誰もが知るお伽噺の猿蟹合戦のお話ですが、その後、蟹はどうなったか?について芥川が教えてくれます。それまでの儒教や仏教の教えに基づく道徳観であった勧善懲悪、さらに武士道精神として認められていた仇討ちの考え方などが、法治主義の世の中になると法の下で裁きを受けます。それは時に庶民の感覚から離れた判決となる場合もある。人情や道理よりも法律が優先し理不尽で不条理もまかり通り ついに蟹は死刑となる。皆さん、価値観の変化にご注意を!
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解説
話し伝えられる昔話には、、いろいろなストーリーや類型があり、同じような話は日本だけでなく世界にもたくさんあります。まず典型的な猿蟹合戦のお話をおさらいします。そして芥川の『猿蟹合戦』のその後を味わっていきます。
標準的な「猿蟹合戦」のお話。
一般的に普及している物語は、蟹がおにぎりを拾い歩いていると、ずる賢い猿は拾った柿の種と交換しようといいます。柿の種を植えれば柿がたくさん実り、柿の種の方が得をするというので、蟹はおにぎりと柿を交換します。蟹は「早く芽をだせ柿の種、でなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながら種を植えました。
成長して柿の実がたくさん生ると、猿は木に登れない蟹の代りに自分が採ってやるという。そして自分ばかりが柿の実を食べ、蟹には熟していない青い硬い実を投げつけた。その柿に蟹は当たって死んで、甲羅が割れて子供がでてきます。
怒った子蟹たちは仇を討つために、猿の意地悪に困っていた栗と臼と蜂と牛の糞を集め仇討ちを計画します。猿の留守中に家へ忍び入り、栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れます。
猿が帰って来て囲炉裏で暖まろうとすると、熱々に焼けた栗が体当たりをして、猿は火傷を負い、水で冷やそうと水桶に近づくと蜂に刺され、家から逃げようとすると出入り口で待っていた牛糞に滑り転倒し、最後に屋根から落ちてきた臼に潰されて、猿は死に、子蟹たちは見事に親の仇を討ちました。…というお話です。
猿蟹合戦の蟹、臼、蜂、卵のその後は裁判の結果、実刑になっている。
芥川は、お伽噺の “猿蟹合戦” で、蟹が、臼、蜂、卵とともに怨敵の猿を殺した後、どんな運命になったかについて話されていないと言います。
話されていないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間に、蜂は軒先の蜂の巣に、卵は籾殻の箱の中に、それぞれ無事な生涯を送ったかのように装っているが、それは偽りであると言います。
彼らはその後、警官に捕まり監獄に入れられた。
そして裁判を重ねた結果、判決が下る!
主犯の蟹は死刑、
臼、蜂、卵等の共犯は無期懲役
となった。
お伽噺しか知らない読者は納得がいかないかもしれないが、これが全くの事実である。
蟹自身の言によれば、
「握り飯と柿を交換した」が、「猿は熟柿を与えず、青柿ばかりを蟹に傷害を加えるようにさんざん投げつけた」と言う。
しかし 裁判官は
1.“蟹は猿との間に一通の証書も取り交わしていない” また
2. “熟柿と交換するとは特に言ってない” また
3. “柿を投げつけられたと言うが、猿に悪意があったかどうかの証拠は不充分である”
とのこと。
弁護士も新聞輿論も各界も、無知と軽率からの私憤の結果だという。
そこで蟹の弁護に立った雄弁の名高い弁護士も「裁判官の同情を買う方法しか策が無い」と言い、蟹の泡をぬぐってやりながら「あきらめた給え」と言ったそうである。
新聞雑誌の輿論も、蟹に同情を寄せたものはほとんど一つもない。蟹が猿を殺したのは私憤の結果であるという。その私憤は、己の無知と軽率から、猿に利益をせしめられたのを忌々しがっただけではないかとのことである。
優れたものは勝ち,劣ったものが負けるという優勝劣敗の世の中にあって、このような私憤を漏らすとすれば愚者か狂者だとの非難が多かった。
商業会議所会頭の某男爵は、流行の危険思想にかぶれたのだろうと論断し、身の安全のために自分の周囲を警備させた。いわゆる知識人と呼ばれる人々も蟹の行為を強く評判した。大学教授の某博士は倫理学上の見地から蟹が猿を殺したのは復讐の意志で、復讐は善とは言えないという。
また社会主義の某首領は、蟹は柿とか握り飯とか私有財産を有難がっていたから臼、蜂、卵なども反動的思想を持っていたのでは。事によると後押ししたのは国粋会かもしれないといった。
某宗の管長某師は蟹は仏慈悲を知らず、知っていれば猿の行為を憐れむことができたはずだ、わしの説教を聴かせたかったという。
その他、各方面からの批評も、すべて蟹の仇討ちには反対の声ばかりだった。
武士道は無くなり、法治の精神のみゆえあなたも考えて行動を。
たった一人、蟹のために気を吐いた酒豪兼詩人の代議士は蟹の仇討ちは武士道の精神と一致すると言った。しかしこの時代遅れの議論は誰の耳にも止まらなかった。
お伽噺しか知らない読者は、悲しい蟹の運命に同情するかもしれない。しかしそれはセンティメンタリズムというもので、天下は蟹の死を当然とした。
死刑の行われた夜、判事、検事、弁護士、看守、死刑執行人、教誨師は熟睡したそうである。さらに、夢の中で天国の門を見たそうである。
では、その後の蟹の家庭はどうなったか。蟹の妻は売笑婦になった、貧困のためか性情のためかは判然としない。長男は急に心を改め株屋の番頭をしている。次男は小説家になっていい加減な皮肉を並べている。三男は、相変わらず蟹のままで、横ばいに歩いていると好物の握り飯が一つ落ちていて鋏の先で拾い上げた。
それを木の上で虱をとっていた猿が一匹見ていたーそうこの蟹はまた同じことをするのだろう。
とにかく猿と戦ったら最後、蟹は必ず天下のために殺される。読者の皆さんも、たいていは蟹なんですよ。