ヘミングウェイ『老人と海』あらすじ|屈しない精神と肉体、その尊厳とカタルシス。

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解説

ハードボイルド・リアリズムとして描かれる、サンチャゴのストイシズム。

訳者の福田恆存つねありは『老人と海』の背景で、ベルナール・ファイの『アメリカ文明論』を引用して、ヨーロッパが時間の上に築かれていることに対して、アメリカは空間の上にあるとしています。つまりアメリカは歴史がない以上、過去ではなく未来に向かうといいます。

ヨーロッパは時間の上にある熱情に窒息しそうに感じ空間を必要としていた。そして、イギリスを始めヨーロッパのあらゆる人種がアメリカ大陸という処女地を目指し、そこで再会し空間を発見します。

ヨーロッパ文学が個人主義の限界に在り、その個性を探ろうと苦悶する中で、アメリカ文学はその苦悩とは別の発想から出現したとします。

しかしそのアメリカでも、ロストゼネレーション「失われた世代」の戦後派の作家は、第一次世界大戦や一九二九年の世界大恐慌によって内側に眼を向け個人の魂を問題とします。

アメリカ文学に始めて時間の原理が支配し、内面心理に深く入り無意識の領域を探ろうとし始めたとしています。その代表がフォークナーでありヘミングウェイです。つまり二人によってヨーロッパ文学と同じ次元に達したとするものです。

ヘミングウェイは彼の手法であるハードボイルド・リアリズムによって、目標や理想に対して精神や思考など自意識のセンチメンタリズムではなく、肉体や行動への無意識の信頼に重きを置いています。

もし何らかの思想的、倫理的なものがあるとすれば、それは一種のストイシズムだとします。自己の苦痛や情念に対して、他人事のような無関心を装う。それは『老人と海』のサンチャゴに体現されます。

勝ちぬき、生きぬくことをおきてと捉えカジキと死闘するサンチャゴ、そこに生理的、心理的、倫理的なカタルシスを読者が感じ、読後の爽快感を感じさせています。

『老人と海』の作品のもうひとつの叙情、「老人」と「少年」

空間軸だけでなく時間軸が生まれ始めたとすれば、それは歴史となり叙情となります。

その意味で『老人と海』は、老漁師のサンチャゴの勝ち抜き、生き抜く精神の剛毅ごうきが主体ですが、そのサンチャゴを尊敬する心優しいマノーリンが存在します。師弟という時間軸です。

サンチャゴ老人と、マノーリン少年の時間の物語にもなっています。時間と空間の話が上述の『アメリカ文明論』にありますが、『老人と海』では、漁の熟練の伝承として師匠であるサンチャゴと弟子であるマノーリン少年の会話が叙情的です。

少年は幼い頃から老人に漁を教わります。作品では十代のなかばに成長したくらいでしょうか。不漁が続くサンチャゴは、サラオ(=最悪の状態)つまりツキに見放され終わった人間とされます。少年は親に逆らえずに仕方なく別の漁師と組んで漁にでます。

少年はもう一人前です。老人は少年の両親や釣り仲間が自分に向ける中傷や冷笑を知っています。少年にとって老人は変わらぬ敬意の対象です。しかし老人は淡々としています。

舟よりも大きなカジキマグロと格闘し、その後の鮫との死闘。その長く続く描写は、決して負けることの無い、勝つことのみを信じる肉体と精神のストイシズムです。老人は力の漲る若いころなら、あるいは助手のマノーリンが一緒にいてくれたら、と度々 思います。しかしそれは感傷ではありません。老人は夜空の星に、アフリカの砂浜のライオンの夢を見ます。

幾度なく続く鮫の襲撃に、カジキの肉はすべて食いちぎられ頭と骨と尻尾だけを残して帰って来る。釣果ちょうかという意味では、全くの敗北です。港の仲間は、結局は、嘲笑と憐みの目で老人を見ています。

魚が十八フィートだったことを驚き、少年は「あたりまえさ」と自慢げに答え、砂糖入りの暖かいコーヒーを老人のもとへ届けます。サンチャゴは漁師として不屈に闘い続け武器が尽き、それでも肉体も精神も諦めなかった。屈しない精神の尊厳と、その結果として湧き上がるカタルシス。

ハードボイルドなリアリズムがあればこそ、マノーリンとサンチャゴの会話が叙情に包まれる。

くちばしは、マノーリンがもらえることになる。それは勝者の誇り高い「くちばし」ではなく、敗者であっても最後まで尊厳を貫いた「くちばし」なのです。

いつかマノーリンも年老いて一人となって、鮫に襲いかかられるような漁の場面が来るかもしれない。そのときに継承されたものは、「くちばし」と共に在り続ける勇者の尊厳です。

老人には不要な、いまいましく悔しい残骸ですが、少年には輝かしい誇りなのです。それこそが時間の累積であり、歴史なのです。

作品の背景

志願して戦地に赴き、戦争の事実を伝えるヘミングウェイの姿は、湾を越えて海洋に出て行くサンチャゴの姿であり、洋上で思うつがいの生物たちは、夫婦の愛しあう姿を表わしています。

冒頭のサンチャゴとマノーリンの会話に、投網やまぜご飯の話がお互いの芝居として描かれる。さらに、壁にかかる「イエスの聖心」と「聖母マリア」の信仰。亡くした妻と、ラ・マルと女性名で呼ぶ母なる海、夫婦の生物たち、そして幾度となく登場する勇者の象徴の「ライオンの夢」。

ひとり言で意思を伝える物語の仕立てが、過去と現在が交差し夢現ゆめうつつのように、人生を確かめながら終焉を迎える人間ドラマのように描かれています。

ヘミングウェイは1930年代の終わりごろ、ハバナ東部の海岸線にある小さな村、コヒーマルにやってきてその魅力にひかれます。村の人々の厚い人情と漁の巧みさ、そして自然の美しさ。さらに素晴らしい魚介料理を出すレストラン「ラ・テラーサ」は、物語のテラス軒になります。ここでヘミングウェイは漁師たちとよく会話します。

この地が『老人と海』の創作の源となっています。サンチャゴもこの地の漁師アンセルモ・エルナンデスがモデルとなっています。1954年8月、ノーベル文学賞を受賞したときに、ヘミングウェイはこれをコヒーマルの漁師たちに捧げます。海とマーリン(カジキ)への愛と冒険こそが、思索の伴侶だったのでしょう。

発表時期

1952年9月、雑誌『ライフ』に全文掲載された中編小説。後に単行本化される。ヘミングウェイは当時53歳。1918年に赤十字要員として従軍、負傷する。1930年代には人民戦線政府側でスペイン内戦に参加し、戦争を通して『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』などの作品を発表。第2次世界大戦にも従軍記者として参加。

『老人と海』は1952年にピューリッツア賞を受賞。1954年にノーベル文学賞を受賞。同年、二度の飛行機事故で重傷に遭い授賞式に欠席。以降、後遺症で精神的な病に苦しみ、1961年7月2日、日曜日の早朝、散弾銃で自殺。キューバの海をこよなく愛し20世紀の文学と人々に大きな影響を与えた行動派の作家でした。