川端康成『有難う/掌の小説』解説|悲しみの往路と、幸せの復路。

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下田から北の町へ、秋の天城峠を走る乗合自動車の運転手「有難うさん」。追い越す時、いつも礼儀正しく “ありがとう” と挨拶する。ある日、娘を売りに行く親子を乗せる。悲しみに揺られながら、娘は運転手に恋をする。そして、一夜が明け、春まで家で過ごすことになる。

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登場人物

運転手(有難うさん)
定期乗合自動車の運転手で、追い抜きで丁寧に礼をするので “有難うさん” と皆から呼ばれる。


北の町に定期乗合自動車に乗り売られていく娘。悲しみのなか、礼儀正しい運転手に恋をする。


生活苦から十五里先の北の町へ、寒い季節の前に娘を売りにいこうと定期乗合自動車に乗る。

あらすじ

いつも礼儀正しく、明るい運転手の「有難うさん」に乗車する母と娘。

半島の南の端の港から大型の赤い定期乗合自動車が出る。

紫の襟の黄色い服を着た運転手が下りてくる。

母親は運転手に「今日はお前さんの番だね。有難うさんに連れて行ってもらうんなら、この子もいい運にめぐり合えるじゃろ。いいことのあるしるしじゃろ」と言う。

母親は、十五里先の北の町へ娘を売りに行くのだ。

生活のため、我が子を売り払うしか方法がない。その悲しみと苦しみのなか、良い運転手にめぐったことで、これからの娘の人生が少しでも良い運になることを、どこか自分自身への言い訳にする。

運転手は「お婆さん、一番前へ乗んなさいよ。前ほど揺れないんだ。道が遠いからね」と言う。

そして発車する。運転手は追い抜いていく際に「ありがとう」と頭を下げて、いさぎよく敬礼をする。こんなに礼儀正しいのは、この運転手だけである。

乗合馬車を追いつき、馬車が道端へ寄る。「ありがとう」

材木の馬力に行違う。馬力が道端へ寄る。「ありがとう」

大八車。「ありがとう」 人力車。「ありがとう」 馬。「ありがとう」十分間に三十台の車を、追い越しても礼儀を欠かさない。その姿は、真直ぐな杉のように素朴で自然である。

彼は、十五里の街道の馬車や荷車や馬に一番評判の良い運転手だ。

北の町に行かず、暖かい季節まで「有難うさん」の思い出と暮らす娘。

停車場の広場に夕闇が下りると、娘はからだが揺れふらふらしながら母親につかまる。

母親は運転手に言う。「この子がお前を好きじゃとよ。私の願いじゃからよ。手を合わせて拝みます。明日から見知らぬものの慰みものになるんじゃもの」と一夜をともにしてくれるようにお願いする。

次の日の明け方、運転手は木賃宿を出て兵士のような動きで広場に向かい、乗合自動車が一番の汽車を待つ。

娘は先に乗って唇を擦り合わせている、母親は朝寒あさざむたもとを合わせている。

朝になって娘には泣かれ、運転手には叱られた母親は、私の思いやりがしくじった。もう仕方がないなぁという感じで、今日は連れて帰るが、暖かくなったらまたこの子を売りに行かねばならぬと言う。

乗合自動車は、北の駅の一番の汽車の三人を客として乗せる。そして、来た道を戻っていく。

そしてまた、馬車に追いつく。馬車が道端へ寄る。「ありがとう」荷車。「ありがとう」馬。「ありがとう」

運転手は、十五里の野山に感謝をいっぱいにして半島の南の橋の港に帰る。

動画もあります、こちらからどうぞ↓

解説

柿の豊年で山の秋が「有難う」に包まれ、娘の運命に幸せをもたらす。

川端康成の掌の小説に収められた『有難う』の作品は、

「今年は、柿の豊年で山の秋が美しい」の言葉で始まり、全く同じ「今年は、柿の豊年で山の秋が美しい」の言葉で終わります。そんな十五里の山の秋の往復の出来事です。

この美しい季節の中、毎日、誠実な送り迎えで、道の往来が定時運行に協力してくれるとき、「有難う」と心からのお礼を言う “有難うさん” という渾名あだなの運転手。身を売られていく少女と母を気遣い、少しでもくつろいだひと時を過ごせるようにと前の席を勧める。「有難う」は、祈るように<自然>と<人間>が呼応する言葉です。それは峠の言霊ことだまのように響きます。

母親は、下田の港から十五里北の町へ娘を売りに行くところです。

売られていく娘の心象が<往路>と<復路>が対になって、描かれます。

<往路>では、運転手の「正しい肩に目の光を折り取られ」そして「黄色い服が目の中で世界のように拡がり、山々の姿がその肩の両方へ分かれて行く」とあります。

娘は運転手の “有難うさん” の礼儀正しい背中だけを見ており、山々の姿が肩の両方へ視界から別れていきます。売られていく娘は、背中の服の黄色さだけをただぼんやり見ながら、険しい山々は切り取られながら目的地に向かい、自身の運命に悲しみで茫然としています

<復路>では、運転手の「ぐ前のあたたかい肩に目の光を折り取られ」そして「秋の朝風がその肩の両方へ流れて吹く」とあります。

娘は、運転手の “有難うさん” と一夜を過ごした温もりを感じています。その肩に守られるように日の光を折り取られ、肌寒い秋の朝風が肩の両方へ流れ吹き、娘を辛い思いから防ぎ、守ってくれています

娘は春までは「有難うさん」の思い出と、家にいることになります。

誠実な運転手に、この娘は恋をしています。そして母親は、せめてもの情けと、はじめての一夜を運転手と過ごさせます。

朝になり、母親は娘からは泣かれ、“有難うさん” からは説教をされて叱られ、せっかく娘のためにと思ってしたことが裏目に出たと嘆きます。

“有難うさん”のその姿は、真直ぐな杉のように素朴で自然であると描写されます。

運転手もこの娘に、好意を持っています。いつもの “有難うさん” の誠実な人柄で、母親は今年はやむなく娘を北の町に売りに行くことを諦めました。

然し、貧しい生活が変わるわけではありません。今からは、寒い季節になり可哀相だから辛抱して家に置いておくが、いい時候になったらやはり家を出されてしまうのでしょう。

当時の生活は底辺に生きる人々は貧しく、娘が売られることは避けられないことでしたが、ほんの少しの時間だけ悲しみが喜びに変わりました。

誠実な運転手と結ばれた娘。きっと娘も運転手も幸せなのでしょう。

売られる身の娘にとっては、起こることのないことが起こったようなものなのです。つまりは、有ることが難しいこと、ありがたいこと。

一緒に夫婦として暮らせるかどうかまでは、この物語では分かりません。

それでも春までは、娘は “有難うさん” の幸せな思い出と一緒に、家にいることになります。

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作品の背景

川端は、「大半は二十代に書かれている。多くの文学者が若い頃に詩を書くが、私は詩の代わりに掌の小説を書いたのだろう、若い日の詩精神はかなり生きていると思う」と述べています。大正末期に超短編の流行があったが永続はせず、川端のみが洗練された技法を必要とするこの形式によって、奇術師と呼ばれるほどの才能を花開かせます。

大正十二年から昭和四、五年に至る新感覚派時代で作品の大半はこの時期に書かれています。内容は、自伝的な作品で老祖父と初恋の少女をテーマにしたもの、伊豆をテーマにしたもの、浅草をテーマにしたもの、新感覚派としての作品、写生風の作品、さらに夢や幻想の中の作品など幅広い。

発表時期

1971年(昭和46年)、『新潮文庫』より刊行される。「掌の小説」(たなごころのしょうせつ)あるいは(てのひらのしょうせつ)とルビがふられる場合もある。川端が20代のころから40年余りに亘って書き続けてきた掌編小説を収録した作品集。短いもので2ページ程度、長いもので10ページに満たないものが111編収録される。改版され全総数は127編になる。