志賀直哉『正義派』解説|真実を告げる勇気と、揺れ動く感情。

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解説

正義とは何か、正義を支えることの難しさ。

文庫本で10ページほどの僅かな分量ながら、志賀直哉は正義を守り貫くことの代償に味わう侘しさや辛さを描きます。生きる上で多少なりとも誰にでも訪れるテーマではないでしょうか。

人間は個としては生きることはできず、すべからく何らかの共同体に属しています。たとえば国家や会社は人間が生きている中核を成す共同体です。

この電車事故で会社側の監督が作り上げた話の組み立てには、誰もが会社側の道理であることを嫌悪しますが、仕方なく従うことが多いのも事実です。気が動転している運転手も咄嗟の判断不足を認め不利を被るよりは、監督に従う方が都合が良いと考えます。保身です。

それでは至近距離で目撃した、三人の線路工夫たちの証言行為は間違っていたのか?

彼らは興奮と勇気のなかで真実を証言し、決して監督が囁くおためごかしの話に屈することもありません。たとえ会社から解雇されても、運転手の過失で幼い女児が轢き殺され、母親の絶望的な悲しみを理解できるからこそ、正義は貫かれるべきだと信じます。

工夫たちは正しい。その割にはその高揚はやがて静かに落ち着き、人々もただの興味本位での態度だと分かり、自分たちの報われなさ、そして明日からの生活の現実の不安が、心の中にせり出してくる。彼らは決して英雄にはなれませんでした。

二人は深酒し家に年老いた母親を残すもう一人の若い工夫は現実に引き戻され、帰っていきます。

残った年かさの工夫は酔いつぶれ泣き崩れ、瘤のある方の気性の激しい工夫に見守られます。寂しく侘しい結末です。

たとえ報われずとも、正義を見失わないように生きる。

三人の正義感の強い工夫は、真実を語ったことで職を失うという、損になることをわざわざしたことになります。

少なくとも今の鉄道会社の下請け工夫という立場を失う公算は高い。その後の生活は一時いっときの間、立ち行かなくなるでしょう。正義は報われないのです。

では 真実に目をつむり、日和見で、事なかれ的に、会社や国家の偽善に対した時に、事大主義的に従ったほうが良いのでしょうか。

「損得」の問題や、極論した場合の「死」よりは、見て見ぬ振りをする方が良いと考える。消極的ではあるが、そちらに賛同することが現実の大多数かも知れません。

しかし「損得」を超えるものがあるという考え方に立つかどうかという問題もあります。

それを「尊厳」と云っても良いし「魂」「誇り」と呼んでも良い。どのように生きるのかという議論です。確かにそれは口だけの話で、言うは易しで行動を伴なうことはとても難しいでしょう。

しかし個々人や愛する人たちが偽善なる国家や会社に唯々諾々と従うことで、大切な「尊厳」や「魂」を損なうことになるという危機に直面した時に、「損得」を超えて大切なものがあるという意志を持てるかどうかは大切な問題となります。

正しい認識と行為を上位の品として、そこを目指す強い意志を持つ。

この物語『正義派』のなかでは、この三人はかなり高い確率で会社を解雇され瘤の無い方の若い工夫は老いた母親との暮らし向きも心配です。

その意味だけにおいては、彼らの正義は力なく、儚く虚しいものです。

この作品は『正義』ではなく『正義』と『』がついています。

一人ではなく三人という複数だから『派』という捉え方もできるし、『正義』を志向している側に立脚している者たちという意味にもとれる。もしくは志賀直哉自身が彼ら三人を正義派と呼ぼうとしているのかもしれません。

この三人の正義は勝者となってはいません。逃げ出し、大声で叫び、泣き崩れる。逆に云えば、それもまた仕方がないという悲哀でもある。それでも志賀直哉はこの物語を書いた意図があるのではないか。決して正義を諦めることを云いたいのではないはずです。

自分と守るべきもののために、正義で対処する強い意志を持つこと。

勝者と敗者の問題ではなく意志の問題である。善意がただそれのみでうまく行く筈もなく、正義が勝つなどという綺麗ごとで世の中は成り立ってはいない。正義が負け、惨めな立場に追いやられることは多々ある。守るべきものが多い場合は、だからこそ尚更に人は逡巡する。

しかし正しい認識と行為をなし得る人の高潔さは、たとえ敗れても必ず立ち直り新たに向き合うことができると信じたいし、自分はそちら側にいたいと考えること。高い品位を希求し、人間には常にそのことが問われているという、到達できないものへの敬意と試練が必要だと考えさせられます。

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作品の背景

志賀直哉と父親の対立は有名な話ですが、その不仲となった理由の大きなひとつに明治34年に起こった足尾銅山鉱毒事件があります。当時18歳の直哉と父と祖父との間の家族の問題として起こった出来事でもあります。所謂、公害問題であり当時は大きな社会事件でした。

この銅山の経営に志賀家は深く関わっていました。祖父はかつて足尾銅山を共同経営していました。直哉は被害者のために現地に視察に行くと言い張り、直哉の父は祖父と同じ共同経営者で、鉱山側の加害者の立場にあった人への気兼ねがあり、息子の行動を拒絶します。直哉はそれに強く反撥します。

衝突が多かった直哉と父は長い間にわたり関係は悪化し、直哉はついに家を出ます。この『正義派』を会社側の祖父を支持する父と、家族であっても人道的な立場の直哉という構図で読むと、このことが作品に強く影響していることが分かります。権力で真実が曲げられ、それに抗う当時の直哉の心情がうかがえます。尚、大正6年に父との和解は成立しました。

発表時期

1912年(大正元年)8月、初期の作品である。志賀直哉は当時29歳。2年前の明治43年に「望野」の同人、武者小路実篤、木下利弦、大親町公和や「桃園」の同人柳宗悦、郡虎彦及び有島武郎らと合同して同人雑誌「白樺」を創刊。父との不和により尾道に住み『時任謙作(後の暗夜行路)』の執筆を始めた。翌年には東京に戻り『清兵衛と瓢箪』を発表している。