宮沢賢治『銀河鉄道の夜』解説|「ほんとうの幸い」を問い続ける

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解説

銀河鉄道の旅は、死界に向かいながら人間の生きる道を問い続ける旅。

鉄道の旅の乗客は、ジョバンニ以外は皆、亡くなった人たちです。

象徴的な部分は青年と姉弟で、タイタニックの事故にあい青年は二人の子供を守りながらも、多くの乗客の中の子どもたちや親たちや人々を襲った惨事の中で、自分たちが犠牲になることでやすらかに天国へ行くことを選び、二人の子供たちを引率します。

生きることに悩んでいるジョバンニは、死んで天国に行こうとする青年と姉弟に、「うその神さま」ではなく、「ほんとうのひとりのための神さま」を信じようとします。

青年はその「ほんとうのひとりのための神さま」こそがキリストで、善い行いをした多くの人々がサザンクロス駅で降りて天国に行くのだといいます。

ジョバンニは「ほんとうのひとりのための神さま」のことがよくわからず、カンパネルラに頑張ろうねと語りかけます。

宮澤賢治は実家はもとは浄土真宗ですが改宗して法華経に深く帰依しました。ここではキリストが人を救うのではなく、法華経の考えとして、あの世ではなく、この世で実現する理想的な世界。修行して人間として道を極め、素晴らしい現世をつくることを求め続けます。

答えは見つかりませんが、ジョバンニは、それが神さま (キリスト教) ではないと確信しています。

「ほんとうのさいわい」を探し求め生き、そして死ぬということ。

ジョバンニは家が貧しく母親は病気で、父は長く遠洋に出かけ、そのためにバイトに明け暮れ、勉強も思うようにできず、いやな噂に苦しめられて生きています。

それでも自分には優しいお母さんがいます、父さんもりっぱな人だと信じています。

仲良しは親友のカンパネルラだけですが、カンパネルラはジョバンニだけのものではなく、列車に乗り込んだ姉と宗教の話をします。そして、自分の命を投げ出して川で溺れそうなザネリを救います。

ジョバンニはさそりの話を聞いて<みんなの幸せのために死ねる人間になろう>と思います。そしてカンパネルラはザネリのために命を落としていました。

カンパネルラは「母さんは僕を許してくれるかな」と云い、「ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだね」と云います。そしてカンパネルラの父さんは、息子の死に直面してもジョバンニに「明日、家族でいらしてください」と云います。

カンパネルラが人(ザネリ)のために犠牲になって死んだことに、最初は戸惑いがありましたが、旅の中で次第にそのことへの確信が持てるようになりました。

ジョバンニも「みんなのほんとうの幸いのためにつくすことに、生きる意味があるということを知ります。カンパネラの “犠牲の精神” こそが「ほんとうのひとりのための神さま」に、もっとも近いものであると考えます。

ジョバンニは母と父を大切にし助けながら生きていくことを「ほんとうのさいわい」だと思いました。そして一目散に母の待つ家へ帰っていきます。

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作品の背景

小説の舞台は宮沢賢治の故郷にあった岩手県軽便鉄道の沿線風景をモデルにしています。また登場する星座から季節は初夏から初秋にかけて。天の川と岩手の北上川を合体した想像の風景となっています。この岩手の自然を銀河に見立てた不思議な世界は、読みながら美しい色彩感を醸し出しています。

登場人物は賢治の盛岡高等農林学校在学時からの親友で親密な関係の保坂嘉内の影響が大きく関係していると考える説があり、「ジョバンニ」を賢治、「カンパネルラ」は保坂嘉内と考える説や、賢治の死別した妹のトシであるとの説もありますが、保坂と行った旅行の時期などから7月の15日あたり、あるいは銀河祭りは、盛岡の盆行事の舟っこ流しに従えば8月16日となります。

ススキやりんどうの花の描写からも秋ごろといえます。さらに本作における宗教観については、キリスト教に対して、賢治自身は法華経の熱心な信者です。銀河に沿って北十字から南十字で終わる旅であり、それぞれ石炭袋を持っている。この南北のふたつの石炭袋を冥界と現世を結ぶ通路として作品を構成したとされています。

発表時期

本作品は作者の死によって未定稿のままとなります。1924(大正13)年に初稿が執筆され、1933年の賢治の死後、草稿のかたちで遺されました。初出は1934(昭和9)年刊行の文圃堂版全集。未定稿のため本文の校訂が研究者を悩ませますが、筑摩書房版全集で大きな改稿が行われたことが明らかになります。