芥川龍之介『鼻』解説|外見より内面の自尊心を、笑われる辛さ。

スポンサーリンク

作品の背景

芥川龍之介の作品を、初期、中期、晩年の3つにわけると「鼻」は初期の短編小説です。いわゆる王朝物。わが国、平安朝に時代をとった作品群のひとつで、説話文学を典拠にしています。

『今昔物語』巻二十八、第二十の「池尾の禅珍内供ぜんちんないぐの鼻の物語」及び『宇治拾遺物語』巻二、第七の「鼻長き僧のこと」を題材としています。人間の内面、「人の幸福をねたみ、不幸を笑う」という心理、エゴイズムを描き出した作品だと言えます。

人の世の中で、自己に自信をもって強く生きることの大切さ、つまりコンプレックスを克服する強さの箴言となっています。

この時も『羅生門』執筆時と同じように、初恋の破局による抑圧された気持ちとエゴイズムの醜さから逃れるようにユーモアと諧謔をこめたものとなっていますが、同時に人間の愚かさや弱さも描かれる。

漱石の評価もまた興味深い。「自然其儘そのままの可笑味があり、材料が新しく、文章が要領を得てく整っています。敬服しました。ああいうものを、是から二三十並べてご覧なさい、文壇で類のない作家になれます」と褒めると同時に、「人の眼など気にせずずんずん進みなさい」と励ましています。

この漱石の賞賛は、龍之介の制作への自信を高めさせてくれ、芥川は生涯、漱石を先生と仰ぎます。

発表時期

1916年(大正5年)の2月、第四次『新思潮』の創刊号にて発表。この雑誌は、作者が菊池寛、久米正雄、松岡譲などと共に発刊した同人雑誌。『鼻』は出世作であると同時に代表作である。芥川龍之介は当時24歳。7月に東京帝大英文科を卒業し、9月に『芋粥』を『新小説』に発表し、文壇の注目を集め新進作家としての地位を確立する。

前年に、夏目漱石の門下に入っており、『鼻』は漱石に絶賛され、これを契機に新作の注文を受けるようになる。1918年2月、塚本文と結婚。鎌倉に居を移し、妻と伯母を呼び、新生活に入った。その後、1919年に海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社、創作に専念する。