三島由紀夫『仮面の告白』あらすじ|自分自身を、生体解剖する。

概要>主人公を「私」の一人称とし「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」として、少年期から青年期にかけての特異な性的目覚めを扱う。傍らにある戦争の時代、その胎動から盛衰、敗戦後の昭和を伴走した自伝的小説。

登場人物


幼少から人と違う性的な傾向に悩み、大人になり女性に対し不能であることを発見する。
近江
主人公が中学二年生の時に一緒になり、二三歳上の不良で野蛮で逞しい肉体の男。
草間
高等学校時代からの信頼のおける友人で、特別幹部性候補として軍隊に入っている。
園子
草間の妹で、十八歳の時に会う。私と付き合うが思いが遂げられず他の人と結婚する。

あらすじ(ネタバレあり)

私は幼少のころの自分を覚えており、幼くして出逢った異形の幻影たち。

永い間、私は生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。

大正十四年の一月十四日の朝、陣痛が母を襲い、夜九時に私は生まれた。

大人たちは、私の間違いを正すが、どんなに言われても一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。それは、産湯のたらいのふちにしていた日の光の波同士が照り映えて鉢合わせしているのが見えた事だった。私が生まれたのは昼間ではなく、午後九時だった。だから日光のはずはないと言われても、私には、その記憶が長く残っていた。

生まれて四十九日目に、祖母は母の手から私を奪い取った。脳神経痛と老いの匂いにむせかえる祖母の病室で、床を並べて私は育てられらた。

五歳の元旦の朝、赤いコーヒーのようなものを吐き、死をさまよった。以降も自律神経の不安定でよく嘔吐をした。私は向かってくる病気の足音で死に近いか遠いかが聴き分けられるようになった。

私を悩まし続けた異形の幻影は、最初は汲穢屋おわいや―糞尿汲取り人―であった。

糞尿ふんにょうの入った肥桶こえおけを前後にかつぎ、血色のよい美しい頬と輝く目をもつ若者を見て、「私が彼になりたい」という欲求、「私が彼でありたい」という欲求が私をしめつけた。

その欲求には二つの重要な点があり、ひとつは下半身を明瞭に輪郭づける紺の股引ももひき、もうひとつは鋭い悲哀。虚無と活力の混合を感じる「非劇的なもの」であった。

もうひとつは、絵本で見た白馬にまたがり剣をかざしているジャンヌ・ダルクだった。

身に着けた美しい紋章のある白銀の鎧、美しい顔に剣を青空に振りかざし「死」へ向かう姿。しかし、「彼」が「女」だと知って打ちひしがれた。この美しい騎士が男でなく女だと知って、人生で最初に出会った「現実からの復讐」に似ていた。

さらに一つの記憶は、練兵からかえる軍隊の兵士たちの汗の匂いだった。

汗の匂いが私を駆り立て、私の憧れをそそり、私を支配した。潮風のような黄金にられた海岸の空気のような匂い。兵士たちの運命、彼らの職業の悲劇性、彼らの死、彼らの見るべき遠い国々への官能的な欲求を私に目覚めさせた。

松旭斎天勝しょうきょくさいてんかつの扮装やクレオパトラの扮装に熱狂し「罪に先立つ悔恨かいこん」が暗示された。

私を魅了したものに扮装し熱狂し、それが周囲の愛の目のなかに置かれるとき、いかに孤独がぶざまに見えるかという教訓を受け取り、また愛の拒み方を学んだ。

さらに前提として私は、「王子」を愛し、「王女」を愛さなかった。

殺される王子や殺される若者を凡て愛した。王子たちのタイツをはいたあらわな身なりと、彼らの残酷な死を結びつけることが快かった。そして私自身も「死」を空想することに喜びをおぼえた。

「セバスチャンの絵」に惹かれ射精、野蛮で逞しい級友の近江に恋をした。

私は、十三歳の時、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵に強く惹きつけられた。

非常に美しい青年が裸で木の幹に縛られていた。手は高く交差させて手首を縛めた縄が樹に続いていた。ただ青春、ただ光、ただ美、ただ逸楽いつらくがあるだけだった。

私は、このセバスチャン殉教図を見た瞬間、血液は急に激しくなり、巨大な張り裂けるばかりになった私の一部は、激しく私の行為を待って、私の手は教えられぬ動きを始めた。内部から暗い輝かしいものの足早に攻め昇って上ってくる気配が感じられた。と思う間にめくるめく酩酊を伴ってほとばしった。

これが、私の最初のejaclatio(射精)であり、それが「悪習」の始まりだった。

中学二年生の冬、「私」は、二三歳年上の不良で、野蛮で、逞しい近江に恋をする。

雪晴れのある朝、雪合戦のため早起きをして学校に行ったが誰もいなかった。しかし雪に残る足跡をたどると近江がいた。O・M・Iと雪に文字を書く近江が、「革の手袋」で私の頬に押し当てた。この時から私は近江に恋をした。肉の欲望にきずなをつないだ恋だった。

私は、理知に犯されぬ肉体の保有者、与太者、水夫、兵士、漁夫など言葉の通じない蛮地ばんち、激烈な夏への憧れが、幼い時から私の中に在った。

この「革の手袋」と、もうひとつは「白い手袋」だった。

紀元節の祭日、遊動円木ゆうどうえんぼくから墜落させあう遊びで、近江は強かった。その度に両手の白手袋を額あたりに握り合わせて愛嬌を振りまいた。私は彼に向かっていき、私の右手は落ちまいと彼の右手の指先にしがみついた。その一瞬、私は彼と目と目を合わせた。あやしいほどにまじめな表情がみなぎった、私が彼を―ただ彼をのみー愛していることを、近江が読みとったと直感した。

しかし近江への片思い、人生で最初に出会ったこの恋においては、私は無邪気な肉欲を翼の下にもった小鳥という感じで、獲得の欲望ではなく、「誘惑」そのものだった。

初夏の一日、体育の授業で、懸垂をする近江のむき出されたわきの下の豊饒な毛が、皆を驚かせ二の腕が固くふくれ上がり肩の肉が盛り上がる。生命力のおびただしさが圧倒した。

私はerectio(勃起)して、同時に嫉妬したのだった。それは、近江への愛を自ら諦めたほどの強烈な嫉妬だった。私は、こういう欲望と私の「人生」との間に重大な関わりがあるとは、夢にも思っていなかった。

秋が来て新学期がはじまった時、近江はいなかった。放校処分の張り紙があった。放校理由はただ「悪いこと」とされたが、私は裸体にされて丘の雑木林に伴われたのだと考えた。彼が懸垂をするために鉄棒につかまった姿形は、聖セバスチャンを思い出させた。

美しい園子への思いは、「罪に先立つ悔恨」として私に意識させた。

昭和十九年、私は或る大学に入った。有無を言わさぬ父の強制で専門は法律を選ばされた。しかし遠からず私も兵隊にとられて戦死すると思うと、苦にならなかった。

私の唯一の友人である草野の家で、下手なピアノの音を聞いた。それは草野の妹で十八歳になる園子だった。夢見がちな自分の美しさを、それと知らない幼さの残った音である。

園子の脚の美しさが私を感動させた。私は何らの欲求もなく女を愛せるものと思っていた、プラトニックの観念を信じていた。

戦争の最後の年が来て、私は二十一歳になった。

私は、N飛行機工場へ動員された。近代的な科学技術、経営法、合理的なものが「死」へささげられていた。特攻隊用の零式戦闘機の工場はそれ自身が鳴動し、唸り、泣き叫び、怒号している一つの宗教のように思われた。私は、その後、招集令状をうけとったが、軍医の肺浸潤はいしんじゅんの誤診で入隊は免れた。私は軍隊の意味する「死」から逃れ、軍隊生活の何か官能的な期待を抱いていたのだと分かった。

草野との面会で、駅で家族と待ち合わせをした。朝は、寒かった。プラットフォームを降りてくる園子に、私はこれほど心を動かす美しさをおぼえたことがなかった。胸が高鳴り、清らかな気持ちになった。

園子は「肉の属性」ではなく、悲しみと「罪に先立つ悔恨」だと私に意識された。

草野と会い、私は是が非でも園子を愛さねばならぬと思った。それは道徳のようなものであった。

その後、私は園子に本を貸し借りなどする中で、すべてこのままの状態で、二人がお互いなしには過ごせない月日を送るだろうという錯覚が居心地の良さから導き出されていた。どうしてこのままではいけないのか? どうしてすべてを壊し、移ろわせ、流転の中へ委ねなければいけないのかと思った。

突然私は、自分が園子を愛しており園子と一緒に生きない世界は何の価値もないとの観念に圧倒された。

園子との初めての接吻に何の快感もなく、私は逃げねばならないと思った。

学徒動員で海軍工廠こうしょうにいる私と、疎開した園子との文通は、1か月足らずで特別なものになっていた。不在が私を勇気づけ、距離が私に「正常さ」の資格を与えた。園子への心の一途な傾倒と、園子とは関係ない私の肉の欲情とは、私の中で合体することができた。

戦争の激化のおかげで在りえない錯覚をしていただけなのだが、その時は、園子との結婚や子どもを持つことも極めて重大な幸せかもしれないと考えるようになった。

園子の住む疎開先の軽井沢に招かれた。私たちはある日、もみかえでや白樺の林を自転車で走った。そして自転車を降りて、木立の蔭に来た。私は彼女の唇を唇で覆った。

何の快感もない、私には凡てがわかった。逃げなければならぬ。私は、あせり、身が震えた。

私は郊外の家に帰って、本気になって自殺を考えたが、滑稽なことだと思い返した。二日後に熱情にあふれた手紙が園子から届いた。私は、彼女を愛していればこそ彼女から逃げなければならないという口実を思った。その後、草野の家から結婚の申し込みの手紙が来て、私は、急なことで今の段階ではそこまで気持ちが進んでいないと婉曲な拒絶の手紙を書いた。私はただ生まれ変わりたかった。

そして終戦となった。私の妹の死後、園子は結婚した。

彼女が、私を捨てたのではなく、私が、彼女を捨てた当然の結果だとして自負した。それから一年、私はあいまいな楽天的な気持ちで過ごした。

私は自分が生きているとも死んでいるとも感じなかった。あの天然自然の自殺―戦争による死―ののぞみがもはや立たれてしまったことを忘れているらしかった。

二十三歳の誕生日に、私は友人に誘われて娼家にいくが、やはり不能が確定し絶望した。

その苦しみは、私に「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙な悲しい生き物だ」と告げるのだった。

園子への愛と引き裂かれたもう一種のおそろしい<不在>を感じた。

官吏登用試験の準備が迫ったが、あの不能が確定した一夜からの無力感が生活の隅々まではびこり、心はうっして何も手につかない数日が続いた。春が来ても自堕落な放蕩ほうとうな生活だった。

ある梅雨曇りの午后、麻布の町を散歩していると後ろから名前が呼ばれた、園子である。

2年ぶりであったが、私はすべてを予知しているように感じた。

土曜日の午後、草野を訊ねた折に、家に帰っていた園子に会った。園子は、あの時、なぜ結婚を承知されなかったのかを短刀直入に私に問いただした。私は、人妻となっていた園子に、また二人で逢いたいと思った。私は、園子に逢いたいという心持ちは神にかけて本当である。

しかしそこに、肉欲がないことも明らかである。ではなぜ、逢いたい欲求が起こるのか。肉の欲望に全く根ざさぬ恋などはあるのだろうかと。しかし、また「人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力を持つとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力はないとは言い切れまい」と思うのである。

園子は私の正常さへの愛、霊的な愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた。

一年経って、官吏登用試験に合格し、私は官庁に奉職ほうしょくしていた。この一年、私たちは二三か月おきに逢っていた。晩夏の一日、避暑地から帰った園子と役所を辞めた私は、いつものように会話を続けていた。

園子は、今のまま行ったらぬきさしならないところへ追い込まれていくので洗礼を考えているという、彼女の気持ちは揺れ動いていた。あと三十分で、別れの時間が来る。私たちはダンスのため踊り場に行った。そこは、常連で混雑していた。たまらず私たちは外気を吸いに中庭に出た。

コンクリートの床の照り返しが強烈な熱を投げかけていた。私の感じているあらゆるものからの侮蔑の痛みが園子をも無言にしていると感じられた。

私は、ある粗野な二十二三の浅黒い整った顔立ちの若者に視線が吸い寄せられた。あらわな胸は引締まった筋肉の隆起を示し脇腹には縄目のような肉の連鎖が、半裸の肩は輝き、腋窩えきかからはみ出たくさむらは金色に縮れて光った。そして腕にある牡丹の刺青を見たときに、私は情欲に襲われた。

あやしい動悸が私の胸の底を走り彼の姿から目を話すことができなかった。私は、彼が与太者と戦い、鋭利な匕首あいくちで胴体を突き刺され血潮で彩られしかばねが運ばれるのを想像した。

「あと5分だわ」園子の高い哀切な声の方へ振り向くと、瞬間、私のなかで残酷な力で、ふたつに引き裂かれた。私という存在が何か一種おそろしい「不在」に入れ替わる刹那を見たような感じがした。

私は、園子から性体験の有無をたずねられ、私は「知っている」と嘘をついた。

時刻だった、私は立ち上がるとき、もう一度、若者のいる方をぬすみ見た。

空っぽの椅子には、卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。

解説(ここを読み解く!)

●自分で自分の生体解剖をしようという試みで書かれた「仮面の告白」。

この作品は自伝的ではあるが、フィクションであることを前提として、作家の天才性を知ることになる。そして三島は、この小説を<私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明であるとし「私は詩人だと自分を考えるが、もしかすると私は詩そのものかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから」>と言う。

三島は、「仮面」の「告白」の意味について、<告白の本質は「告白は不可能だ」ということだ>と記している。そして<完全な告白のフィクションを創ろうと考えた>としている。

そして、仮面は肉つきの面であり、そういう「肉つきの仮面」の告白はありえないという。肉つきゆえ、告白ではなく、まれに肉に喰い入った仮面が、それを成就することになるという。

この意味は<「仮面の告白」で「素面と仮面が一体になった三島自身は“詩人”であり、その生の回復術を試みるという行為を行っており、それが、“詩そのもの”である。」>ということになる。

“そのもの”とは、問い詰めていく、追い詰めていく作業の果てに基層があり、素面と肉つきの面である仮面、そして他との接点である表層としての仮面の存在があり、逆に表層の仮面から基層を探しに行く“行為”だと考えられる。

三島の生涯に照らして言えば、「男」「死」「エロティシズム」は大きなテーマである。では、<男とは、死とは、エロティシズムとは何か>と問われれば、その「価値の本質(基層)」を「行為(仮面)そのもの」によって表現しうる。

最後は周知のとおりの自衛隊総監室での自決である。「仮面の告白」から「憂国」「金閣寺」「英霊の聲」「豊饒の海」と自決という結末へと連続している。豊饒の海の最終稿を送った時点では、すでに市ヶ谷の駐屯地に向かっている。三島の「男」「死」「エロティシズム」を実際に「割腹自決」という行動によって昇華させ帰結させた。

それは三島が<人は決して告白をなしうるものではない。ただ稀に、肉に深く喰ひ入つた仮面だけがそれを成就する。>という言葉に同期する。

そして「文化防衛論」や新聞に掲載された「果たし得ぬ約束」という後世に残る主張と同時に、表現者として割腹自殺を遂げるまでの緻密な自己演出と考えると、この小説「仮面の告白」のなかにその根源があるのだと訪ねてみたくなる。

●戦争への足音、開戦、敗戦、戦後と昭和とともに生涯を生きた作家。

三島は、昭和の年号と同じ年齢で、その意味で日本の昭和という時代の盛衰を共にした作家である。川端康成とは師弟の関係であり、川端からその才能を見出された。

川端と三島の往復書簡の中で、三島は、「仮面の告白」の執筆に取り組むにあたりの〈ボードレールの「死刑囚にして死刑執行人」といふ二重の決心で自己解剖〉するという旨を伝えている。

大東亜戦争が始まる1941年(昭和16年)、三島は16歳。終戦の1945年(昭和20年)、三島は20歳。川端と三島の年齢は25歳ほど川端が上である。終戦後、老いへ向かう川端は「未来ではなく日本のいにしえに自分は還っていく」といって、まさに“美しい日本の私”の世界に入っていくが、三島は、戦中・戦後の中で天皇を中心とした日本の文化や政治や防衛という国体にコミットしていく。

三島文学は世界で翻訳され、その想いは、日本の戦後保守の論壇の中に頻出する。ひとりの稀有な天才作家が人生と年表を同じくする昭和の日本をとらえ思想的にも帰結させることになる起点の作品である。

参考までに、三島の死から4か月前の1970年7月7日、某新聞に『果たし得ていない約束‐私の中の二十五年』と題されたメッセージの最期の部分を引用する。

私はこれからの日本に対して、希望をつなぐ事ができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の富裕な、抜け目がない或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

作品の背景

三島は、昭和24年、大蔵省入省後わずか9か月でやめ文学に専念する、そこで書き上げたのが「仮面の告白」であった。「私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である」として、少年期から青年期にかけての特異な性的な目覚めを扱う。

仮面の告白のもう一つの側面として、戦中・戦後の時代をうかがい知ることができる。特に6歳から21歳、つまりは1931年以降、練兵からかえる軍隊、36年の2・26事件、叛乱を雪景色の仮面劇とする描写、41年の大東亜戦争の開戦から終戦まじかの零戦式戦闘機工場の「死」に向かう描写、45年8月に園子に手紙を書いたころの広島への原爆投下、そして15日の終戦の詔書が朗読、放送された時と一にしている。特に肺浸潤を誤診され、三島は即日帰京させられるがその部隊の兵士たちはフィリピンで多数が死傷しほぼ全滅している。戦死を覚悟していた三島が医師の問診に同調したことに自問自答を繰り返し、身体の虚弱から来る気弱さや、行動から拒まれているという意識が生涯のコンプレックスとなり、以降の肉体の改造と特異な死生観を抱かせることになった。

発表時期

1949年(昭和24年)7月、書き下ろしとして『河出書房』より刊行。当時、24歳。三島の年齢は昭和の年数と同じである。昭和の時代の胎動、興廃、戦後民主主義と重なり、時代を生きた人物として、文学のみならず思想、行動は大きく注目された。特に晩年、政治的な傾向を強め自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年11月25日の自衛隊総監室のバルコニーからの決起を促す演説と割腹自殺を決行するセンセーショナルな出来事は、社会に大きな衝撃として今現在もその思想やその行動の真意について語り継がれ、作品について多くの研究がなされている。

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