師的な巧みさを持っていた。
肉体上の不具者は、美貌の女と同じ不敵な美しさを持っている。柏木は光の中に自足していた。彼の主張する影には日光は滲みいらないのにちがいなかった。彼は臨済宗の禅家の息子だった。
柏木は生来の内反足の障害ゆえ、並の人間よりも数倍贅沢な仕組みが要るはずで、人生はそうでなければならぬと思った。そんな彼に檀家の子で裕福な娘が愛を打ち明けた。彼女の愛の原因は並外れた自尊心だった。
彼は「俺は愛していない」と答えることで、彼女はますます彼を愛しているという錯覚に溺れ、彼の前に彼女は身体を投げ出したが彼は不能だった。そして彼女は彼を離れた。
彼は肉体の自覚という時に、「物」に関する自覚ではなく「風」になることだった。内反足が彼の生の条件であり、理由であり、目的であり、理想であり、生それ自身なのだから。そもそも存在の不安など、贅沢な不満から生まれるものなのだ。
「人の苦悶と血と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、心を繊細に明るく和やかにする。逆に残虐に殺伐になるのは、うららかな春の午後、刈り込まれた芝生の上に、木漏れ陽の戯れを眺めているような瞬間だと思わないかね」と柏木は言う。
そうして柏木は、「内反足好き」は飛び切りの美人で、鼻の冷たくとがった、口もとのいくらかだらしない女だといった。そのときスペイン風の邸から歩いてくる女がいた、私は有為子の面影を見た。柏木は女の前に崩れて巧みに骨折をよそおった。
「女は俺に惚れかけている」という柏木に対して、私は柏木の詐術を見たように思ったが、彼の哲学が詐術に満ちていればいるほど、彼の人生に対する誠実さが証明されたように思えた。鶴川は私と柏木の間を好い目で見ておらず、友情に充ちた忠告をしたが私にはうるさく感じられた。