川端康成『伊豆の踊子』解説|”野の匂いの好意”に癒える孤独意識

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本作品のメッセージと感想

大正時代に新感覚派の旗手として登場した川端の感性の表現。肉親を若くして皆、失くしてしまうという自身の不幸を、まるで霊性のなかで再会した作品として読み解いてみました。

旅芸人を見る世間の人々の目は厳しい。人間は境界をつくることで安心している。

民俗学者の折口信夫おりぐちしのぶの唱えた、マレビト(まれびと)をこの作品から連想します。時を定めて他界から来訪する霊的なもの、神聖なつながりをもつものです。

もっと端的に言ってしまえば、祖霊や神と言っても良いかもしれません。

主人公の学生は、天涯孤独な自身の運命に、きっと、なぜ自分はこんな境遇なのだろうかと思い、苦しみ、不思議すら感じたはずです。そこに、旅芸人の一行をみつける。そこに煌めいている踊子を見る。

因みに、後でこの旅芸人一行は家族であることが分かります。踊子の兄の名前は栄吉です。栄吉とは川端康成の父親の名前と同じです。川端栄吉は医者でした。32歳で亡くなっています。

物語のなかの栄吉の振舞いを見てみます。学生は、茶屋の婆さんの言葉で踊り子を性の対象で見たり、宿の2階から包金を投げてみたり、まだ世間知らずです。そんな主人公の学生を栄吉は道先案内人のような役割で気遣っています。そして異界から出口へと、つまり現実へと導いていきます。

そして何よりも物語のなかで、もっとも輝くのは

「いい人ね」「それはそう、いい人らしい」「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」

という言葉です。

ここには理屈はないのです。直感だけです。旅芸人一行は学生に対して自然に感じ発した言葉です。まるで秋の天城峠に精霊の声が木霊こだまするようです。

アウトカーストの立場だからこそ、自然でいれるのです。自然だからこそ、いい人を見分けられるのです。そこには金も身分も外見も何もなく、あるのは自然な心だけなのです。

かくて身寄りのない幼子を連れた婆さんを道連れに、船の中では、自分を映すような学生に親しく語らい、もう伸び伸びとふるまうことができるようになっていました。

作中の「私」は、若き日の川端康成その人です。「美しい日本の私」のはじまりとなった名作です。

全ての肉親を幼くして失った川端は虚無感と同時に「霊感」がどこかに生きて、存在してくれていると願わずにいられなかったと言います。孤独の中の疎外感は人知を超える感覚を研ぎ澄ますことになる。

異界に足を踏み入れた「私」は、この旅芸人たちと野の匂いのする好意で繋がっている。定住する人々の目には、旅芸人一行は侮蔑の扱いしかないが、自然は彼らと一体に戯れる。その象徴が踊子です。

そして無垢で純真な踊子は、「私」の孤児意識を癒してくれた存在です。太鼓や三味線という彼らの芸能は神へと繋がる合図や儀式かもしれない。

美しい日本、自然や人のこころ、日本人に宿る心性や死生観、この国に生きる感受性の在処を確認するためにも若き青年の時代に通過しておきたい抒情的な川端文学です。

まさに野の匂いの好意に癒されるなかで、川端は、父、母、姉弟、祖父母たちと交信できたのでしょう。孤児意識なんて自分が勝手に感じていることじゃないか!こうして孤児意識から解放されます。

境界は厳然とある。人間にも社会にも。しかし自分は仏教でいうところの無分別の心境になれたのです。

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作品の背景

十八歳で第一高等学校に入学し翌年一九一八年(大正七年)の秋に、孤独や憂鬱な気分から逃れるため誰にも告げず初めての伊豆へ一人旅をする。それは幼年時代が残した精神の疾患が気になり、自分を憐れむ念と自分を厭う念に堪えられないからであった。

<野の匂いがある>ひとときがが、川端の不幸な生い立ちが残した<精神の疾患>をいやした。この旅芸人一行との善意に満ちたひとときと素朴で無垢な踊子に淡い恋心を抱く旅情。そしていつか孤児根性が解きほぐされていく。

二十二歳の時に書いた「湯ヶ島での思い出」の草稿から踊子の思い出の部分だけを二十六歳のころに書き直し『伊豆の踊子』となる。川端は事実そのままで虚構は無いとしている。さらに「私の小説の幼い出発点である」と述べている。

発表時期

1926年(大正15年)、雑誌『文藝時代』1月号に「伊豆の踊子」2月号に「続伊豆の踊子」として分載。翻訳も世界各国で行われている。川端康成は当時27歳。初期を代表する名作で19歳の時の実体験をもとにしている。

川端康成は1899年に生まれ二歳で父が死去、翌年、三歳で母が死去。両親の愛情を知らない。さらに祖父母に引き取られるが七歳で祖母が死去、十歳で姉が死去している。そして十三歳で小説家を目指し、十五歳で祖父が死去、孤児となっている。

伊豆の旅の後、川端は二十二歳の時に当時十五歳の伊藤初代と婚約するが、後に破婚に終わる。その傷心のなかで、伊豆の旅で出会った踊子の加藤たみの思い出と結晶させたものが『伊豆の踊子』となる。