近代日本をつくるためドイツに留学する豊太郎。そこで美しい踊子、エリスと出会い、暮らし始める。職を辞し生活に窮するも幸せな日々を過ごすが、自身の将来への苦悶から身籠ったエリスを捨て日本に帰る。発狂するエリスを残し出世の道を選ぶ愛と保身の葛藤の物語。
登場人物
太田豊太郎
将来が期待されるエリート官僚。二十二歳で国費留学でドイツに赴き踊子と恋に落ちる。
エリス・ワインゲルト
下層階級に育ち、父を亡くしたヴィクトリア座の十七歳の踊子。青い瞳と金髪が美しい。
相沢謙吉
天方伯爵の秘書官としてドイツを訪れる。豊太郎の大学時代の同級生で将来を心配する。
天方伯爵(大臣)
ドイツからロシアを廻る外交を行い、通訳として豊太郎を同道させ能力を認める。
あらすじ
帰途につく豊太郎が、ドイツの日々を回想するシーンから物語は始まる。
五年前、望みが叶い洋行の命令を受けてサイゴンの港に寄港した頃は、見るもの聞くもの全て新鮮で、私の書いた紀行文は新聞に載り世間に注目された。
帰国の途につく今、私の日記は白紙のままである。これはドイツで学問をしていた間に、無感動になったのが理由ではない。
今、東に帰る私は西に向かったころに比べて、世の中の辛さも知り人の心が信じられぬのは言うまでもないが、自分で自分の心さえも変わってしまうことを知った。昨日の正義は今日の不正となる。
ブリンジイシイの港を出て二十日余りたった。初対面の客であっても会話を交わすのが船旅の礼儀だが、とてもそんな気分になれず頭を悩ましてばかりいる。
書を読んでも、物を見ても、懐かしい思いばかりが心を苦しめる。この悔恨は詩や歌をよんでもうまくいかないものだ。そのことを文章に綴ってみよう。
豊太郎は学問に励み官庁に入り、志高く大都会ベルリンを訪れた。
私は父を早く亡くしたが、幼い頃から学問をして東京大学予備門、大学法学部と進み、“太田豊太郎”の名はいつも首席だった。私を頼りにしている母はとても安堵した。
十九の春に学士を取得し、某省に勤め、母を東京に呼んで楽しく暮らした。仕事の評価も上々で官庁の仕事で洋行を命じられ、べルリンの都にやって来た。
私は功名心と勉強心でヨーロッパの大都会の真っ只中に立った。
ウンテル・デン・リンデンに来て、石畳を歩く男女や胸を張る背の高い将校などを見る。
まだヴィルヘルム一世が王宮の窓から外を眺めていたころで、礼装の姿やパリふうの容姿、いろいろな馬車、雲にそびえる高い建物、噴水の水、ブランデンブルグ門から隔てた凱旋塔の女神の像、すべてが目を驚かせるものだった。
しかし私は無用な美観に心を動かさないよう誘惑する外界を遮りおさえた。
二十五歳の私に芽生えた自我のせいで、冤罪と苦難とを受けてしまう。
訪問先のプロシアの官吏は、皆、快く迎えてくれた。周囲は私のドイツ語やフランス語の語学の堪能さに驚いた。私は官庁の仕事の合間にはベルリン大学で政治学を学んだ。
やがて三年ほどが過ぎた。
私は父の遺言を守り、母の教えに従い勉強し、官長から良い評価を得るために、ただ受動的で機械的な人間になっている自分を嫌った。そして二十五歳になり自我が現れてきた。
私は政治家にも法律家にも興味がなく、母は私を物知りに、官長は私を生きた法律にしようとしているように思えた。すると今まで丁寧だった官長への手紙に「法の精神さえあれば細々したことは自ずと解決する」などと偉そうなことを書いた。大学も法科ではなく歴史や文学に興味を持つようになった。
私は官長の反感を買い立場が危うくなった。友好的でない私は留学生仲間からも悪口を言われた。
私が官吏を選んだのは優秀で忍耐が強いからであった。私は度胸のある人間だと思っていたが、これほど後悔に涙する人間だったとは、早く父を亡くし母一人で育てられたことが理由なのだろうか。
嘲られるのは仕方ないことだが、こんな憐れな心を妬むのはおろかである。カフェに座る女と話す勇気もなくギャンブラーたちと遊ぶ勇気もない。交際が苦手な私を嘲り嫉むだけでなく、そねみ疑われ冤罪を身に受けて苦難をなめることになった。
私はひとり泣く美しい踊子と出会い、父親の死という不幸な境遇を救った。
ある日の夕暮れ、下宿に帰ろうとクロステル街の寺院を通り過ぎようとしたときに、門の扉に寄りかかり泣くひとりの少女を目撃する。
年は十六、七で髪は薄い金色で、青く清らかで憂いを含んだ眼は私の心を貫いた。
私は「どうして泣いているのですか。私は外国人ゆえに、かえって力をお貸しできるかもしれない」と大胆にも言ってしまった。
すると彼女は「父親が死んで、明日は葬式なのに、家には一銭の蓄えさえない」と嘆いた。
私は女を家に送ると、中から老女が出てきて私を迎え入れた。ドアにはエルンスト・ワイゲルトとあり仕立物師と書いてあった。部屋は屋根裏部屋で街に面しているひと間で室内には白布をおおったベッドがある。臥していたのは亡くなった父親であろう。
彼女は美しかった。そして「明日の父親の葬儀に、頼りにしていた踊子の働くビクトリア座の座頭が助けてくれると思っていたが、人の辛さにつけ込み身勝手な言いがかりをいうのです、どうか私を救ってください」と言う。
私は手許の3マルクと時計を外してこれを質屋に入れて急場をしのぐように言った。
少女は感動し私が差し出した手を唇にあてて涙を落した。
踊子との清廉な交際を誤解され免職し、さらに母親の死の知らせ受ける。
私の下宿に御礼にやってきた少女は、ショオペンハウエルを右に、シルレルを左に読書をしていた私の窓辺に、一輪の美しい花を咲かせたようだった。そして付き合いが始まった。
しかし同邦人に知られ、彼らは早合点して私が踊子を漁っていると考えた。
そして私が踊子と交際していると官長に密告した。官長はこれを公使館に伝え、私は官職を罷免、解雇された。そしてすぐに帰国するなら旅費は支給するが、滞在する場合は政府の援助は打ち切るということになった。
私は一週間の猶予を願い思い悩んでいるところに手紙が来た。それは母の死の知らせだった。
私とエリスの交際は清く潔白なものであった。彼女は家が貧しく十分な教育を受けずに十五歳の時から踊子としてビクトリア座に出ていた。
少ない給料でひとり身の衣食すら足りない中で、親や兄弟を養っていた。
身を落とさなかったのは、エリスの性格と意思の強い父の保護によってであった。彼女は本を読むのが好きで、読書を通しての師弟関係のような交際だった。
エリスと結ばれ離れがたい仲となり、相沢の助力で仕事を得る日々を送る。
私が彼女を愛し、離れがたい仲となったのはこの時だった。
我の身の破滅か否かの重大な時期に結ばれたことを不思議に思い、非難する人もいるだろう。
しかし私がエリスを愛する気持ちは、初めて出会った時からあり、私の不幸と別れの予感を悲しむ美しい姿に恍惚の行為に及んだことはどうしようもない。
この時、私を助けたのは友人の相沢謙吉だった。彼はすでに天方伯爵の秘書官だったが、私の免官を知り新聞社の通信員としてベルリンに留まって政治・学問芸術を報道させることをはからってくれた。
私は新聞社の報酬でエリスら親子の家に身を寄せ、苦しい中でも楽しい日々を送った。
エリスが劇場から帰り縫物などをしている傍で新聞の原稿を書いた。政界の運動や文学・美術に関わる批評などだった。私は見識を高めた。ドイツは新聞雑誌に散見する議論が高尚な国だった。
エリスは身籠るが、相沢の説得で将来のため「関係を断つ」約束をする。
明治二十一年の冬、北ヨーロッパの寒さは厳しい。エリスはつわりになった。
相沢から手紙が来た。天方伯爵が会いたいとのこと、名誉の回復のためすぐに来いというものだった。
エリスは私にワイシャツを選びゲェロックを着せネクタイを結んでくれた。そして「たとえ偉くなっても私を見捨てないで」と言った。私は「政治社会に興味はなく、ただ友に会いに行くだけだ」と言った。そして彼女は私が乗った車を見送った。
ホテルカイゼルホオフで車を降り相沢の部屋にいった。彼は依然として快活な気性で私の過ちをそれほどには気にしていなかった。私が大臣から依頼されたのは翻訳であった。
昼食を共にした相沢は私の不幸を聞き驚き、この一件は心の弱さから生じたことでいまさら言っても仕方がないが、学識もあり才能もある者がいつまでも一少女の愛情に関わりあって目的のない生活を送るべきではない。
伯爵に自身の能力を見せ信用を求めろという。
「少女との関係は、彼女に誠意があって情交は深くなっていても、相手の人物や才能を認めての恋ではない。慣習という一種の惰性から生じた交際だ。決意して断て」と相沢は言った。
貧しくても楽しい今の生活。捨てがたいものはエリスの愛。私の弱い心では決断する手段はないが、当面は友人の言葉に従い「この愛情を断とう」と約束した。
ロシアで伯爵に重用されるが、心に思うはエリスのことだけだった。
翻訳は一晩でやり終えた。伯爵と会うことも頻繁になり関係は深まっていった。ひと月ばかり過ぎて、私は伯爵とともにロシアに行くことになった。
翻訳代をエリスに預け生活費に充てるようにした。エリスは体が悪く休みが続きヴィクトリア座の座頭は籍を除外した。
ロシアでは大臣の一行に従い、ペテルブルグではパリの最高の贅沢のような王宮の装飾、蝋燭の灯、彫刻や彫金の技巧を尽くした暖炉などの絢爛の中を、私はフランス語で通訳を行った。
この間もエリスを忘れることはなかった。エリスからは毎日手紙があった。
「ドイツに生活の手段があるならば私の愛情でつなぎとめておきたい。日本に帰るのならば、あなたが出世するまでドイツで待ちます。この二十日さえ離れているのは辛い。お腹に子も宿しているので決して見捨てないでください。今は、あなたがベルリンにお帰りなさるのを待つだけです。」とあった。
伯爵大臣は私を厚くもてなしてくれた、この大臣に未来の望みを繋ぐことは想像してもいなかった。私が軽率にも相沢に「エリスとの関係を断とう」と言ったことが大臣に伝わっていたのだろうか。
子を身籠り幸せを想像するエリスを、愛する気持ちは変わらなかった。
ドイツに来た時に自らの本質を悟ったと思い、機械的な人間にはなるまいと誓ったが、私の将来は以前は官長の手中に、今は天方伯爵の手中にあった。
私が大臣の一行とともにベルリンに帰ったのは新年の朝であった。
エリスは「よく帰っていらっしゃいました。もし戻らなければ、私は命を絶ったことでしょう。」といい、私の心はこの時点でも決まらず 故国を思う気持ちと栄達を求める心が、愛情を圧倒しようとしたが、一瞬でそのためらい悩む思いは去った。
私はエリスに連れられて部屋に入った。エリスは笑いながら「どうです?この心の準備を。」と言い、見せたのはおむつであった。
「私の心の楽しさを想像してください。生まれる子はあなたに似て黒い瞳をもっているでしょうか。」「幼稚だとお笑いになるでしょうが、教会で洗礼を受けるのがどんなにうれしいでしょう。」と目は喜びに満ちていた。
大臣の誘いで日本に帰ることを決め、恥知らずな自分は病に伏してしまう。
ある日の夕暮れ大臣に招かれた。そして一緒に日本に帰る気はないかと尋ねられた。
いろいろと事情もあるのではと相沢に確認したところ、そんなことは無いと聞いて安心したという。
私は相沢の言葉を偽りだとは言い難いし、この話に頼らなければ日本に帰る手立ても名誉を挽回する道も断たれ、この身は欧州に葬り去られるとの気持ちが心を突き上げてきた。
そして節操のない心で「承知しました。」と答えてしまった。
恥知らずな私はエリスに何と言おうか。私の錯乱はたとえようもなかった。道の東西も分からず、行きあう馬車にぶつかりそうになった。
焼くように熱く死んだような格好で何時間も過ごした。私の脳裏には許されない罪人の意識だけが満ち満ちていた。
屋根裏部屋に戻り 死人同然の真っ青な私の顔にエリスは驚いた。私は答えようとするが声が出ず膝が震えて、そのまま床に倒れてしまった。
意識が戻ったのは数週間後であった。熱が激しくて譫言ばかり言っていたのをエリスが心をこめて看病しているときに、相沢が訪ねてきて一部始終を詳しく知り大臣には病気のことだけを報告し繕っておいてくれた。
発狂し不治の病のエリスを見捨て、私は日本に帰る。
私は病床のエリスを見て驚いた。彼女はひどく痩せ血走った眼はくぼみ頬はこけ落ちていた。
相沢は全てをエリスに話していたのだ。相沢は私の恩人でありながら、この恩人はエリスを精神的に殺した。
後に聞くと彼女は「私の豊太郎さんは、こんなにまで私をだましなさったのか」と叫び、その場に倒れた。しばらくして目が覚めたときはそばの人も見分けられず、私の名前を呼んで罵り髪をむしり、ものを投げつけおむつを顔にあてて涙を流した。
医者は過激な心労によって起こった「パラノイア」という病気で治る見込みは無いという。
精神病院に入れようとしたが泣き叫び、おむつを見てはすすり泣く。そして思い出したように「薬を、薬を」と言うだけだった。
私はエリスの生きる屍を抱いて何度、涙を流したことか。
私の病気は治り大臣に従い帰国をするときに相沢と相談してエリスの母に生活ができるほどの僅かな金を渡し彼女のお腹に宿した子が産まれるときのことも頼んだ。
ああ、相沢健吉のような良い友達はこの世に二度と得難いであろう。
しかし、私の脳裏には一点の彼を憎む心が今日までも残っている。