浅田次郎『鉄道員』解説|人々の暮らしを支える、乙松のぽっぽやの人生。

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三人の女の子が現れて、乙松は鉄道一筋のポッポヤの人生を語らう。

所帯持ちの仙次が年明け早々に、おせちの重を携えて乙松を訪れる。乙松と仙次は無二の親友で、二人きりでささやかな新年を祝う。仙次は翌年の退職後は、東京のデパートとJRとの共同出資のターミナルビルへ重役として横滑りが内定しており、仙次は乙松も誘う。

「みんな体で覚えたことばかり」で、乙松は他の仕事は考えられず、妻子と過ごした幌舞で身を埋める覚悟だ。

正月の雪深い幌舞駅舎に不思議なことが起こる。ホームの灯火を消すと、古くさいキューピーのセルロイド人形がベンチにあった。それは、真赤なランドセルをしょった小さな女の子の忘れ物だった。女の子は乙松の前で気をつけして可愛く振舞った。

乙松は子供を亡くした、女の娘だった、名前は雪子と名づけた。乙松が四十三で、妻が三十八の授かりものだった。生きていれば十七である。

午前零時に人形をとりに赤いマフラーを巻いた女の子が現れ、十二だというおませさんは乙松のうなじを抱き寄せてキッスをする。そしてその翌日、姉さんとおぼしき十七の美しい娘が現れる。

鉄道マニアだと言って、乙松の駅舎に集めたコレクションを楽しみ、制服姿の少女は乙松の話を興味深く聞いた。

乙松はうきうきと説明した。ホーローの行先版サボ、デゴイチのプレート、解体部品や古い切符。

「よかったら何でも好きな物を持っていきんさい」「ねえ、おじさん。もっと話しきかせて」少女は老駅長の語る思い出を、感動をこめて聞く。

乙松は半世紀分の愚痴や自慢を思いつくはしから口にした。ひとつひとつの出来事を語るたびに、乙松の心は確実に軽くなった。

特需景気に栄えた時代。駅舎が死体で一杯になった炭鉱事故。機動隊がやってきた労働争議。そしてひとつずつ閉められていく山を見守った。何より乙松が悲しい思いをしたのは、毎年の集団就職の子らをホームから送り出すことだった。

「気張ってけや」って子供の肩をたたいて笑う。泣くわけにはいかない。そして汽車を送り汽笛の消えるまで敬礼をした。

ポッポヤはどんなときでも涙の代わりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめく代りに、喚呼の裏声を絞らなければならない。ポッポヤの苦労とはそういうものだった。

雪に包まれた幌舞の駅に奇跡が起きて、乙松は幸せな最期を遂げる。

少女は、乙松にご馳走まで作ってくれた。小さなちゃぶ台に、干物と玉子焼きと野菜の煮付が、二人分きちんと置かれた。そして楽しい団欒のひとときを過ごす。

少女は「私、鉄道の人のお嫁さんになるのが夢だから、こったらふうに手早く作れねばだめっしょ」と言う。

乙松は「おっちゃん、幸せだ。好き勝手なことばっかして、あげくに子供もおっかぁも死なせて、それなのにみんな良くしてくれる。ほんとうに幸せ者だ」としみじみ語る。

これが “乙松に起こったやさしい奇蹟” だった、吹雪のなか、音も光もない純白に埋もれた幌舞の幾星霜の時からの贈り物だった。

雪子がゆうべからずっと、育っていく姿を乙松に見せてくれたのだ。夕方にランドセルしょって、目の前で気をつけして、夜中にもう少し大きくなって、そして美寄びよろ高校の制服を着て、十七年間の成長を見せてくれたのだった。

セルロイドの人形は、泣く泣くユッコの棺桶に入れたものだった。その日も乙松は “異常なし”と日報に書かねばならなかった。

こうして娘を失くした日も、妻を亡くした日も、乙松はただ一人、立ち続けたのだ。

雪子は言う「そりゃおとうさん、ポッポヤだもん。仕方ないっしょ、そったらこと、あたしなあんとも思ってないよ」

その日の旅客日報に、乙松は「異常なし」と書いた。夜半に雪はやみ、幌舞のボタ山の上に銀色の満月が昇った。

ホームの端の雪だまりに手旗を握って乙松は倒れていた。乙松の葬儀はキハだった、客席の通路に棺桶が乗っていた。客席は満員だった。制服の駅員たちが埋まった。「勤続四十五年の駅長が死んだぞ。そこらの偉いもんの葬式とはわけがちがうべ」 と仙次が言った。

「大往生だべ、雪のホームで始発を待って、脳溢血でポックリなんて」と言って、機関士を押しのけて仙次は運転台に座り、乙松の亡骸を送り出す。

世の中がどう変わったって、俺たちはポッポヤだ。ポッポーと間抜けた声を上げ、剛の腕を振ってまっすぐに走るポッポヤだから、人間みたいに泣いちゃならんのだと、仙次は唇を噛みしめた。

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