村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』解説|涸れた心を潤し、イドを鎮める物語のチカラ

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猫が消えた後、しばらくして妻のクミコが失踪する。一体、何が起こったのか。夫のトオルは戸惑う。これまでの良好な夫婦関係は脆くも崩れた。どうやら彼女は無意識世界にいる。それは心の闇であり、その記憶は過去に遡る。トオルは井戸の底で思索し、異界に入り不思議な体験を経て、謎を解こうとする。そして義兄、ワタヤ・ノボルの深い関わりを知り、彼を倒すことを決意する。暴力とエロス。そこにはフロイトの提唱したイド(原始的欲動)・エゴ(自我)・スーパーエゴ(超自我)、そしてユングの提唱した<個人的無意識>と<集団的無意識>のモチーフがある。根源悪に精神世界で闘う村上ワールド。人間の心には、どろどろした何かがある!

★動画もあります!こちらからどうぞ↓その①

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登場人物

僕(岡田亨/オカダトオル)
30歳。現在は無職、以前は法律事務所で事務員として働く。叔父から安く借りている世田谷の
一軒家に住み、妻と猫がいる。

クミコ(岡田久美子、クミコ)
僕の妻。旧姓は綿谷で編集事務所で働く。副業でイラストを描く。上に9歳違いの兄の昇と5歳
違いの姉(食中毒で死亡)がいた。心を閉ざす孤独な幼少時代を送るが結婚して幸せになれた。

綿谷昇(ワタヤノボル)
クミコの兄。東京大学を卒業しいイェール大学大学院を経て東大の大学院に戻り研究者となる。
優秀なエリートで、学者から叔父の地盤を引き継ぎ政界に進出を図る。

笠原メイ
僕の近所に住む16歳の女子高校生。バイク事故で学校を休んでおり、裏の空地を観察する。
かつらメーカーでバイトをしながら家の裏路地を観察している。

電話の女
主人公の「僕(トオル)」に電話をかけてくる謎の女性。電話口では常に性的な挑発を続けてくる。
僕の行動を熟知しているが、トオルはこの女が誰なのかが分からない。


クミコが大切にする猫。二人の結婚生活の幸福の象徴的な存在だったが突然、消えてしまう。
この猫の名前はワタヤノボルで、トオルの嫌いな義兄の名前をクミコがつけていることは謎である。

加納マルタ
水を媒介とする占い師。マルタ島で修行をして、水の組成が人間の存在を支配すると考える。
占いや家相を信じる綿谷家とつながりがあり昇の知り合いである。

加納クレタ(加納節子)
マルタの妹。60年代の髪型をしており、完璧ではないが姉と同じような資質と能力を持つ。
クレタはマルタから綿谷ノボルに汚された存在としてトオルに紹介される。

本田さん(本田伍長)
占いや家相を信じる綿谷家が評価する戦争経験のある神がかりな霊能者。彼の後押しによって
トオルとクミコは結婚することができ、以来、定期的に夫婦は本田さんを訪問している。

間宮中尉(間宮徳太郎)
本田さんとは戦地で伴に過ごした間柄でモンゴルの平原の井戸で運命的な経験をする。本田さんの
予言会い生還し、本田さんの死後、形見分けを代行し僕(トオル)と知り合う。

赤坂ナツメグ
横浜生まれ、満州国の新京で育つ。ソ連の参戦直後に、満州を脱出し終戦を迎える。現在は有名な
ファッションデザイナー、トオルと知り合い失踪の話を聞く。

赤坂シナモン
ナツメグの息子。六歳の時に理由は不明だが声を全く発しなくなる。聴覚はあり知識はとても高い。
ナツメグの仕事を補佐する。顔の表情と手話でコミュニケーションを完璧に行うことができる。

牛河
綿谷家の議員秘書のひとりだが表ではなく、裏のいかがわしい仕事を専門としている。
背は150cmと低くウシと呼ばれている。綿谷ノボルとトオルを繋ぎ、クミコの監視役となっている。

顔のない男
無意識下の世界で、トオルを208号室に導く。この男はあちら側で皆がノボルを支持するのに反して、唯一、トオルの影(味方)である。

解説

朝の十時半に、聞き覚えのない声の女から性的挑発をする電話がかかってくる。

「十分間、時間を欲しいの」(一部)

「失礼ですが、どちらにおかけですか?」(一部)

「あなたにかけているのよ。十分だけでいいから時間を欲しいの。そうすればお互いよくわかりあうことができるわ」(一部)

電話を切ると再びかかってくる。その声は妻のクミコだった。

「ところで猫は戻ってきた?」(中略)「たぶん路地・・の奥の空き家の庭にいるんじゃないかと思うの。鳥の石像のある庭よ。そこで何回か見かけたことあるから」(一部)

妻(クミコ)は編集の仕事をしていて、夫(オカダ・トオル、三十歳、173cm、63Kg)は法律事務所を辞めて失業中で家にいる。一週間前にいなくなった猫を探してほしいという。

トオルは「路地」を探すが、猫はいなかった。猫の名前は冗談で「ワタヤ・ノボル」と名付けられている。クミコの兄で僕の嫌いな男だ。

「空き家の庭の草むらは探してくれた?」(一部) 

とクミコが訊ねる。 

「空き家でも他人の家だから、勝手には入れるわけないだろう」(一部)

と僕は言う。すると、クミコは

「あなたはあの猫をみつけようとなんかしていないのよ。だから猫は見つからないのよ」(一部)

と言う。

まるで猫はクミコの分身で、僕を空き家の庭に呼んでいるようだ。

クミコの不機嫌はエスカレートして、ついに

「あなたは私と一緒に暮らしていても、本当は私のことなんかほとんど気にとめていなかったんじゃないの?あなたは自分のことだけを考えていて生きてきたのよ、きっと」(一部)

と言う。

やれやれ猫探しか・・・。トオルは、クミコほどには猫に愛着はないようだ。また電話がかかってくる。

「スパゲティはもう終わったかしら」(一部)

例の女だ。トオルのことをよく知っているようだ。トオルは電話の女を知らない。

「私は今ベッドの中にいるのよ。さっきシャワーを浴びたばかりで何もつけていないの」(一部) 

卑猥な言葉は続き、トオルは電話を切る。

それから加納マルタという女性から電話があり、ホテルで彼女と会う。

彼女は霊能者で、占いや家相に凝る綿谷家と繋がりがあり、クミコが猫のことでノボルに相談し、ノボルがクミコに彼女を紹介したというのだ。

加納マルタは、体の組成に有効な水の研究をしているという。そして、唐突に

「妹は綿谷ノボルさまに汚されました。暴力的に犯されたのです」(一部)

と言う。性的暴力のようだ。穏やかではない話だ。

ここは暴力で混乱した世界です。そしてその世界の内側にはもっと暴力的で、もっと混乱した場所があるのですという。

“ここ”とは現実の世界であり、“内側”とは無意識の世界である。そして「水」が大切な役割をしているという。

加納マルタは予知能力のある人間として、綿谷家と繋がっている。スピリチュアル、つまり霊的世界や憑依といった考えは、心理学や精神分析とある意味では同じ無意識を訪ねていく作業である。

トオルはクミコが兄のノボルを嫌っているのに、ノボルに相談したことを不思議に思う。しかしマルタは、未来を予知するように、これからトオルがノボルと関わること、

さらには、マルタの妹(クレタ)と同じことが起こることをトオルに示唆している。

猫は妻が結婚を機に飼い始めた。

あの猫は私たち・・・にとって大事な存在だと思うの。(一部)

これまで何ひとつ自分の思い通りにならなかったクミコの人生だったが、

猫は、僕と二人の結婚生活の大切な象徴(しるし)だった。

猫が消えたことは、流れが変わったことを意味しており、これは始まりだという。

バランスが失われ幸福が崩れていく。クミコが指定した空き地の庭、そこに何があるのか。

そしてある日、突然、妻が失踪する。六年の間、信頼を積み上げた結婚生活が脆くも崩れたことにトオルは強いショックを受ける。

人間の心(精神)、その表層と深層。最小の共同体である夫婦の関係においても、お互いを理解している部分はほんの一部だ。

相手の知らない自分、自分の知らない自分。心の奥底にある何か。

この物語は、深層意識下の闇にちた妻を、救い出そうとする夫の物語でもある

そこには涸れた井戸があった。

<井戸>はフロイトの精神分析学の< イド ( ラテン語id, 独Es ) >と重ねて連想される。
<イド>は人間の無意識世界の本能的な欲動の場所。

クミコは無意識世界のカオスのなかで、 “性の快楽欲求”が剥き出しになっている。

失踪している状態とは、自我のバランスが引き裂かれ、もうひとつの人格が現れており、クミコは<イド>の深層(無意識)にいることになる。

意識世界ではクミコはトオルとの幸せな夫婦生活を営んでいたが、猫が消えたきっかけで、無意識世界に閉じ込められて、そこから脱出することができないのだ。

この段階では、トオルには謎を解くカギもなければ、救いだす方法も当然、わからない。

しかし<井戸>が境界となっていて、<こちら側>は、表層(意識)の世界だが、井戸の底から壁を抜けると、<あちら側>の深層(無意識)の世界へと繋がっている。

井戸の底での思索は、無意識を訪ねていく行為であり、その結果、闇の部分に近づくことになる。危険だが救うためにはこの方法しかない。

しかし井戸はもうすっかり涸れている。水がないことは、どこにもつながっていないことである。流れが起こらないことを意味すると同時に、肉体や精神の潤いのないことを意味する。

そこで水の組成が人間を支配すると考える「加納マルタ」と妹(弟子でもある)の「加納クレタ」が案内役として登場する。

トオルは、井戸の底に下りて過去の記憶を訪ね、クミコの身に起こったことを推量する。これは<水>を貯めていく作業となる。

この作業は、クミコの個人的無意識だけでなく、時間軸を遡った集団的(普遍的)無意識をも辿ることになり、それは地下水脈となって広がっていく。同時に、結婚はしたが相変わらず、自律した個であるデタッチメントなトオルが、涸れた心に潤いを取り戻し、自己の魂が再生する行為でもある

空き家の最初の持ち主にまつわる話。戦時中の軍部のエリートで、北支で捕虜を何百人も殺し、農民に重労働を命じ、何万人も餓死させた。戦犯に問われるとピストル自殺をしたというのだった。さらに代々、不吉な運命に見舞われ、その後の所有者も、たくさん死んでいる。謂わば、ここは“呪われた地”なのだ。

そして、トオルが結婚のときにお世話になった本田さん(戦争経験のある神がかりな霊能者)から学んだ「下に行くべきときは深い井戸を見つけてその底に下りればよい。流れのないときには、じっとしておればよろしい」という言葉。

もうひとり、抜け殻の人生を送っているという間宮さん(本田さんの戦友)、彼は外蒙古がいもうこで閉じ込められた井戸で感じた「一瞬の光の至福」の恩寵の話をする

つまり、トオルがこの井戸へ降りる行為は、過去と繋がっており、壁抜けの一瞬の時を待つことになる。

木立からは、まるでねじを巻くようなギイイイッという鳥の声が聞こえる。その鳥を夫婦は「ねじまき鳥」と呼んでいた。

ねじまき鳥は、我々の属する静かな世界のねじを巻いている。この鳥は、バランスがおかしくなりはじめると、ギイッとねじをまくのだ。

そして今、そのバランスが狂い始めている。

空き家の向かいの家の裏庭では、十六歳の女の子 笠原メイが僕を見ている。

「人が死ぬのって、素敵よね」(一部)

と彼女は言い、死のかたまり・・・・・・をとりだして切り開いてみたいという。

メイは学校に行かずかつらメーカーでバイトをしている。死への好奇心と、壊れやすい感受性をもつメイとの語らい。村上作品には欠かせない、可愛くて、不思議で、思慮深い女の子。

それは救いのないクミコの無意識世界の物語に、ユーモアを与えてくれる。でもその会話は本質に迫っている! メイの話を中心にみてみます。

トオルは、メイの前で自分のことを “ねじまき鳥”だと自ら綽名あだなする。平穏な暮らしを守りたいとの意志を込めてのものだろうか。メイはトオル(ねじまき鳥さん)の良き話し相手だが、ペシミスティックで、まぬけな大人をばかにする。トオルもその一人のようだ。

メイはトオルに言う。

「あなたが今どんなひどい目にあっているにせよーきっとひどい目にあっているはずだと思うけれどーそれはたぶんあなた自身が招いたものだという気がするな。あなたは何か根本的な問題があって、それが磁石みたいにいろんな面倒を引き寄せるのよ。だから少しでも気のきいた女の人なら、あなたのところからさっさと逃げだしていくと思うわ」(二部)

やれやれ・・・、これっていつもの通りですよね!

今回は夫婦の設定ながら、この時点では、オカダ・トオルは、依然としてこれまでの村上作品の主人公と同じなのです。都市生活者(世田谷住まい)で、自由を愛し、自律的で、協調性がなく、無関心な性格は、笠原メイに見透かされています。

メイは、クミコの失踪の責任はトオルにもあるというのです。この立ち位置も同じですよね。しかし、今回のトオルはこれまでの主人公とは違います。妻を奪還するために自ら行動するのです。そこには社会悪に対して精神世界で闘う村上ワールドがあります。

危険であり戻れるかどうかも約束されていない、心の闇の無意識世界を訪ね、失踪したクミコを自ら探すのです。

飛べない鳥、水のない井戸。

意識の世界から無意識の世界へ入っていこうとする。これはスピリチュアルな体験をすることでもあります。

笠原メイは、人間は死を意識することで、生を意識できると考えています。そこで、メイはトオルが結びつけた井戸の縄梯子を外す。逃げ場のない、真剣な生と死の向き合いをトオルに求めているのでしょうか。それにしてもメイって怖い性格ですよね・・・。

トオルは井戸の底で考える。「僕らは二人で新しい世界を作ろうとしていたんだ。僕もクミコもそれまで存在したものから抜け出して新しい自分や自分たちを作ろう」としたと言う。するとメイは言う。

ねえ、ねじまき鳥さん、あなたが今言ったようなことは誰にもできないんじゃないかな。『さあこれから新しい世界を作ろう』とか『さあこれから新しい自分を作ろう』とかいうことはね。私はそう思うな。自分ではうまくやれた、別の自分になれたと思っていても、そのうわべの下にはもとのあなたがちゃんといるし、何かがあれば『こんにちは』って顔を出すのよ。(二部)

そうです。ひとりひとりのなかに、無意識の世界がある。

それは過去に、例えば幼い時に受けた、強い衝撃の記憶だったり、あるいは家族の記憶、さらには人間の普遍的な記憶が潜在していて、それらを全く無視して、新しい自分や新しい世界を作ることはできない、と言うのです。

そのとおりですよね。メイは聡明ですね。クミコは結局、潜在意識下の闇に引き込まれていきます。同時に、そんなクミコの精神を支配したのは兄の綿谷ノボルです。

さらに、クロニクル(年代記)。ユングの提唱した個人的無意識と、さらに深層の集団的無意識が起こした出来事。その時間軸の記録を、後に出てくるシナモンという青年が記録します。そこにも、イドの本能的な欲動がある。それは戦争を通じた人間の残忍さです。

この作品のテーマは、「暴力」と「エロス」、そして無意識下の世界です。

この根源悪を継承し支配しコントロールしようとする、それが綿谷ノボルなのです。

メイも井戸の中に入ったことがある。暗闇の中で自分の中にある何かがどんどん大きくなって、自分そのものを破りそうに思ったという。抑えようとしても抑えられない。白いぐしゃぐしゃしたもの。

人間というのはきっとみんなそれぞれ違うものを自分の存在の中心に持って生まれてくるのね。そしてそのひとつひとつ違うものが熱源みたいになって、ひとりひとりの人間を動かしているの。もちろん私にもそれはあるんだけれど、ときどきそれが自分の手に負えなくなってしまうんだ。(二部)

「ねえ、ねじまき鳥さん、私は自分が汚されているとかそういう風には感じないわよ。私はただそのぐしゃぐしゃに近づきたかっただけなの。私は自分の中にあるそのぐしゃぐしゃをうまくおびきだしてひきずりだして潰してしまいたかったの。そしてそれをおびき出すためには、本当にぎりぎりのところまで行く必要があるのよ。(二部)

すごい問題意識ですね。

汚されてしまうか、引きずりだして潰してしまうかは大きな違いです。そのためにはぎりぎりのところまで行く必要があるとメイは言います。悪戯心とはいえメイは、バイクで運転する男の子に後ろから目隠しをして、結果、男の子は事故を起こして死んでしまいました。

メイの行為は、危険です。そこに至らしめた心の動きとは何だったのか。それでもメイはトオルと語り合うことで、思春期を克服して、正しく成長をしていきます。そして最後にねじまき鳥(トオル)に感謝しているようです。

しかしクミコの場合は、幼いころから強い抑圧のなか生きて、心を閉ざし、結婚しても尚、この葛藤に苛まれて、解離性同一性障害のような症状として現れます。

つまり深い闇に棲むもうひとりの自分(無意識世界-性欲)が、むくっと顔を出しているのです。

フロイトの提唱した人間の精神(こころ)は、イドーエゴ―スーパーエゴがあり、原始的な衝動欲求(イド)と倫理や道徳で抑制される超自我(スーパーエゴ)の狭間にある自我(エゴ)の三つの円と捉えた場合に、この物語は、クミコの剥き出しの性的な欲求と、ノボルの妹のみならず大衆の 集団的無意識を支配しようとする根源悪の欲求が自我肥大して突き出てきます。

この作品には暴力が登場する。そこで集団的無意識を描きます。

二十世紀の近代戦争は、人間の心身の限界を大きく越える。エリートは選民意識を強く持ち、非道な行為や精神主義を強要する。国家の総力戦は、人類史上の惨劇を産み、前線での肉弾戦は耐えがたい光景となる。

本田さん(伍長)と、後に生還した間宮さん(中尉)を登場させ、戦場での非人間的な行為に至らしめる精神を作者は根源悪としている。それを満蒙の国境の地での戦いに由来させ、そこは“ねじ”が緩められた世界だとする。

それは現在に繋がっており、根源悪の血統を受け継いだエリートの綿谷ノボルは学者から政治家となり、メディアを操り、大衆を翻弄し、民主主義を全体主義に変えようとしている。

ノモンハンの戦場。ボリスの指示で蒙古兵が山本(情報将校)に行った残忍な皮剥ぎ、平原の深い井戸に投げ込まれ生死を彷徨った間宮さんの体験、そして空き家の代々のおぞましい事件。

戦場での<井戸の底と水の話>は、現在の空き家の庭の<井戸の底と水の話>と繋がっている。点ではなく線としての時間軸(歴史)となっている。

時空を越えて戦争の記憶を集団的無意識として読者に意識させている。

ハルハ河左岸の危険な任務の際、本田(伍長)は間宮(当時は少尉)に告げている。

「少尉殿はこの我々四人の中でいちばん長生きして、日本で死なれます。ご自分で予想なさっているより遥かに長生きされることになります」(一部)

間宮は本田に霊能力があると考える。トオルは綿谷家を通じて本田さんと繋がり、本田さんの死後に形見分けにやって来た間宮さんと繋がっている。家の反対を押してクミコが結婚できたのは、綿谷家が本田さんを信頼しており、彼の推薦に従ったからだった。そして結婚後も本田さんと月に一度会うことを義務付けられた。

<神がかり>な霊能力を持つ本田さんが心臓発作で亡くなると、七〇歳の今も生きている戦友の間宮中尉を登場させて、戦争の記憶を語らせている。これが過去の記憶につながる物語である。“ねじまき鳥”における集団的無意識となる。

そこにも井戸があった。ここでの“ねじまき鳥”は、本田さんであり間宮さんである、トオルが井戸に降りることを暗示してくれている。

一方、クミコの父親は東京大学を優秀な成績で卒業し、運輸省のエリート官僚になる。プライドが高く独善的だった。命令することに馴れ、自分の属する世界の価値観を疑うことなく、ヒエラルキーが全てだった。

上にはかしこまるが、下には踏みつけることをいささかの躊躇を感じない。ノボルの叔父は対ソビエト戦に備え綿羊飼育状況の調査の際に、“世界最終戦論”を唱え満州国建国に関わった石原莞爾と親しい交友があったという設定になっている。

クミコの母親もまた高級官僚の娘で、見栄っ張りだった。クミコは三女で小さい時に祖母に預けられた。祖母は情緒が不安定で、ひどく興奮し気持ちを高ぶらせクミコを思いきり抱きしめたかと思うと、次の瞬間、みみずばれができるくらい物差しで彼女の腕を打った。

クミコは、そんな恐怖のなかで、心を閉ざした。屈折した複雑な少女時代を送った。唯一、五歳違いの優しい姉は食中毒の事故で亡くなった。

この二重人格の血統を、クミコは受け継いでいるのだ。そしてクミコの心の闇にある強い性的欲望が現れる。これがクミコの個人的無意識(無意識世界)である。

ノボルは不自然で歪んだ少年時代を送った。弱肉強食の階級社会でエリート以外、生きている意味は無いという父親の考えで育てられた。東大を卒業しイエール大学で二年、そして東大の大学院から経済学者になる。

彼はマス・メディアを利用し大衆を扇動する術を身につけ、政治家となり聴衆の感情を喚起することができた。彼は仮面を被り自己を偽ることができる。

ノボルは下劣な人間であり、冷血なエゴイストだ。しかし有能な人間だった。トオルは彼の言説は一貫性がなく、深い信念に裏付けられた世界観も持っていないと見破った。

物語では邪悪の系譜を綿谷ノボルが引き継いでおり、妹であるクミコの精神世界を弄び、汚し損なおうとしている。姉も同じように精神を苛まれつづけ自殺をしたのが真相だった

トオルはこの悪に対して、立ち向かわなければならないと考える。

綿谷ノボルが選民として、トオルを侮辱する場面がある。

トオルは、はじめて綿谷ノボルと会ってクミコとの結婚を報告する。今は法律事務所を辞めて自分自身を模索していると説明すると、ノボルは、結婚は妹の問題だから反対する理由はなく、寧ろこうして話をする時間が無駄だという。

トオルは自分とは正反対の側にいる人間だと評する。

そしてクミコが失踪して困惑するトオルが、三年ぶりにマルタとともに綿谷ノボルに再会した時には、離婚を薦められる。ノボルはクミコに男ができたので籍を抜くべきだと、呪縛をかけるようにトオルに対してこう言う。

今の君には仕事もなく、これから何をしたいというような計画もない。はっきり言ってしまえば、君の頭の中にあるのは、ほとんどゴミや石ころみたいなものなんだよ(二部)

何かが隠されていると直感するトオルは、綿谷ノボルに徹底抗戦する意思を伝える。

「でも僕はあなたが思っているほど愚かじゃない。僕はあなたのそのつるつるしたテレビ向き、世間向きの仮面の下にあるものを、良く知っている。そこにある秘密を知っている。(中略)僕はつまらない人間かもしれないが、少なくともサンドバッグじゃない。生きた人間です。叩かれれば叩きかえします。そのことはちゃんと覚えておいた方がいいですよ」(二部)

トオルはノボルの仮面の下にある“権力を掌握したいという欲望”を知っているのだ。

やがてトオルは井戸の底、深く入っていき闇に包まれる、そして肉体は意識を収めるためのただの殻ではないかと感じる。

そこでクミコとの出会いや初めてのデート、結婚生活、妊娠、そして堕胎手術のことなどを思い出す。