川端康成『雪国』あらすじ|恋情と哀愁、そして無に帰す世界。

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解説

島村の眼を鏡とした駒子の「清潔」と葉子の「悲しいほどの美しい声」

島村は妻子があり親譲りの財産があり、最初は日本踊りに精通し、その後は西洋舞踏を机上で紹介するなどの文筆業の端くれで、用もなく山登りをするなど、現実から逃避する虚無的な生き方をしている。

しかし鋭敏な感受性があり、その眼と感覚の中で、駒子と葉子も「存在」として現れてくる。

駒子と葉子と行男の関係で、「やがて死ぬ男」である行男の療養費を稼ぐために芸者に身を落としている駒子や、健気に看病をする葉子を、「徒労」と捉えている。

しかし駒子が「それでよいのよ。ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから」と言い、「どうして?生きた相手だと思うようにはっきりできないから、せめて死んだ人にははっきりしとくのよ」と行男の生と死に対しての思いを語る。この駒子の生き方は 現実的で純粋で「清潔」なものとして映っている。

それは 現実を生きるみなぎる熱のようなもの である、そして勧進帳の三味線の描写で頂点となる。

葉子はその反対であろう。陰陽ではなく太陽と月のような輝き方の違いである。葉子は「悲しいほどの美しい声」を持ち、その生命力は駒子と比べれば少ないように思われる。葉子は駒子のことを「憎い」という。駒子のような生命力はない。命のともし火が小さいのかもしれしれない。静かな輝きで木魂のようである。

駒子は葉子を「きっと気ちがいになる」と言い、自分がその荷を負うと言う。東京に行きたがる葉子を、駒子は島村を好きでありながら葉子の将来をお願いする。島村の心が葉子に惹かれていくのを見抜いている。

怜悧な虚無感は、駒子の一途な烈しい情熱に打ちのめされていく。この雪国に生きる駒子の孤独が野生の意力を宿している。

見上げると、さあと音を立て天の河が島村の中へ落ちてくる「無」の世界。

冒頭に暗示された、「指が覚えている女」と「ともし火をつけていた女」との間に流れていく夕景色。そして現実から逃避する虚無な眼は幻影を映し出す。

汽車の中で見た葉子の眼に野火のともし火が暗示したように、繭倉の火事での事故がおこり美しい天の河が天空に広がる。その時、葉子が燃えあがる繭倉の二階から水平に落ちていく。駒子は自分の犠牲か刑罰を抱くように「この子、気がちがうわ」と葉子を抱いている。

目上げた途端に、さあと音を立て天の河が島村のなかへ流れ落ちる。

この幻影は島村が見た東京から離れた雪国の世界であり、徒労にしか見えない虚無の島村の眼に、一途に生き烈しい情念の駒子と、行男を看取る悲しいほど美しい声の葉子の二つの現実を、天の河が抱き押し流していく魔界のようである。

雪ありて縮あり。雪晒しを見て機織り女の古に思いを巡らす。そして胎内くぐりという儀式を終えて宿へ帰ってくる。そして天の河を見上げる。そこに天の河伝説の織姫と牽牛を意識せずにはおれない。霧や霞や雲を織っていく織姫は牽牛と結ばれるがそのことで織ることをやめてしまい、天空の美しさは無くなる。

天の河が音を立てて島村のなかに流れ落ちる結末には、”雪国の自然と人の世の儚き現実”が、意力をして、島村の虚無すら「無に帰して」しまう強さを感じる。

昭和十年に発表の「夕景色の鏡」から二十二年発表の「続雪国」まで十二年かけて完成した『雪国』に、川端は自己の文体の完成に命をそそいだ。戦後まもなく、川端は<私の生涯は「出発まで」もなく、そうしてすでに終わったと今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還ってゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことはこれから一行も書こうと思わない>と雑誌「新潮」で語っている。

そして1968年(昭和43年)10月、日本人として初のノーベル文学賞受賞が決定した。受賞理由は「日本人の心の精髄をすぐれた感受性を以て表現、世界の人々に深い感銘を与えたため」で、大賞作品のひとつがこの『雪国』である。さらに受賞記念公演「美しい日本の私―その序説」を行い、道元、明恵、西行、良寛、一休などの和歌や詩句が引用された。

雪、月、花に象徴される日本美の伝統は「白」に最も多くの色を見て、「無」にすべてを蔵する豊かさを思う。一輪の花は、百輪の花よりもはなやかさを思わせるという日本独特の美しさを語った。川端文学が世界に誇る不朽の名作である。

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作品の背景

国境の長いトンネルは上越線で下ると三国山脈が上野国こうずけのくに(ー群馬県)と越後国(―新潟県)の国境をなし群馬県の谷川岳の下をくぐって新潟県の南魚沼郡へ抜ける清水トンネルのこと。水上町からこのトンネルをこえ湯沢町に入ると、とくに冬期は四囲の景観がまったく一変し別世界となる。

小説の舞台は越後湯沢温泉の高半旅館に逗留したとき。実際に川端の旅の出会いから生まれたもので駒子のモデルとなる芸者・松栄も実在である。尚、主人公の島村は<私ではなく、男としての存在すらないようで、ただ駒子を映す鏡のようなものでしょうか>と川端自らが語っている。

この幻想的な雪国の世界は<敗戦後の私は日本古来の悲しみのなかに帰ってゆくばかりである>とした、まさに「美しい日本の私」として日本文学の頂点にある作品である。

発表時期

1947年(昭和22年)、『新潮社』より刊行。複数の雑誌に断続的に各章が連作として書き継がれた。それぞれの断章は昭和10年に「夕景色の鏡」「白い朝の鏡」「物語」「徒労」、昭和11年に「萱の花」「火の枕」、昭和12年に「手毬歌」以上の断章をまとめ、書き下ろしの新稿を加えて単行本「雪国」が昭和12年『創元社』より刊行。

さらに続編として、昭和15年に「雪中火事」、昭和16年に「天の河」、昭和21年に「雪国抄」(雪中火事の改稿)、昭和22年に「続雪国」(天の河の改稿)を加えて最終的な完成作となる。